梶原 靖元 展
あっという間に準備してきた唐津の梶原靖元展が近づいてきました。
今回は例年以上にチャレンジされた作品が届きました。
これから会期終了まで毎日一品ずつ御紹介できればと思います。
(ホントに続くかな??)
この作品写真は黒唐津ですが、どこで撮影したでしょう?
答えは!
窯の中でした!
DM写真どうしましょうかね?って打ち合わせしてた時
どうせならって事で窯内部で撮らせていただくことになりました。
梶原さんの窯は穴窯で、一気に吹き抜ける構造となっています。
人独り入るに精一杯の狭いスペース。
その代わり焼成時間はとても短いですね。
焚き方も落ち着くという表現はなく、一気に昇華する感じです。
梶原さんの原料の考え方は以下URLにチラッとのっているのでよかったらご覧ください。
NHK 美の壺 唐津焼
唐津に行く vol.3
来月4日からギャラリーで個展が始まる梶原さんの工房へ。
打ち合わせです。
決してお酒をのみにきたわけではありません。。
気付いたら個展も4回目になるんですね
本当に月日の経つのは早い!
ここ工房は、唐津焼の聖地って言ってもいい岸岳の麓にあります。
標高がとりわけ高くもないですが、何やら神秘的な雰囲気を持つ山です。
もともと室町後期、波多氏という海賊出の有力一族がこの地を支配してたようです。
この山を見るたびに 『ああ、山って気持ちの拠り所でもあったんだな』といつも思います。
お茶ってのむモノで全然違う味がするっていいますよね
あれ、本当です。
科学的根拠でいえば、原料の粒子結合による反応(=鉄分の含有率など)があるからだと認識してます。
美味しい、美味しくないってことは別としてね
やっぱり粒子が整いすぎると単調な味になるのかな
ひっかかりが無い分、最初はいいんだけど飽きてくるっていうか
気が遠くなるほど地道なんだけど、工程手間が隠し味になるんだと感じてます
穴窯の前にあったボケの花。
いつもここに来るとタイムスリップしてしまうので仕事を忘れちゃいます。
やばいヤバイ
唐津に行く vol1
もう2週間前になりますね。
九州の唐津に行ってきました。
なして唐津??
そうぼくの仕事は焼き物を紹介してます。
それも唐津という焼き物は
ぼくのライフワークとして軸になりつつあります。
べたな写真ですが駅前アーケード。
この日は金曜で平日のせいなのか、とにかくヒトが少ない。
同じ焼き物の街でも多治見の方が活気があり。
ただ、この寂れた感じが唐津焼きと相まって心が落ち着きます。
唐津は玄海の空気を一気に吸いこめるところ。
対馬の先は韓国。
近さを実感します。
滞在2日の慌ただしい唐津でしたが
作家さんの案内であっという間に時間が過ぎていきました。
拘りのコーヒーも頂くことができ、今回食はベタなものは食べていません。
でもどれも美味しかったです。
南相馬のこと
みなさんが震災地の方々に向け
何かしらアクションを起してると思います。
ぼくが出来ること。
募金はもちろん
もう一つお手伝いができます。
それは
厚生労働省がセーフティーネットで設けた
震災特例貸付の相談・受付です。
平日はほぼ毎日いっています。
相談に来られる方々は、福島の方々です。
お話うかがって、自然と涙がでたことがあります。
それは南相馬の方のお話でした。
南相馬は道路など津波で他地域と断絶されたこともあり
当初まったく報道にでてこなかった場所です。
他地域の海岸線の町同様に、津波により町の大半が崩壊しました。
援助部隊がきても原発の問題で、物資を投下せずすぐ引き返してしまったこと。
そのため、燃料はもちろん食料の確保が全くできなかったこと。
その原発により報道陣が規制され、情報は携帯からのネットだけだったこと。
宮城・岩手地区の報道の影に隠れていたため
南相馬の存在を草の根でwebでアピールして
救援をひたすら訴えていたこと。
特にいま問題になってる事が2つあると言います。
まず
① 差別
銭湯・スタンドなどに行っても、中には放射能が怖いという
根拠のない理由で断られることがあるそうです。
こどもが一緒だと傷つくのが心配だといいます。
② 治安
やはり治安が非常に悪くなっているといいます。
震災当初から海岸沿いは無法地帯だったといいます。
主に盗難。
ほかにも色々とありますが、放射能は別にしても
南相馬の現状は悲惨を極めます。
捜索・片付けが全くできない状況のようです。
このことを今日のブログで書いたのは
南相馬の現状をしってほしいという
相談者の方が切実に語られたからです。
ぼくができること。
一人でも多くの相談にのり、
手続きをはやく進めること。
明日も被災者の心の負担が軽くなるようにがんばります。
近代産業遺産 旧14号トンネル
先日もご紹介した『14号トンネル』
今日はちゃんと紹介しますね。
14号トンネルは旧国鉄時代のトンネルで、近年NPO法人の方々の努力で
近代化産業遺産に登録されてます。
明治33年に名古屋-多治見(中央線)が開通したときから
今の新線ができる昭和41年まで使われてました。
レンガ積みの重厚な造りが、歴史を感じさせます。
もちろん天井は蒸気機関車のススで真っ黒です。
山水がしたたる構内は、途中ぐぐっと右に曲がっているので
出口(名古屋方面)が見えません。
385mの長さです。
このトンネルのすぐ上はお稲荷さんがあります。
ちっちゃい頃は、犬の散歩によく行ってました。
多治見の市街も一望できて、プチ展望台みたいにもなってます。
もちろんお城(砦)あとでもありますよ。
30年振りくらいに行ってきました。
橋台も残っていましたが、反対側は壊されちゃってました。
当時、川がきれいでヤゴ・サワガニが採れたんだけど
もっこり盛り上がった??土塊りが川の大半をしめ
まったく姿をかえてました。
戦前は三日月湖っていって、かなり大きな沼があったようです。
故郷
大事にしたいですね。
































