小沢の国連中心主義は中国軍部への危険なサインとなる(台湾春秋)

日米安保破棄後に国連平和維持軍のブルーヘルメットを被った人民解放軍が、琉球独立臨時政府の要請を受けて沖縄に進駐します。その後、琉球臨時政府は中華人民共和国への帰属を宣言。人民解放軍は突然ブルーヘルメットを脱ぎ捨てて自国領土の警備を名目に居座ります。アカにほだされた沖縄人は美人女性は漢民族の嫁用に中国大陸に強制連行され、男とブスと年寄りはタクラマカン砂漠の「開拓地」に追放されて野垂れ死に。沖縄には環境汚染や官製地上げで大陸に住めなくなった漢民族300万人が襲来。国連中心主義の民主党政権はこの一連の動きを大歓迎するでしょう!5年後、本土にも国連平和維持軍のヘルメットをかぶった人民解放軍が襲来しましたとさ。きっかけは道州制導入と同時に外国人に地方参政権が与えられたこと。まず日本初の華僑系知事が誕生した九州州が日本からの独立を宣言・・・中華人民共和国と統一朝鮮はこれを即時承認し、中国朝鮮からなる国連平和維持軍が対馬と鹿児島湾に上陸を開始しましたとさ・・・まるで日高義樹氏監修の某マンガみたいな展開ですが。20年後、アジア・オセアニアは中華人民共和国の元に併合され、大アジア民主主義人民共和国連邦が成立していた・・・アメリカは北米大陸の地域国家として存続していたが、往年の力はなかった。世界の覇権は欧州を屈服させ、ビザンツ帝国の再興を高らかに宣言したプーチン皇帝率いる大ユーラシア帝国と、大アジア民主主義人民共和国連邦の間で争われるようになった。イスラエルとイスラム陣営との対立は、イスラエルと新生ペルシァ帝国との間の核戦争で両者が全滅する形で解消した。
両陣営の対立の焦点は今や北米大陸の覇権をどちらが握るかに移っていた。
中国系市民が首相になったカナダは、ケベック州の独立を契機に内戦状態に突入していた。カナダ政府を大アジア民主主義人民共和国連邦が支援し、ケベック独立連盟を大ユーラシア帝国が支援した。
そしてカナダに続いて衰退し中央政府の統率力が低下したアメリカに内戦の危機が迫っていた。
大ユーラシア帝国軍がアラスカに対する侵攻作戦(作戦名=雷の矢)を開始したからである。作戦目標はカナダ全土の占領と北米大陸からの中共陣営の駆逐である。
これに対して大アジア民主主義人民共和国連邦軍はアメリカ政府に対して中共の保護国になり、共に大ユーラシア帝国と戦うことを命令するが、これを断られるとアメリカに対する奇襲攻撃を決定した。
203X年12月7日、ひそかに硫黄島付近に集結していた大アジア民主主義人民共和国連邦海軍主力艦隊は、グアム・サイパン・ハワイ各島に対する奇襲攻撃を開始した。アメリカは事前の電磁波パルス爆弾攻撃と、日本の技術を導入して建造されたステルス艦隊を前に、完全に奇襲を受けた形のアメリカ太平洋軍は瞬く間に壊滅した。
アメリカ国内では保守派が核兵器の使用を迫ったが、大アジア民主主義人民共和国連邦主席の「わが国は人口が多いから核攻撃で30億ぐらい殺してくれても痛くも痒くもないアル!核攻撃するならしてみるよろし。その代わりアメリカ人を全員皆殺しにするアル!!」との声明に彼らの声も沈黙してしまった。
そしてアメリカでは同じ欧州文明を共有する大ユーラシア帝国軍と組んでアジア人に対抗するべきだという声が次第に大きくなっていった。そのような中で、全米各地で中国系や日系、韓国系などのアジア人が虐待されるという事件が相次ぐようになった。韓国系はアイムザッパニーズと叫んだが、今や中国の一部となった日系を名乗ったところで何の効果もなかったのである。
そのような状況下、全米のアジア系住民は、もともと中国系市民が過半数を占めるに至っていたカリフォルニア州をはじめとするアメリカ西海岸各地に移動を開始した。そして、これらの地域では逆にアジア系住民による白人系住民の虐殺事件が頻発するようになっていた。
バンクーバーが大ユーラシア帝国軍によって占領されたその日、カリフォルニア州のマイクホンダ3世知事はカリフォルニア州のアメリカ合衆国からの独立を宣言、大アジア民主主義人民共和国連邦に支援を要請した。ここに第二次アメリカ内戦・・・後にアメリカ東西戦争と呼ばれる戦いが始まった。
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