イザベラ・バード著『朝鮮紀行』 (1894年から1897年に4回訪朝)

通貨に関する問題は、当時朝鮮国内を旅行するものを例外なく悩ませ、旅程を大きく左右した。日本の円や銭はソウルと条約港でしか通用しない。銀行や両替商は旅行先のどこにも一軒としてなく、しかも受け取って貰える貨幣は、当時公称3200枚で1ドルに相当する穴あき銭以外になかった。この貨幣は数百枚単位で縄に通してあり、数えるのも運ぶのも厄介だったが、なければないで又それも厄介なのである。100円分の穴あき銭を運ぶのに6人の男か、朝鮮馬1頭がいる。たった10ポンドなのにである。

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常平通宝(葉銭)


F・A・マッケンジー著『朝鮮の悲劇』 (1904年と1906年の2回訪朝)

古い制度下の貨幣は、世界中の悪貨の内でも最たるものであった。或イギリス公使の公式報告の中での有名な嘲笑、それは韓国の貨幣は良貨、良い偽造貨、悪い偽造貨、あまりにも粗悪なので暗いところでしか通用しないような偽造貨の4つに分類することが出来る、としているが、これは必ずしも作り話ではない。(日露)戦争の起きる前までは、相当量の貨幣を受け取る場合には、貨幣を点検するエキスパートを雇って最悪の偽造貨を選り出すということをせねばならなかった。