こんにちは。

 

旅行記を書こうとしても、体調が優れず、やっと書ける状態になりました。

今まで、こんなに時差ボケで苦しんだ事はなかったけど、今回は無理をしすぎました。反省!!!

 

八月後半、6泊8日の旅程でポルトガルへ行きました。旅行中は体調はとても良く、食べ物もとても美味しく昼から必ずデザートが出る食事もぺろりと平らげ、bkも全く問題ありませんでした。

 

しかしあの便座が無いトイレはイタリアほど多くは無かったけど難儀しましたよ。添乗員さんの話ではあの上に乗って用を足すのだとか。

そんなの怖くて出来ませんよ。もう一つの不快はトイレットペーパーを流せないトイレ。フウッ~!ヨーロッパはこれがあるから。。。ですね。

 

さて体調不良の話です。帰国した日、昼過ぎに帰国だったので、飛行機の中では3時間くらいしか眠れなかったけど、夜、合唱の練習に参加しました。その日は納涼会があったけど、それは私はパス。夫は参加。翌日から夫は仕事に出ました。私は洗濯物の山と格闘。

 

一日置いて土曜日。夕方区民オペランのチケットを買ったあったので、東京まで行き、二時間強のオペラを楽しみました。オペラが終わったのは8時過ぎ。それから夕食を食べ、帰宅し、寝たのは一時過ぎでした。

翌日は教会の礼拝。月曜は菊池体操。 菊池体操は結構ハードなので、これがとどめの一発となり、翌日から極度の疲労で体が重い、重い。

睡眠は入眠剤を飲まなくても眠れていたんですが,何せ体がだるい。食欲は普通にありました。

水曜日の夜、鰆をオリーブオイルで焼いて、同じフライパンでナスを焼きました。これが余り良くなかったみたいです。私、油のとりすぎは必ず胃をやられます。でもこの日は特に不調になる事もなく過ぎました。

 

翌日は木曜日、合唱の練習日です。いつものように鮭入りおにぎりを二個とブロッコリーとカボチャの煮物のお弁当持参です。

いつもは車を運転しながら、おにぎりを一個食べるのですが、(お行儀悪い!アメリカで学んで作法です。)この日はお腹がすいていず

休憩時間に食べました。で、このとき友人が話しかけてきてトイレに行く暇が無く、又練習が始まりました。これが新しい体調不良の根源となるんです。 この日はトイレを我慢していると、すごくi部がヒリヒリと不快で、余程練習の最中にトイレに駆け込もうと思ったんだけど、

最後まで我慢。不快感は頂点でした。「エエッ!何、このヒリヒリ感は?」と思いました。

そして、帰りは夫が車を運転するので、私はお弁当の残りを食べたのでした。9時過ぎでした。

 

帰宅後もヒリヒリ感はおさまらず、もしかして、カンシツの再発?と本当に後悔の念で一杯でした。!UT Vibranceで痛みが取れたことがあったので、UT Vibranceをお湯に溶かして飲み、(因みにパウダータイプと錠剤では効果が違います。)トリプタノールを2.5mg飲んで寝ました。翌朝は痛みはなくなっていましたが、何となくあの辺が敏感な感じは残っていました。

 

さて、いつものように朝ごはんを食べようとしましたが、食べられません。みぞおちの辺に何か詰まっている感じがして食べられないのです。これはまさしく機能性胃腸症の症状。エエッ~~~?機能性まで再発?又あの食べられない苦しみが始まるの?と本当に泣きたくなりました。(でも涙は出ない。) 嫌よ、カンシツと機能性の二重の疾病なんて!!

トリプタノールと機能性の薬のアコファイドは拮抗する薬です。トリプタノールを飲んだせいで、胃の動きが悪くなったのかもしれません。

たまたま前々日の油の摂取で胃が弱っていたのだと思います。

近くのクリニックに行って症状を説明したら、みぞおちが詰まった感じは胃酸が出過ぎているせいなのだそうです。それでタケキャップを処方されました。

 

結果:カンシツのような不快なヒリヒリ感はあの夜だけの一過性のものでした。カンシツの再発ではありませんでした。翌日から少しサボり  

    気味だったd-mを一日三回飲み始めました。

 

    機能性の再発?と恐れたみぞおちの詰まり感は昼ごろには取れて、おかゆが少し食べられました。しかしタケキャップをネットで調

    べるとかえって胃もたれしたなどという記事もあり、怖くて手が出ません。 それで薬局に行って、「スクラート」という胃痛、胃もたれ

    胸やけに効くと言う薬を買いました。  この薬が良く効いて、日曜には、普通のご飯と”かます”が一匹食べられるまでに回復しま

    した。 でも、二回ほどほんの少し下痢Pしたので、スクラートは止めました。又、 すぐ油断するという悪癖の持ち主なので、図に  乗って二回、食後に極少量のフルーツとお菓子で失敗しました。

    「スクラート」にはケイ酸アルミン酸マグネシウムが含まれており、これは制酸薬として働きますが、これのせいでほんの少し

    下痢Pしたのではないかと薬剤師さんが言っていました。

    木曜から一から養生生活を始めました。 

 

写真の消化酵素は私には無くてはならない消化酵素です。

今回売薬で結構胃の調子が良くなり、私が機能性を発症した三年前に比べると売薬の進歩を感じました。 薬に頼る以外はおへそ周りとみぞおちからお臍の線を柔らかくなるまで揉み解す。温熱であっためる。背中のつぼ押しをする。どうしようもない時は千年灸をする。などをして養生しました。

 

これからは旅ログです。

羽田からフランクフルトまで乗り(11時間40分)、フランクフルトでリスボン行きの飛行機に乗り換えて3時間、ホテルに着いたのはまさに真夜中、羽田からリスボンまでは乗り継ぎ時間を入れて17時間でした。(!) 寝たのは一時過ぎです。

機内食は前菜が鱒の燻製、2切れもあったけど全部食べたらメインが食べられないので一切れだけ。メインは子牛肉のクリーム煮。美味しかったです。

 

翌朝9時30分出発:オビドスという「中世の箱庭」とも称される古都の見学です。

町に入って直ぐにまるで中華鍋の底のような形をした楽器を手でなでて、不思議な哀愁を帯びた音を出している女性がいました。

バッグからスマホを取り出し写真を撮りました。(デジカメは持参するのを忘れた。)

そしてお昼ご飯になり、食前の薬を飲もうとバッグを探しましたがありません。バッグの口は開いていました。写真を撮ろうとバッグを開けてスマホを取り出した時バッグの口を閉め忘れてしまったみたいなのです。それで薬やサプリを入れた小さいバッグを取られてしまっ他みたいなのです。財布は下の方に入れてあったので無事でした。情けない事にポルトガル初日からスリの洗礼に預かりました。でも財布が無事で良かった!

 

何故ポルトガルを選んだかというと、行きたいという強い思いは余り無く、行った事が無いから行こうかという気持ちと、この旅行の日程の中にカトリックの巡礼で有名なサンチャゴ・デ・コンポステーラが入っていた事です。ここはいつか是非行きたいと思っていました。

ポルトガルというと「のんびりとした田舎」というイメージがあったのですが、バスコダガマによるインド航路の開拓によって、大変繁栄を極めた海上帝国だったという姿を知ることが出来ました。インドから大量の香辛料が運ばれ、それらの香辛料が莫大な富をポルトガルにもたらしたそうです。又、数年後にはブラジルを植民地化することで大量の金がポルトガルに運ばれ、金を大量に使った宮殿も造られたそうです。

 

その一つがコインブラにある大学の図書館です。コインブラ大学は1290年に設立された世界最古の大学のひとつだとか。

かっての宮殿が図書館になっているのですが、蔵書の数は30万冊、ブラジルからの金がふんだんに使ってある見たこともないような

大変豪華な図書館でした。写真撮影は禁止なので、残念ながら写真はありません。

 

サンチャゴ・デ・コンポステーラはポルトガルではなく北スペインにあります。スペイン旅行というとバルセロナなどの南方面が中心なので、北スペインまで回る旅行はなかなか無いです。今回も丸一日使ってのサンチャゴ・デ・コンポステーラ行きとなりました。

サンチャゴというのはキリストの弟子の一人で聖書ではヤコブと呼ばれている使徒のスペイン名です。ヨハネの福音書を書いたヨハネの兄弟です。

この地でヤコブの遺骸が見つかったのを契機にカトリックの巡礼地としてローマ、エルサレムとともに巡礼地として中世から有名になったそうです

 

聖堂の前には沢山の巡礼者と観光客がいて、巡礼者たちは輪になって手を繋ぎあって歌を歌う姿が感動的でした。

トイレに行ったとき横の方で座り込んでいた若者はガールフレンドと4ヶ月かけて北イタリアから歩いて来たといっていました。

イタリアに戻ったら大学に戻る予定だとか。巡礼をすることで自分自身を見つめなおす時間が与えられるんですね。

ツアーの一行の中には四国のお遍路さんを実行している方もいて、とても気持ちが清らかで、穏やかになるので、毎年行っているんだと仰っていました。(今は車で回るそうですが。)