始めがあれば終わりがある
いつの世も,文化も人種も問わず存在する,普遍の真理です。
私も前身バンドTheFLAPSというのと決別しまして,現在活動しています。
ただ,私の作った楽曲は形を変えて今の「カミナル共和国」で生き続けています。
その代わり,メンバーには非常に厳しい要求をしているつもりです。
「FLAPSを真似するな。ぶっ壊せ。」と。
前身バンドでは様々な試行錯誤を行いました。
バンドとしては異例のラジオ制作,数々の動画広報,各種イベント企画,自主制作など。
楽しかったし,満たされたものがありました。
しかし,ブランドを終いざるを得なくなりました。
所詮身内の悪ふざけのようなものでした。
続けるうちにモチベーションがなくなったのです。
かけた労力に対して時間が長すぎたという,コスパの悪さもそうですが,
メンバーとともに目指すべきビジョンの不一致が大きかったと思っています。
ですから,別れを選びました。
別れを告げなければ次には進めないからです。
私なりの「けじめ」です。
けじめとは囲碁の言葉だそうです。
対局の終盤で勝敗をはっきりさせる様からきた言葉のようです。
かつてTheFLAPSに最も心血をを注いだのは私ですが,
今では世界一のアンチTheFLAPSです。
そのけじめがなければ,また同じ失敗を繰り返すだけなのでしょう。
幸いに新バンドにもメンバーが集ってくれました。
ただ,FLAPS時代のやり方,考え方は徹底的に壊しています。
音楽が軸。音楽でしかファンの皆様に貢献できない。
FLAPSとは徹底的にその差をつけていきます。
寿司屋だったら寿司だけに全神経を集中させればいいのです。
昨日食べたハンバーグが美味しかったからと言って,ひき肉をこね始める寿司屋に行きたくはないでしょう。
少なくとも私はそのつもりでマネジメントしていきます。
なぜこのようなことをわざわざ書き記したか。
理由は2つあります。
(1)傷つくことを恐れる今の風潮の中で,敢えて傷つきにいく。
(2)あとさき逃げないための宣誓として。
別れとは傷つくものです。
ただ,別れがなければ始まりもない。
女に振られたあとの男磨きのようなことを,バンドでできなければ,
我々の音楽で傷ついた心なんぞ救えないでしょう。
そして,その精神修行から逃げるような甘い快楽に溺れてはならない。
今後バンドが何年続くか知りませんが,その戒めとして書き記しました。
音楽を生み続けることは決して楽ではないし,面白くないこと,気落ちすること,頭にくることが9割です。
それでも音楽でなければ見られない景色があります。
音楽でなければ救えない心があります。
そんな新アルバムが年内に登場するでしょう。
どうぞお楽しみに。
ほりい