最近、珍しいものを入手しました。

WW2で日本海軍の落下傘部隊が使用した一式落下傘特型です。

落下傘本体と縛帯、収納バッグなどのセットになります。

 

とりあえず、ざっと写真だけアップします。

後日、詳細について紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「日本海軍空挺部隊の使用落下傘について」

以下Wikipediaより

 

落下傘は、初期の実験では搭乗員(偵察員)用を流用し、実戦では藤倉航空工業が開発・生産した一式落下傘を用いた。一式落下傘の総重量は10kgで、4.0秒で開傘、降下速度5.2m/s(体重75kgの場合)の性能だった。主傘の色は白色だが、横三特では識別用に独自の着色を施している。1943年春には、主傘下部から徐々に展開が始まるように改良して開傘時の衝撃を弱めた、一式落下傘特型が開発されている[14]。なお、初期の訓練中に正常に作動しない事故が起きたため、1941年10月には予備の応急落下傘を訓練時には胸に追加するようになった[2]

 

 

 

 

 

先日入手した根付です。

長い毛の犬根付として売りに出ていましたが、、、、。

 

 

 

後ろ足や尻尾の感じから、どうも犬ではないように感じます。

 

 

 

 

 

 

尻尾が4つ又に分かれていて、足には長い爪があるように思います。

顔もイタチかテンのような感じです。

 

 

私の独断ですが、これは雷獣の根付ではないかと思います。

 

雷獣(らいじゅう)とは、落雷とともに現れるといわれる日本妖怪[1]東日本を中心とする日本各地に伝説が残されており[2]江戸時代随筆や近代の民俗資料にも名が多く見られる[1]。一説には『平家物語』において源頼政に退治された妖怪・は実際のところ雷獣であるともいわれる[2]

 

雷獣の外見的特徴をごく簡単にまとめると、体長2尺前後(約60センチメートル)の仔犬、またはタヌキに似て、尾が7,8寸(約21から24センチメートル)、鋭いを有する動物といわれるが、詳細な姿形や特徴は、文献や伝承によって様々に語られている[1]

(以上wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

銘はなく、無名です。

柘植を使って彫られているようです。

 

先日の虎渓の虎根付とは、タイプの違う虎根付を入手しました。

これです。

 

 

 

 

 

獰猛な顔つきをしています。

目が象嵌されています。琥珀でしょうか?

 

 

 

 

 

 

細かい毛彫で、背中の筋肉の盛り上がりも迫力があります。

 

 

 

 

 

 

足の間に穴があり、紐通しとなっています。

いわゆる意匠利用型という形式ですね。

 

 

 

 

 

 

全体に丸っこくて、コロコロしています。

無銘です。鈴木正直のような感じがしますが、

丹波スクールかもしれません。どなたかご教示ください。

 

 

 

 

 

 

先日京都に行ってきました。

猛暑のため、バイクで行く元気もなく、大人しく電車で行きました(笑)

 

目的は京都国立博物館で「茶の湯の器」の展示を見ることでしたが、

その後は数時間、徒歩で京都市内をあちこち散策しました。

私は京都市内は基本的に歩いて回るので、毎回発見があります。

 

今回も初めて入った骨董品店で、なんと虎渓の根付を見つけました。

それがこれです。

 

 

 

草履に犬の意匠の根付です。

コロコロとした丸い犬で、子犬のようです。

 

 

 

尻尾がナレでツルツルと光っています。

 

 

 

6月の京都アンティークフェアで、雪斎の「草履に蛙」の根付を

入手しましたが、こちらは「草履に犬」です。

 

 

 

先日、初めて虎渓の虎根付を入手したばかりですが、

驚くことに、何と1ヶ月もしない内に、別の意匠の虎渓の根付を

見つけてしまいました。

毛彫も細かく、虎根付とはまた違った雰囲気があります。

 

 

 

 

これは銘の部分ですが、草履に〜意匠の根付のセオリー通りに

草履の面に四角く銘を入れるスペースを取って、そこに銘が

入っています(雪斎の根付と同じ感じですね)

 

 

 

銘の拡大写真です。

たぶん草書体でしょうか。そうすると虎渓としては壮年以降の作に

なります。

 

 

 

 

 

 

値札をみると、かなりの値段が付いています。強気です。

女店主に伺うと、少し値引きもしてくれました。

ちょっと迷いましたが、これはもう買うしかないと思いました。

 

 

 

 

 

 

ということで、この根付はいま私の手元にあります。

女店主が「長い間ウチにいてくれたけどお別れね」と呟いていました。

きっと店主にとっても、愛着のある根付だったのでしょう。

趣味で集めている品物には、運命的な出会いがあります。

また品物がお互いに引き合うこともあるようです。

この根付、ずっと大事にしたいと思います。

 

 

 

 

虎渓の虎根付ですが、実際に手に取って詳細に見て、

ネットに載っている他の虎渓の虎根付の特徴も調べたりしているうちに、

色々なことがわかってきました。

今回は記録の意味も兼ねて、書いてみます。

現時点で私が感じている虎渓の虎の特徴は以下のような感じです。

 

 

 

髭の表現として、口の上に左右3本づつの髭が彫られている。

また眉の上には、眉毛の表現として、左右3本づつの眉毛が彫られている。(どちらも私の根付にはあり)

目の白眼は目尻まで真鍮が入れられ水滴型(私の根付にはなし)

(奥野秀和著:田中岷江の研究より)

 

 

 

右脇腹に3~4個の窪み(上下方向の窪みで、長さ2~3mmほど)がある。肋骨の表現だろうか?(私の根付にはあり)

 

 

 

口角はニヤけたように波打っており、左右に牙が1本づつ出ている。

(私の根付にはあり)

 

 

 

右足下面に銘あり

虎渓の銘は年齢により楷書→行書→草書と変化する

(奥野秀和著:田中岷江の研究より)(私の根付は行書?)

ペニスの表現は「あり」、「なし」がある。(私の根付にはなし)

 

 

 

足裏の表現は、4本とも指は4つ、肉球の表現は荒々しく彫られたままである。また指と肉球の染めは色が分けてある。足裏の指は楕円形で蚕の繭のようである。(私の根付にはあり)

 

 

 

尾の先は、フサ状になっている。(私の根付にはあり)

 

 

 

背骨の表現がある。

耳は小さく、寝ている。(どちらも私の根付にはあり)

 

 

虎渓の虎根付は当時から人気があったようで、

贋作も多く作られているようです。真贋判定の参考になれば幸いです。

私の根付が本物であることが前提ですが(笑)。

 

 

 

 

 





虎渓の虎根付を手に入れました。



虎渓(上田令吉 根付の研究より)

木刻を以て獣類を多く作る、特に虎を得意とし
虎渓の虎は世に定評あり、又動物などの
うらゆき殊に見事なり。

伊勢鈴鹿那阿野田に生まれ、亀山にて技を学び後、

桑名に住し岷江を理想としてその風を採り之に

写生風を加え会心も作品には岷江風の花押を刻せり。

天明・寛政頃の人なり(刻名、虎渓)



彫りも超絶技巧というわけではないのですが、
実際に手に取ってみると、不思議な魅力が
あります。
岷江に憧れて根付を彫ったようですが、
二人は明らかに作風が違います。

虎の足の裏の表現も、
虎渓は卵がぽこぽこと付いたような表現です。
岷江は野球のグローブのような表現です。







先日入手した福良雀です。有名な意匠の根付です。

自分としては初めて入手しましたが、やはり可愛いですね。

 

 

 

 

福良雀といえば、正直(京都)という有名な根付師ですが、

本物は少ないようです。

当時から偽物が作られていたようで、銘の真贋判定に関して、

日本根付研究会から以下のようなガイドラインが出ています。

 

 

「正直」彫銘の真贋判定における所見ガイドライン

(by日本根付研究会鑑定分科会) 

 

全体所見・配字等 

・京都正直は本人の生存当時から贋物が出回る等真物判定には

 注意を要する。 

・線彫りの太さ(真物は細く均一、贋物は躊躇いながら

 太く重ね彫りした形跡あり) 

・字体(真物は丸ゴシック型、贋物は楷書体又はそれ以外のフォント型) 

・銘の囲い小判(真物は垂直となる側線がなく真楕円、

 贋物は垂直側線部分が大きい草鞋型) 

・小判の半径(真物は長半径と短半径が約1.6の比、

 贋物はこの比に収まらない) 

・小判中の配字(真物は二字を小判上下に大きめに配字、

 贋物はバランスが悪く無意味な空間あり) 

 

「正」字 

・一画目における二画目の左右の位置のバランス 

 (真物は左右対称、贋物は左右に偏りあり) 

・四画目の傾き(真物はやや左方向へ開いた直線、贋物は垂直又は曲線) 

 

「直」字 

・三画目の肩(真物は撫で肩、贋物は直角等) 

・四画目から六画目(真物は水平方向への明確な直線、

 贋物は手癖が反映された不均一線) 

・最終画(真物は水平方向の直線、贋物は手癖の曲線)

 

 

うーん、かなり細かく判定基準が出ています。

ちなみにネットで調べたところ、以下の根付は真正の

京都正直だと思います。(上記の判定基準にほぼ合致している)

 

 

ところで私の福良雀はどうでしょうか?

以下の写真を見る限り、真性の京都正直ではないですね。

銘の字体がそもそも違います。

でも可愛いので、気に入っています。

 

 

 

ネットで雪斎の銘写真を検索したところ、

いくつかの写真が出てきました。

私の雪斎根付の銘とよく似たものがあったり、違うものがあったりで

なかなか確証がつかめません。

下の写真は、BonhamsのHPで見つけたもので、

A wood netsuke of a broken lotus leaf

By Hokkyo Shima Sessai, Echizen, 19th century

と書かれていました。

銘は雪斎刀と彫られています。

私の根付の銘とよく似た感じです。

 

 

下の写真もネットで見つけたものです。

これも私の銘に似ていますが、三国住雪斎と彫られています。

海外のオークションハウスのHPにあったものですが、

説明文は以下のようでした。

WOOD NETSUKE By Mikuni Sessai. In The Form Of A Frog Resting On A Lotus Leaf. Inlaid Eyes. Signed "Mikuni Saku Sessai.

 

MIkuni Saku Sessaiは明かに読み間違いで、Mikuni Ju Sessaiと

読むのが正しいでしょう。

 

 

 

上田令吉著「根付の研究」の記述を再度見てみます。

 

 雪斎

 島と称し、越前三国の人なり。

 越前候に仕え、法橋となる。彫刻に巧みにして、蛇を得意とす。

 明治十二三年頃、五十九歳を以て歿す。

 (彫銘、雪斎或いは法橋雪斎)

 

江戸末期から明治初期の人で、越前三国に住んでいた書かれています。

想像するに、銘はいくつか種類があったのではないでしょうか?

具体的には雪斎、雪斎刀、三国住雪斎、法橋雪斎などです。

 

またネットで出てきた「三国木彫を支えた人々 島雪斎図録」という

昭和52年に福井市立郷土歴史博物館が発刊した図録を見ると、

雪斎は三国木彫の人で、欄間、木鼻、蟇股など建築物の装飾製作が主で、時に根付も彫っていたということが書かれていました。

以下は同図録に掲載されていた三国木彫の系譜です。

 

(島家)雪斎とあり、二人の子供がいたようです。

また志摩家の乗時(初代竜斎)に師事したようです。

 

 

 

 

 

ここで決定的な情報をもたらしてくれた方がいます。

先日の京都アンティークフェアで知り合った根付に造詣の深い方です。

この方から、雪斎銘の蛙根付の写真をいただくことになりました。

その方が送ってくれた写真ですが、富山佐藤美術館の図録です。

その中に法橋雪斎銘の「釣瓶に蝦蟇」がありました。

蛙意匠の根付が雪斎の銘で存在したことが確認でき、法橋雪斎の銘も

私の根付に非常によく似ています。

当初の2つの課題がこれで一挙に解決しました。

この方には本当に感謝しかありません。

 

 

自分の持っているコレクションが一体どういった物なのか?

これを調べるのがコレクターの楽しみの1つですが、今回も

色々と多くの学びがありました。

 

 

 

 

 

 

先日の京都アンティークフェアで入手した雪斎銘の

「草履に蛙」根付ですが、自分なりに調査をしました。

これが私の根付の銘です。雪斎(Sessai)と彫られています。

 

 

上田令吉著の「根付の研究」で調べたところ、

2名の雪斎が載っていました。

一人は島雪斎で、幕末〜明治初期の人、

もう一人が三國雪斎で江戸中期の人です。

 

私の根付「草履に蛙」は裏返った草履の上に、蛙が乗っている意匠です。

これは江戸時代に伊勢参りが流行し、長旅から無事に家に帰る(カエル)ようにとの祈願の意味を込めた根付です。

(裏返った草履=ひっくりカエル=帰る も掛けています)

伊勢根付師、正直派が主に作りましたが、全国の根付師も作っていたはず

です。

 

私の根付は江戸中期に遡るほど古いものとは思えず、島雪斎の可能性が

高いと思ったのですが、以下の2つの点で確信が持てませんでした。

 

1つ目の課題ですが、

島雪斎は蛙の根付を作っていたのかどうか?です。

上田令吉著「根付の研究」には以下のように書かれています。

 

 雪斎

 島と称し、越前三国の人なり。

 越前候に仕え、法橋となる。彫刻に巧みにして、蛇を得意とす。

 明治十二三年頃、五十九歳を以て歿す。

 (彫銘、雪斎或いは法橋雪斎)

 

どうも蛇の根付をよく作っていたように書かれています。

「蛇に睨まれた蛙」という表現がありますが、蛇を得意とした雪斎が

蛙の根付も作っていた可能性はあるような気がしました。

 

2番目の課題は、

島雪斎の確実な銘の写真を入手し、自分の根付の銘と比較する

必要があることです。

 

以上の2つの問題点を解決するために、調査をスタートしました。

(続く)