いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる論議が再び蒸し返されている。米下院では、従軍慰安婦問題を「奴隷制」「人身売買」になぞらえ、日本政府に謝罪などを求める対日決議案の審議が進んでいる。どうしてこうした曲解が広がってきたのか。あらためて論点を整理する
(政治部・高木雅信・松永宏朗・山田恵美)


基礎からわかる「慰安婦問題」
▽公娼制度の戦地版

慰安婦問題を論議するためには、「公娼制度」が認められていた当時の社会状況を理解しておくことが欠かせない。公娼制度とは売春を公的に管理する制度で、戦後も1957年の売春防止法志向まで、いわゆる赤線地帯に限って売春が黙認されていた。

慰安婦は、戦時中に軍専用の「慰安所」と呼ばれる施設で対価を得て将兵の相手をしていた女性のことだ。政府が93年8月4日に発表した調査報告書「いわゆる従軍慰安婦問題について」によると、32年(昭和7年)ごろ中国・上海に慰安所が設けられた記録があり、45年(昭和20年)の終戦まで旧日本軍が駐屯していた各地に広がった。軍直営の慰安所もあったが、多くは民間業者により経営されていた。現代史家の秦郁彦氏(元日大教授)は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ」と指摘する。

慰安婦は、従軍看護婦や従軍記者のように「軍属」扱いされることはなく、「従軍慰安婦」という呼称は存在しなかった。その呼称が広まったのは戦後のことで、作家の千田夏光氏が73年に出版した「従軍慰安婦」の影響が大きかった

慰安婦となったのは、日本人のほか、当時は日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身者、旧日本軍が進出していた中国、フィリピン、インドネシアなどの現地女性が確認されている。秦氏の推計によると、慰安婦の約4割は日本人で、中国などの女性が約3割、朝鮮半島出身者は約2割だったとされる。

ただし、正確な総数は不明だ
。96年に国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ特別報告者がまとめた報告書には、北朝鮮で受けた説明として、朝鮮半島出身者だけで「20万人」と記載されている。ただ、同報告は事実関係の誤りや情報の出所の偏りが多く、この数字についても、日本政府は「客観的根拠に欠く」(麻生外相)と否定している。

慰安婦や慰安所を必要とした理由は、

占領地の女性の強姦など将兵の性犯罪を防ぐ
検診を受けてない現地の売春婦と接することで軍隊内に性病が広がることを防ぐ
将兵の接する女性を限定し、軍事上の秘密が漏れることを防ぐ-----ためとされている。

こうした制度や施設の存在は、旧日本軍だけの特別な事例ではなかった。

戦後、日本に進駐した米軍は日本側の用意した慰安施設を利用した。米軍関係者が日本当局者に女性の提供を要求したケースもあった。また、ベトナム戦争の際に旧日本軍とそっくりな慰安所が設けられていたことも、米女性ジャーナリストによって指摘されている。
このほか、秦氏によれば「第2次大戦中はドイツ軍にも慰安所があった。しかも、女性が強制的に慰安婦にさせたれたケースもあった。韓国軍も朝鮮戦争当時、慰安所を持っていたことが韓国人研究者の調べてわかった」という。


▽強制連行の資料なし

問題が蒸し返される根底には、官憲による組織的な「強制連行」があったという誤解が十分には解消さてないことがある。政府は、「旧日本軍は慰安婦の設置や管理に直接関与した」として、旧軍が「関与」したことは素直に認めている。ただし、ここで言う「関与」とは、

①開設の許可
②施設整備
③利用時間や料金を定めた慰安所規定の作成
④軍医による検査
-------などを指すものだ。

一方で、慰安婦の強制連行については「公的資料の中には、強制連行を直接示す記述はない」(97年3月18日の内閣外政審議室長の国会答弁)と明確に否定している。これを覆す確かな資料はその後も見つかっていない。

「強制連行はあった」という見方が広がるきっかけとなったのが、83年に元「労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清冶氏が出版した「私の戦争犯罪」という本だ。吉田氏は、済州島(韓国)で“慰安婦狩り”にかかわった経験があるとして、「泣き叫ぶ女を両側から囲んで、腕をつかんでつぎつぎに路地に引きずり出してきた」などと生々しく記述した。しかし、この本は90年代半ばには研究者によって信憑性が否定され、安倍首相も07年3月5日の参院予算委員会で、「朝日新聞(の報道)だったと思うが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたと証言したわけだが、後にでっち上げと分かった」と述べ、強制連行の証拠にはならないと指摘した

また、慰安婦問題が政治・外交問題化する過程で、韓国や日本の一部で、「女子挺身隊」と慰安婦を同一視する誤った認識を喧伝(けんでん)する動きがあったことも、「強制連行」イメージに拍車をかけた。女子挺身隊は、秦氏の「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)によると44年8月から、「女子挺身勤労令」に基づいて12-40歳の未婚女子を工場労働などに動員したものだ。あくまで労働確保が目的だった。

慰安所に女性を集めてくる女衒(ぜげん)などの仲介業者が、高収入が得られるなどの甘言で誘ったり、慰安所での暮らしを十分説明しなかったありする悪質な手段を使う事例はあった。陸軍省が中国派遣軍にあてた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(38年3月4日付)では、誘拐に近い募集など問題のある業者がいると指摘し、「軍の威信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様」と呼びかけている。軍としては、募集が強制的にならないよう注意を払っていたことを示す資料といえる

それでも、戦争の混乱の中で、インドネシアでは旧日本軍の「南方軍幹部候補生隊」が抑留されたオランダ人女性を慰安所に送り込んだ(スマラン事件)が発生した。事情を知った上級司令部はすぐに慰安所を閉鎖させた
が、事件の責任者らは戦後、オランダ軍による戦犯裁判で死刑を含む厳罰に処せらている。



▽あいまいな表現 河野談話「強制連行」の誤解広げ

●河野官房長官談話

いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。

今次調査の結果、長期に、かつ広範囲な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安所が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当ったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人達の意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また慰安婦における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった。

なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人達の意思に反して行われた

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを消して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。

※太字部分が「官憲による強制連行を認めた」と受けとめられる可能性がある個所



▽歴代首相のおわびの手紙 基金から償い金も

慰安婦問題が政治・外交問題化する大きなきっかけを作ったのは、92年1月11日付朝日新聞朝刊だった。

「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究図書館に所蔵されていることが明らかになった」と報じたもので、「従軍慰安婦」の解説として「開設当初から約8割が朝鮮~人女性だったと言われている。

太平洋戦争に入ると、主として朝鮮~人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」とも記述していた


宮沢首相(当時)の訪韓直前というタイミングもあり、この報道で韓国世論が硬化。訪韓中、首相は盧泰愚大統領との会談で「慰安婦の募集、慰安所の経営に日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」と釈明した

政府は92年7月6日、旧日本軍が慰安所の運営などに直接関与していたが、強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を、当時の加藤紘一官房長官が発表した。

その後も韓国国内の日本に対する非難はいっこうに収まらなかったことから、政府は93年8月4日、慰安婦問題に対する公式見解となる「河野洋平官房長官談話」を発表した

ただ、この河野談話は現実にあいまいな部分があり、日本の官憲による強制連行を認めたと印象づける内容になっていた。

第一に、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集めれた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したことも会った」と明記した。

第二に、朝鮮半島における慰安婦の募集、移送、管理などは「総じて本人たちの意思に反して行われた」と重ねて記述した。これにより、ほとんどが強制連行だったとの印象を強めることになった。

強制連行を認めるように迫る韓国側に配慮し、談話によって問題の政治決着を図ろうという狙いがあった。談話作成にかかわった石原信雄・元官房副長官も後に、「強制連行を立証する資料はなく、慰安婦の証言をもとに総合判断として強制があったということになった」と証言している。

しかし、この河野談話は慰安婦問題を完全決着させる効果は果たさず、むしろ官憲による「強制連行」という誤解を内外に拡散させる結果を生んだ

国連人権委員会のクマラスワミ氏がまとめた報告書では、慰安婦を「性的奴隷」と規定し、日本政府に補償や関係者の処罰を迫ったが、その根拠の一つが河野談話だった。現在、米下院で審議されている決議案の代表提出者マイケル・ホンダ議員(民主党)も、決議案の根拠として河野談話を挙げている

日系のホンダ議員が決議案の代表提出者となった背景には、3月15日付本誌朝刊国際面で紹介したように、日系人が相対的に減少傾向にある一方で、中国系や韓国系移民が増加している選挙区事情があるなどと指摘されている。

95年7月、政府は河野談話を前提に、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計約13億円を渡した。併せて、橋本、小渕、森、小泉の歴代首相がそれぞれ「おわびの手紙」を送っている。

河野談話について、安倍首相は06年10月5日の参院予算委員会で、自らの内閣でも基本的に引き継ぐ考えを示したが、官憲による「強制連行」は否定した。


元「慰安婦」の方への首相のおわびの手紙

拝啓
このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、もと従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。

いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。

我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力などの女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。

末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。敬具




【米下院の対日決議案要旨】

日本国政府は、1930年代から第2次世界大戦中にかけてのアジア及び太平洋諸島の植民地および支配の期間中において、世界に「慰安婦」として知られる、若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性的奴隷化したことに対する歴史的な責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである。

日本国政府による強制的軍売春である「慰安婦」制度は、その残忍さと規模において、輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴力が含まれるかつて例のないものであり、身心の損傷、死亡、結果としての自殺を伴う20世紀最大の人身売買事案の一つであった。
日本の公務員や民間の要職にあるものが、近年、慰安婦の苦痛について、心からのおわびと反省を表明した93年の河野官房長官談話の内容を薄めたり、撤回したりすることを願望する旨表明している。

下院の考えとして、公式の謝罪を日本の首相が公的立場において声明として公にすべきであり、(日本政府が)日本帝国軍隊による「慰安婦」の性的奴隷化や人身売買は決してなかったとのいかなる主張に対しても明確かつ公に反省すべきであることを決議する。(外務省の仮訳より)

http://specificasia.seesaa.net/article/37067343.html#more