「私たちは日本に住むことができて幸せだ。いまごろ、中国にいたら、病気になっていたかもしれない。あるいは、この世にいないかも…」

 こう語るのは、東京在住の中国人夫妻。夫は北京の国家機関から派遣された日本駐在員だ。

 食事をしながら、最近の中国情勢を聞いているうちに、最近、中国で多数見つかっている偽造あるいは粗悪な食品や薬品、工業製品などのことが話題になった。そのとき、奥さんが発したのが冒頭の言葉だ。

 驚かされたのが、北京市民の間では「中国製の食品や製品が危ないというのは常識」ということだ。2人とも異口同音に、「日本や米国などで『中国の食品や製品が危ない』と騒いでいるが、何を今さらという感じだ」と付け加えた。

 中国の消費者団体に寄せられた製品に対する苦情の数は1985年に8041件だったが、昨年は70万2350件と、21年間で何と87倍に膨れあがっている。

 私が初めて中国を訪れたのが25年前の82年2月。学生時代に北京の大学に留学した。文化大革命が終了して6年目で、外国人留学生の受け入れができるほど社会も落ち着いていたが、食料事情はお粗末だった。

 当時は食糧配給券がまだ使われていた。中国の大学生は月に数枚の面票(ミエンピャオ)と呼ばれる小麦粉配給切符を手渡される。面票はパンなど小麦粉を使った食品を買う際に必要で、1枚で500グラムとか、購入できる食品の量が決まっていた。お金があっても、面票がないと、パンなどは買えなかった。

 大学側は飽食の日本から来た留学生のことを慮(おもんばか)ってか、留学生は面票がなくても、パンなどの食品を好きなだけ買うことができると決めた。とは言っても、当時の中国製のパンはケーキ生地みたいに少し滑らかだが塩っぽく、ぱさぱさして、不思議な味がした。砂糖や調味料などはほとんど使っておらず、まさに小麦粉だけという味だった。

 配給券が使われていたくらいだから、たまに外食しようとレストランに行っても、調理できる料理は限られていた。必然的に「没有(メイヨウ=ない)」という言葉をよく聞く羽目になった。こういう食糧事情だから、食品の種類も多くなく、粗悪品はそれほどなかったように思う。

 いまは中国の人々が豊かになった分、嗜好品も多く、味の好みも多様化してきた。中国の場合、日本や欧米に比べて、一般の食料品や製品の価格が極度に安く、世界中で引っ張りだこだ。

 「作れば作るほど売れる」となれば、「少しくらい質が悪くても、大量に作って儲けたい」という心理になるのも無理はない。しかし、それによって失墜した信用は容易に戻らない。この結果、生産者が手痛いしっぺ返しを食うことになるのは資本主義経済の必然だ。(相馬勝)


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