ベトナム戦争の混血児、ライタイハン~日本の様に後ろ指さされる前に支援を

1964年5月9日、アメリカは韓国を含む25の自由国家にベトナム共和国支援に参加するよう訴えた。以後我が国は、1964年9月22日、移動外科病院とテコンドー教官団を含んだ韓国軍事援助団140人が最初にベトナムの地を踏んだ。続いて鳩部隊、白鴎部隊、青竜部隊、猛虎部隊などの名前で派兵され、1973年3月14日、ズオル韓国軍全部隊の撤兵完了の時まで、延べ人員312,853人が投入された。また民間技術者の支援も約40,000人余りにのぼる。

1992年、ベトナムと修交後また我が国の民間人たちのベトナム活動が始まり、ライタイハン(韓国がベトナム戦争に参戦した際、韓国人男性とベトナム人女性の間に生まれた二世のこと。ライはベトナムで軽蔑の意味を含めた「混血雑種」、タイハンは「大韓」のベトナム語読みである。)の運命も続いている。

ベトナムで韓国人との間に生まれたいわゆる「ライタイハン」は正確な実態さえ把握されていない状態で、一説には2~3万人になるとも言うが、ベトナム現地僑民によればタイハン1世は3,000人位と把握され、もう'ライタイハン2世'の生まれる環境になった。92年以後、修交によって再び'タイハン'の子孫が増えているが、やはり真相が分からない不幸がずっと続いている。

ベトナム戦による1世タイライハンはもう30代の中年になり、2世も小学生やそれ以上になっている。また修交後、起きたライタイハンの現実はもっと近い歴史だ。個人的なことだと言うが、元はと言えば国家的な問題である以上、これ以上ほっておいてはいけないだろう。ライタイハン1世、2世、3世の問題をこのままほっておいたら、一流国家のイメージに泥をぬり、父親の国を思う血筋には悪夢になるはずで、結局、国家位相の問題になり非文化国家という烙印を押され、非難と首かせをかけられる目にあわなければならない。

これまでベトナムには1世のための職業技術学校の設立と支援をしたとは言うが、掛け声倒れの形式に過ぎなかったし、タイライハン1世らにもその家族らにも渡る実質的な恩恵は全くないと言っても過言ではない。戦争という言い訳で埋めてしまうにはあまりにも大事な生命たちだ。ベトナムにあるタイライハン1世の母親たちはもう50代、60代の老年層に達している。通恨の歳月に埋まった韓国のイメージは、色褪せあきらめた状態であるはずで我が子のことで涙にあふれた人生だったろう。

東南アジアはもちろん中国、ロシア、ウクライナなどに広がった国力に比べて恥ずかしいこのようなことを、もはや企業と国家、健全な民間団体が出てきて悲しみと痛みを共にする計画がなければならない。表面的な政策ではなく、忘れられた人生の一部を償うという次元で動くことが、日本のように後ろ指を指されない近道だと思う。これ以上、父親の国が、非人間的な動物の国になってはいけない。

チェ・チャンシク論説委員

米ニュース(韓国語)

日本は関係ないだろうが!!