【北方領土】ソ連兵の略奪で全てを失った祖父、母の背で死んでいった娘…不法占領63年の色丹島、元島民語る[8/30]


 終戦後半月以上たった昭和20年9月1日、北方領土の色丹(しこたん)島に、当時のソ連軍が突然上陸し、島は占領された。
これに前後し、8月28日から9月5日までの9日間に、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島と歯舞(はぼまい)群島も次々と占領。
北方領土に住んでいた日本人は追放され、63年たった今も、四島の返還は実現していない。63年前に故郷の島で何が起こったのか。元島民の得能宏さん(74)が北海道根室市の自宅で、当時の出来事と故郷への思いを生々しく語った。

 「父はアメリカが来ると言っていたので、まさかソ連が攻めてくるとは思いもしなかった」得能さんは、9月1日のことを、今も忘れることができない。8月15日の終戦から17日後、色丹島の北東、斜古丹(しゃこたん)湾にソ連軍の艦船が入ってきたのだ。
(中略)
 上陸したソ連兵は400-600人とされる。村役場や郵便局、捕鯨場(鯨の処理工場)などを次々と占拠。島にいた日本兵は武装解除のうえ、拘束された。数日後、島の特別警備隊長だった得能さんの父親も連行され、以来、数年間、行方が分からなくなった。
 「やがてソ連兵は民家を没収し始めた。追い出された日本人は、知人の家や馬小屋、物置で暮らさねばならなくなった」斜古丹湾の突端にあった得能さんの家も翌年春、没収された。「完全な略奪。家族は湾の中ほどにある小さな小屋に移らざるを得なくなった」。
 島を脱出する島民も相次いだ。残った島民は、没収された捕鯨場の保守点検やまき割りなど、さまざまな「下働き」をさせられた。
 7月には、得能さんの祖父、源次郎さんが亡くなった。富山県から明治25年ころ色丹島に渡り、苦労の末にタラやカレイなどの漁場を開拓した。
 「祖父は、一代で築いた漁業基地などすべてを、ソ連軍に取られて失意の中で他界した。野原に木を積んで祖父を火葬にした光景を今も覚えている」
 祖先の墓地が没収されたため、得能さん一族は平成13年8月、自由訪問で島を訪れた際、源次郎さんの墓を新たに建立した。
墓の側面には「得能源次郎 79歳 昭和21年7月17日」と刻んだ。
 「苦労に苦労を重ね、すべてを失った祖父の無念さを思うと辛い…」。一生かかって色丹島に土台を築いたものの、家を奪われ、最期を粗末な小屋で迎えなければならなかった祖父。その悔しさに得能さんは思いをはせる。
      ◇
 「日本人は日本に帰す。一週間以内に荷物をまとめろ。ただし、持っていけるのは、手荷物だけだ」
(中略)
 船は日本本土ではなく、ソ連が軍事侵攻した南樺太(現サハリン)に向かった。到着したのは真岡(まおか)(現ホルムスク)。
樺太高等女学校に隣接する小学校の収容所に入れられた。
 「女学校に入っている者から順番に日本本土に帰ることができた。それまで順番を待たねばならなかった」
(中略)
 「女学校に移ってからは、2階に上がり、海ばかり眺めていた。日本の船が入ってきては出てゆく。それは、自分らの順番が近づいていることを意味し、とても励みになった」
 船に乗ることができたのは12月。「家族を含め、乗船した皆が、ただ涙をこぼして喜んでいた」。
 船は北海道函館市の函館桟橋に着いた。しかし、喜びもつかの間だった。姉の2歳になる娘が、姉の背中で死んでいたのだ。
 「昔は、船の中で人が亡くなると、海に流して、水葬するしきたりがあった。しかし、姉はどうしても娘を日本に連れて帰りたかったので、娘が船の中で亡くなったのを母親にも言わなかった。函館の桟橋に着いて初めて娘の死を口にした」亡くなったのは貞子さん。今は、得能さん一族が平成13年に色丹島に建立した墓に、得能さんの祖父、源次郎さんの霊とともに
眠っている。
 「貞子は日本本土に着く前に亡くなった。貞子のふるさとは色丹島。そんな思いで、一族は貞子を色丹島の墓に帰したんです」
 返還運動を続ける得能さんは今年7月、北海道主催の北方領土墓参事業で色丹島を訪れた。そして、源次郎さんと貞子さんの墓前で祈った。

 「島が一日も早く日本に帰ってくるよう力を貸してください」

http://sankei.jp.msn.com/life/education/080830/edc0808301944002-n1.htm


8月15日から9月2日までの日本史は殆ど封印状態。
この間に露助が樺太、千島列島を武力侵攻して、日本陸軍が防戦した、という事実は完全に闇に葬られている。
祖国を守って死んでいった、北方領土で眠る英霊に対し敬礼。


日本はもっと徹底して領土について教育すべきだな。


引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐

「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。
         
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
          

博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。
         
京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。しかも一度では済まず、相手も変わった。兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。
中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。

正論 2005年 11月号

ある夜の出来事

三国人

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戦争が終わった後もわたしたち一家は平壌に居残っていました。

ある晩の事です。

玄関の音をはげしく叩く音がしました父が出てみると進駐してきたソ連2人を後ろに従えて朝鮮人が立っていました。

「この家には女の子がいるはずだ、連れて来い!」

朝鮮人はいきなり怒鳴りつけました。

「うちにはい女の子はいません。」

父は嘘をつきましたが、とっくに調べはついていました。

「差し出さないなのなら家族全員の安全はないぞ!」

「ゆるしてください。あの子はまだ子どもです。」

父の哀願も、朝鮮人には全く通じませんでした。

「日本人も戦争中子どもたちを犯し尽くしたのだ戦争に負けた今、お前たちが同じ思いをするのだ!」


父はうなだれて、朝鮮人を家に入れると、私を奥の部屋に連れていって、こういいました。

「これからあの人とお布団に入って寝るんだよ。」

「なんで?知らないおじさんと寝るの?」

わたしは嫌で仕方ありませんでしたが、父のつらそうな顔を見て、嫌とは言えませんでした。

「痛い事をされてもじっと我慢するんだよ、すぐにおわるから。」

私は意味が判りませんでした。


わたしはお布団の中で朝鮮人のおじさんに、とても痛くて気持ちの悪いことを色々と繰り返しされました。おじさんはその間中「この日本人め!日本人め!」と言いながら腰を突いてきました。何回か続けるウチに私のお大事の辺りはあまり痛みを感じなくなっていきました。

後はもう、おじさんが体や口の中を嘗め回すのが気味が悪くて早く終わって欲しいと願うだけでした。


翌日、お大事の所から血が止まらず、お医者に連れていかれました。お医者さまは、私の足をいっぱいに開いて、とても痛い麻酔の注射をして、色々と手当てをしてくれました。

父と母に

陰部および肛門に裂傷、直るまでは同じ事はさせないようにと言いました。

(直ったら又同じ事をされる!)

一度だけだと思っていた私は恐ろしさのあまり涙がでました。

http://ameblo.jp/campanera/entry-10064054829.html

戦後在日朝鮮人が起した集団暴力事件
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html

サハリンでも満州でも日本人引揚者は悲惨な目にあいました。

ソ連人によって多くの日本人が強姦され、虐殺されたわけですが、その手引きをしていたのが朝鮮人です。特に女性は子供まで強姦されたわけです。

朝鮮人というのは強い者には媚び諂いますが、衰えると残酷な裏切り方をします。

在日も左翼も日本人を悪く言い募るだけで、朝鮮人やソ連人がどれほどひどいことをしたのかは言いません。従軍慰安婦を声高に叫んでも、拉致されて売春させられた日本人被害者の人権は一切訴えません。

共産党や旧社会党といった反日左翼がなぜソ連人や朝鮮半島を非難しないのか。

それもそのはずです。朝鮮総連を通じて、ソ連のコミンテルンから活動資金の提供を受けていたからです。


ロシア大使館に発煙筒投げ込む


21日午前5時ごろ、東京都港区麻布台2丁目のロシア大使館前の歩道から、男が発煙筒を大使館の敷地内に投げ込んだ。

警戒中の機動隊員が軽犯罪法違反の現行犯で男を逮捕した。男は自称右翼団体構成員(32)。所持品はなく、警視庁公安部が身元などを調べている。

公安部によると、男は酔っており、大使館近くでタクシーを降りて徒歩で大使館に近づき、着火した発煙筒を投げ込んだ。「祖父がソ連に抑留され、恨みに思っていた」と話しているという。

ソース:nikkansports.com
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20080821-399406.html

【日露】北海道~サハリン~大陸の横断橋計画 サハリン州知事が積極姿勢[08/30]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1220058011/


日本人被害者は謝罪も賠償も受けていません。日本政府が請求することすらしていません。

大使館に発煙筒くらい投げたくなるのも無理もありません。

【韓国】北朝鮮の女スパイ、“色仕掛け”と奔放な性で韓国軍に浸透…”女の武器”を駆使して韓国人実業家や脱北者の拉致にも関与[8/30]


 韓国軍内に“色仕掛け”で浸透していた北朝鮮の工作員、元正花被告(34)。合同捜査本部の捜査結果や韓国各紙の報道で
明らかになりつつある女スパイの足取りは、奔放な性と機転で彩られ、スパイ映画を地でゆく人生だ。

 元正花被告の一家は工作員一族だった。工作員だった実父は1974年、韓国に潜入する途中で殺害され、元被告は生後
数カ月で父親を失ったが、母は工作員と再婚。この義父(63)は今回、元被告とともにスパイ活動容疑で逮捕されている。
また、父の違う妹、弟も国家安全保衛部(秘密警察)に所属していることが分かっている。

 元被告は中学で成績はよく、朝鮮労働党の青年組織、社会主義青年同盟にスカウトされて89年、15歳で平壌郊外の特殊
部隊で毒針の使用法や射撃訓練など韓国浸透のための工作訓練を受けた。工作員教育で知られる金星政治軍事大学
(現在の金正日政治軍事大学)で訓練も受けた。

 しかし、92年に負傷して除隊。その後、96年に亜鉛5トンを盗み中国へ逃亡。6年間転々と逃げ回ったが、保衛部に見つかり、
その大胆さや機敏さ、開放的な性の観念などから、「工作員の資質を備えている」と評価されて、99年から中国を舞台に本格的
な工作活動を始めた。

 中国では保衛部の指令で韓国人実業家や脱北者の100人を超える拉致に関与したとされる。ホテル に誘い込むなどの手法で、
有能な工作員だったらしい。

 2001年10月に中国の朝鮮族に偽装して韓国人実業家の子供を妊娠。ほぼ同時期に国際結婚しようと中国に来ていた別の韓国人男性と婚約。本人は中絶を考えたが、保衛部から「妊婦は疑われにくいので活動に有利」と中絶を止められたとされる。
”女の武器”を駆使して関係を持った男性は数多いとみられる。婚約した韓国人男性に「あなたの子供を身ごもった」などと言い、まんまと男性をだまして結婚、妊娠7カ月で韓国への潜入に成功した。この男性とはまもなく離婚、女児を出産して育てていた。

 そして11月、韓国の情報機関、国家情報院に自ら「脱北者」と名乗り出た。まんまと「韓国人」の身分を合法的に取得、今度は軍事機密を盗むため、結婚情報会社に登録して希望する男性に「現役将校」を指定。複数の将校を紹介されて親密な関係になった。

 とくに今回の摘発の原因となった陸軍大尉(26)とは恋愛関係に発展、同大尉には「工作員」の正体を見破られたあとも、脱北者名簿などを提供させるほど抱き込んでいた。

 二重スパイもやった。元被告は02年秋から06年末までに中国に計14回出国、保衛部に活動報告。02年12月に「国家情報院」の情報を把握するよう指示を受けて、韓国情報機関の男性と会うようになり、この男性から毎月500万ウォン(約50万円)の報酬と引き換えに北朝鮮の軍事機密をつかむ対北スパイを持ちかけられた。このことを保衛部に報告すると「そんな資料は渡してもいい」と許可されたという。

 だが、04年に保衛部から「男と一夜を共にして、毒薬を精力剤とだまして飲ませろ」と、毒薬の入った北朝鮮の精力剤「天宮百花」1瓶を与えられた。元被告は「この男性に情を感じていたため毒薬を飲ませられなかった」と供述している。また、保衛部から別の韓国の情報機関の男性の殺害も命じられたが、失敗。
(中略)
 元被告は2年前、保衛部から韓国にいる非転向長期囚(思想転向に応じず長期間とらわれている政治犯)の居場所を突き止めるよう指令を受けていた。しかしこれも実行できなかったため、保衛部から「南朝鮮に染まっている。心が緩んでいる」と批判されたあと、北朝鮮当局に自分自身が殺害されるのではないかという恐怖心を抱くようになった。自宅には鍵を4個も付けて生活。精神安定剤を服用するようになっていた。

(以下略、全文はソース元でどうぞ)
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080830/kor0808302045004-n1.htm

【読売】阪神大震災の瓦礫から北朝鮮の迫撃砲発見
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1169211455/


              ∧秘 ∧
              <*`∀´> < ここで必殺!
              ( ⊃┳U      小沢ビームニダ!(ぽちっとな!)
           ,..--‐‐‐    ---              
          /::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
          |::::::::::/        ヽヽ
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         .(     'ー-‐'  ヽ. ー' |
         ヽ.      /(_,、_,)ヽ  |  朝鮮人の皆様の特権は民主党が守ります
          |.    /  ___   |  
          |ヽ     ノエェェエ>  |   
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     ).:.:;;.;;;.:.)(___):::::::::::/ (_/  ズシーン
    ノ. ..:;;.;.ノ  | ::::::::::::::::::: /
   ( ,.‐''~ ワー  | ::::/\::::\       ギャー タスケテー
(..::;ノ )ノ__.  _  | ::/  _ ):::: )_  キャー .__       _ 
 )ノ__ '|ロロ|/  \∪.___.|ロロ|/  \ __ |ロロ| __. /  \
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【国内】 小沢一郎民主党代表の国際担当秘書として韓国女性が大活躍~金淑賢(35)さん[08/09]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1186662180/l50

日本も韓国のことを笑っていられません。日本人拉致の実行者の助命嘆願書に署名してしまうような間抜けな政治家が野党第一党の幹部いるくらいで、なんと代表ともあろう人が私設秘書に韓国人を雇っていたというのですから驚きです。

在日韓国人に参政権を付与しようと躍起になっている政党は韓国人スパイに色仕掛けで参ってしまったということでしょうか。