メイド イン カンボジア

メイド イン カンボジア

カンボジアの首都プノンペン在住。カンボジア人と結婚した日本人の、日々の愚痴や体験、育児を中心に、アジアのことを感じたままに書いてます。

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現在、関東では原子力発電所が一部稼動不可で、電力不足のために計画停電が行われています。
各県、各市町村がそれぞれ東京電力によって分けられ、毎日違う時間帯に停電するというものです。

この計画停電に、日本人は少々驚いたというか慣れないことに戸惑ったようです。
かくいう私も日本人ですが、カンボジアに住んでいた際には、前もって告知もされずにいきなり停電させられるといった生活をしてきたため、正直「ふーん・・・」としか思いませんでした。
強いて言えば、まだ肌寒い季節なので暖房が付けられない(小さい子供もいるので)のが少々辛いかなといった具合でした。
でも避難所暮らしの方と比べたら、本当に幸せな生活環境です。

あらかじめ何時から何時まで停電する、と知らされてある計画停電なのでいちいち大騒ぎする必要もないと思っていました。
電気が止められる時間に合わせて、ご飯を作ったり、お風呂に入ったり、仕事をしたり・・・。そして何よりも日ごろからの節電。

テレビの街頭インタビューでも、電気のありがたさを知った、というコメントをした人も見ましたが、まさに地震が起きるまでの日本は本当に豊か過ぎて、無駄にするのがあたりまえといったステータスだったように思います。
その点、私はカンボジア生活で「貧しい」という生活を経験し、目の当たりにしたので、今回のようなギャップにも上手く溶け込めたような気がしました。

電力が回復しても、今のように節電や豊かな生活にありがたさを、忘れないで持ち続けて欲しいと思いました。


そして、今回感じたこと。それは政府の対応の遅さや、東京電力の不誠実さ。
救急隊や自衛隊が救助に向かったのはいいとして、避難所にいる方たちが何を欲しいか、それを確実に届けているかというのに、もどかしさを感じました。
避難所に居る人は、何が欲しいかと聞かれる度に、どれが欲しいと伝えているそうですが、欲しいものがちゃんと届いたということは少なかったそうです。
日本中の人が義援金や救援物資を送って、世界からも救援物資が届いているのに、なぜ被災地に届かないのか?
もちろん、どこの避難所にどれだけのどういう人がいるということを把握するのは難しいと思いますが、基本的な物資(水や食料)以外にもミルクやオムツ、衛生用品や薬、毛布や灯油といったものをちゃんと届けて欲しいと思いました。
避難所に居る産まれて間もない赤ちゃんを連れたお母さんを見ると、今すぐにでもオムツやミルクを届けたい、そう思いました。お腹一杯にならないとすぐ起きて泣いちゃう赤ちゃん。おしりもきれいにしていないと病気なってしまうかもしれない、でも替えがないオムツ。

今まで日本では、新潟中越沖地震や阪神淡路大震災など多くの災害を受けていますが、確実に乗り越えています。素人の感覚でえらそうなこと言ってますが、それらの経験を今回の政府は生かしていないと思いました。


東京電力については、最初、私は原子力発電所が地震や津波によって正常に働かなくなったのなら仕方ないと思っていました。
ですが、ニュースでは専門家が大地震にともなう津波の被害想定を、かなりまえから指摘していたにも拘らず、被害は少なくて済むと自己判断を下し、結果として危険なレベルにまで発展してしまいました。
そして度重なるデータ公表の遅さや誤り、被爆者を3人出してしまったり。
ついには電気料金を上げるとの見方もあるそうです。これは電気料金を上げれば節電につながるという、東電の勝手な判断。
ですが、これは言い訳で、今回の大赤字等に埋め合わせるための資金を調達したいのでは?と思っています。

これから東電はどうなるのでしょうか?
日本の電気はどうなるのでしょうか?


あの大地震から約2週間が過ぎました。
毎日が津波の被害と亡くなった方や行方が分からなくなった家族の捜索などのニュース。
新聞で見るドキュメントは、毎回読むたびに涙が出そうでした。

亡くなった人の中には0歳の赤ちゃんが含まれていたり、妊娠中の奥さんがいたり・・・中には自宅で飼っている犬を(津波の前に)放してくるといって、行方が分からなくなった方もいたり・・・。あの津波が押し寄せている真っ只中に、こうしてこんなにその場その場にたくさんの人たちの想いや行動があったなんて、ただ生中継を見ていることしかできなかった私には想像もつきませんでした。

未だに原子力発電所から20~30キロ範囲は屋内退避や自主避難で、行方不明の家族を探そうにも近づけない状況です。
自分の家族じゃなくても、そういう悲しくて辛くてもどかしい状況を思うと、本当に涙が出ます。
瓦礫や廃車となったの山も、瓦礫じゃなくて、被災にあった方の思い出の品や財産なので、なかなか撤去が進まずそして復興もなかなか進まないそうです。
確かに自分の大切なものがどこかにある!と思うと、重機などで簡単に廃棄はしてほしくないですね。
それでも被災した方は、避難所生活に変わりはありません。

本当に早く、今のこの状態から少しずつでも良くなっていってほしいと思うばかりです・・・。


私の母の実家は茨城県高萩市で、親戚の人も住んでいるのですが、地震が起こった当初はお皿は落ちて割れるわ、飼っている金魚の水はこぼれるわ、ガスや水も止まっているわだったそうです。
地震発生から10日ほどしてお墓にも行って見たそうですが、どこのお家のお墓も墓石が落っこちていたりと、めちゃくちゃだったそうです。

みなさん、ご無沙汰してます。camjapです。
訳あってブログの更新ができませんでした。

今月の11日3時ごろに起きた地震。
まさかこんな悲劇的な結果になるとは思っていませんでした。

学生の頃、阪神淡路大震災のニュースを見てから、小さな地震でも(「直下型」の地震にならないか)ドキドキするようになりました。
11日のあの時間、私は娘を昼寝させていました。寝かしつけて10分ごろ経ったでしょうか。
小さい頃から経験してきた「普通」の地震。
地震が収まるまでしばらく様子を見ていたのですが、なかなか収まらない揺れ。そして揺れが大きいものの、激しくはない横揺れ。例えるなら貧血や立ちくらみのような、ゆったり、でも大きな揺れでした。
そして、次第に家具も音を立てて揺れ始めました。
「これはヤバイ!」と思い、寝付いたばかりの娘を抱っこし居間にいるはずの母を捜しました。
いない!

もしかしたら自宅から数メートル離れた家庭菜園に行っているのかと思い、サンダルを履いて娘を抱っこしたまま畑へと行って見ました。
そこにも母はいない!
いつもいるはずの母がいないのにちょっとパニックを起こしかけました。
とりあえず家の中にいても恐いので、そのまま外で様子を見ることにしました。
その間も立ちくらみのようなゆら~っとした大きな揺れ。でも360°、家や窓からは揺れから生じた音がガタガタと鳴り、電柱も大きく揺れ、外に駐車してある車も左右大きく揺れ、道路を走っている車でさえも緊急停止していました。
この揺れの長いこと。
正直、ああ、このまま死ぬのかなという恐怖心に包まれました。

しばらくすると母が2階のベランダから近所の人と話をしているのが聞こえました。
母に危ないからすぐ外へ出てくるよう言いました。
どうやらちょうど洗濯物を入れようとしていたようです。

そして揺れも収まってきて、娘と母と家の中に入りテレビを見ました。
とにかく早く、今何が起こったのか知りたかったです。


ニュースを見ると、最高震度7の場所をはじめ、震度6強や6弱・・・と、広範囲で大地震が起きたことが分かりました。私が住んでいる埼玉南部は震度6弱で、私自身も人生で初めてあんな大きな揺れを経験しました。
ニュースを見ながらもまだ心臓はドキドキしていました。
とにかく恐かったです。
ニュースを見ていた間も、2回ほど大きな余震があり、その日から地震にはすっかり恐くなってしまいました。

しばらくして津波が来るという情報。そして生中継。
正直、テレビで見た限りでは津波はそんなに大きくなさそうで、みんな高いところに非難していたと思っていました。

田んぼや畑が流されてしまったけれど、きっと津波に遭った人はいなそうだとばかり思っていました。
誤解のように聞こえるかもしれませんが、人的被害がなさそうで良かったというプラス的考えです。

しかし、時間が経つにつれひどい映像が流れて来ました。

結果としてたくさんの人が津波によって亡くなったことが分かり、あの生中継されたまさにあの時にたくさんの人が亡くなったのかと思うと本当に悲しくなって来ました。
自分の住んでいる場所から来るまで数時間行ったところの実状況。
ほんとうにひどいと思いました。
私に「力」があったら本当に飛んで行って、たくさんの人を助けたいとも思いました。
ニュースを見るたび、辛くて、悲しくて、そして自分自身も受けた地震への恐怖。


今回の大震災にたくさんの国からの援助がありました。
本当にありがたいと思いました。
貧しい国からも義捐金を頂き、あの北朝鮮からもお見舞がありました。
数年前に、海外への援助=税金の無駄遣い等で政府が批判されたこともありましたが、今、その援助が報われた、無駄じゃなかったと実感しました。
次々と日本に援助に来る国、物資を送ってくれる国をニュースで聞いて、本当に心が温かくなりました。
世界中が日本を助けてくれている。これってすごいことですよね。本当に有難いです。


昨日は娘の予防接種「麻しん・風しん」を受けてきました。
最初は総合病院で受けようと思っていたのですが・・・予約してないのと、母が私の弟のときに利用していたという病院があったこともあって、個人診療所へ変更しました。

病院に行く前にはデパートへ寄ってから行ったのですが、デパートから病院に行く途中で娘がウトウト・・・。あー、こりゃ注射を打ったらもっと機嫌が悪くなるなーなんて思っていたのですが、病院についたらちゃんと起きてくれました。
ここの先生も結構いい人で、カンボジアで受けた予防接種についての不安も相談させてもらうことができました。
ヒブや肺炎球菌の注射も受けたほうがいいとのアドバイスももらいましたが、日本だとそれぞれ9000円と7500円だそうで・・・。でも、まぁ、公費(無料)では受けられないのは知っていたのと、カンボジアで受けようという密かな計画で、心の準備はしていました。それにしても高いなー。

家に帰ってからは、いつもよりやや早めにお昼寝へ突入。夜の就寝もいつもより早め。
あー、注射の副作用ってやつかな?と気づいたのは夜中に急に上がり出した熱!熱さまシートが買ってあったのを思い出して、娘のおでこにピタッ!パー
娘はちょっと気になるようだったけど、いくらか楽にはなったはず。
そんなで、一日経った今日はろくに寝てない時間を取り戻すかのように、午前も午後ごろごろしてました。

今回日本に戻ってきた目的のひとつ、娘の予防接種はやっと完了!!チョキ
子供が生まれたら、予防接種の計画を立ててから終わるまで、本当に気が気じゃないですね。今はやるべきものを一旦終わったので、本当に達成感!!あとはカンボジアに戻って、ヒブと肺炎球菌の注射をだんなと相談したいと思います。

そして、カンボジアに戻るまであと1ヶ月。
カンボジアに持っていくものを、自分と娘を中心に買いまくり。
でも・・・ふと思い直す物がいくつかある・・・。
例えばザルとか、スライサーとか、吸盤タイプのタオル掛けとか、とか、とか・・・。主に台所用品なのだけど、何でわざわざ日本から?
それは、カンボジアでわざわざ見つけるのが大変だから、意外と高いから、とかの理由があります。
日本って、本当に便利グッズってたくさんありますよね。それで100円で買えて、可愛いデザインで。カンボジアでは質がいい=外国製品→超高いです。それでいてデザインはいまいちのとかあります。

他にも日本からカンボジアに持って行った物がたくさんあります。
菜ばし、麺棒、大根おろし、皮むき・・・・あと忘れてしまいました。ですが、忘れてしまったというのは、普段台所においてないからなんです。使われて嫌なものは、自分の部屋に隠してあります。
菜ばしはいつもおいてありますが・・・一度義弟に、私の日本から持ってきた普通の箸を菜ばし代わりに使われてすっごいムカついたことがありました。
だんなの家族って、基本、あるものは使うけど、ないものをわざわざ買ってくるという発想はありません。
私のコップだって、フォークだって、勝手に使います。

使うなら最初から買えよ。

とか思いますが。
そして

使ったなら片付けておけよ。むかっ

とも思いますが。
私、心が狭いでしょうか?

そのくせして、私が日本から持ってきたものに対して「わざわざ持ってきて」とか「カンボジアにだって売ってるのに」とか心の中で思ってるんでしょうね。

だから、そう思うなら買ってくれ!!パンチ!

さて、日本滞在あと1ヶ月。まだまだ日本からカンボジアへ持っていく日用品を求めて、買い物を続けていきたいと思います。

前回、義妹の記事を書きましたが、そのプノンペン滞在中に、子供用のデカい車を購入していきました。
ラジコンタイプだけど、ちゃんとアクセルもあるんですよ。



値段を聞くと100ドルちょっと。


ちょっとっ!



チョット!


チョット!!高くね!?えっ



下こんなの。













メイド イン カンボジア
仲良く3人で・・・。音楽やらクラクションやらもついているのですが、とにかくヤカマシイ。

(左奥にある大量の荷物は、義妹のお店で売る商品。右側にある娘のベビーカーは、一旦荷物置き場と化しています・・・。)



でもさ。
実家って・・・・・・・こんなデカイ車を乗り回せるような場所あったっけはてなマークはてなマーク

家の前は主要道路で、トラックやタクシーがびゅんびゅん通ってるし、微妙な坂になってるし、なんといってもお隣さんとかとレンガで低い仕切りができてる。




そして実家へ戻る日、義妹はだんなと義弟にこの車を後で(乗り合い)タクシーで送る手配をして、と。
なので、それまでうちの娘にあそばせてました。


最初はビビッて触るのも嫌がってたのに、だんだんと慣れてきたのか、次の日(車を送ってしまう日)にはすっかり慣れてとても楽しんでいるよう・・・







  メイド イン カンボジア
こんな笑顔ができるまでに(この時、ちょうど停電でした)音譜
こんな笑顔にはやっぱり弱い親心。

買ってあげたいけど・・・・・100ドルちょっとは・・・




やっぱ無理っしょ。