50周年のビートルズがなぜすごい?が、わかる10の事件 | カミナル共和国の建国日記

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4人で国づくりを始めました。音楽は作れるけど,国づくりって思っていたより難しいですね。
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国民の皆さん

こんにちは。カミナル共和国のほりいです。

 

世間ではビートルズの50周年ということで数々の偉い方々が対談などをされています。

 

すごいんだろうな~と思いつつも、マニアックすぎてついていけない、、、古典文学を読むようで現代派の自分にはちょっと、、、そういう抵抗もありますよね。

 

私もビートルズには詳しくありません。現役世代の方々に比べれば、歴史の教科書で知ったレベルです。

 

ですが、詳しく無いなりに10の事件を紹介します。

え~!って思うこともあるかと思います。音楽にちょっとでも興味のある人なら、まるで、ショーンKが高卒だと知った時くらいの衝撃があるはずです。

 

【ビートルズがなぜすごいか?】

 

1.入り口はアイドル、出口は宇宙人事件

この4人。デビュー当時はアイドルでした。

それが、8年後には、アクの強い、難しい、近寄りがたい、でも天才的(後述)な4人のおっさんになるんです。

これで26歳とか28歳なわけです。

デニーズでお茶しても5分すら会話が成立しなさそうです。そのアクの強さが歴史を生んだのでしょうね。

 

2.自分たちの曲は自分たちで作るから(先生、帰ってくれ)事件

弱冠18歳前後の少年がアイドルとしてデビューしました。当時は作曲の先生、作詞の先生が曲を作ってくれて当たり前の時代です。

しかし、この4人が当時言って曲げなかったことは「自分たちの歌は自分たちで作る。」

自分たちに絶対的に自信のある「何か」を持っていたのでしょうね。

 

3.アルバムにコンセプトを持ち込んだ事件

当時の普通のアルバムは、単に寄せ集めの意味でしかありませんでした。

先生方に作っていただいた1曲1曲を、練習して、歌って、様々なバージョンを試して。

それを10曲集めるだけでも大変だったのです。

 

しかし、彼らはさらにその上を行きました。

「もしも架空のバンドがショーをしたら?」という発想で十何曲も作成。

 

 

1曲ごとのコンセプトがまったく自由で柔軟性がある歴史的なアルバムです。

このようなアルバムにコンセプトを持ち込むのは世界最新鋭だったそうです。

 

4.出演?時間無いからビデオでいい?事件

今でこそ当たり前のPV、MV。これを当たり前にしたのも彼らでした。

テレビが絶対的なメディアだった60年代。呼ばれたら必ずスタジオに行くのが当たり前の時代に、彼らは「忙しすぎるよ」という理由でビデオに代理出演させたそうです。

これがPV、MVの元祖なんだとか。

 

5.プログレ、ヘビメタの種っぽいものを作ってしまった事件

中学の教科書に載っている「イエスタデイ」。あれを作ったおっさんがヘビメタの種まで作っていたのはご存知ですか?

https://youtu.be/JVxJtBWki8g

実験的な電子音楽のコラボなど、誰もやっていないことは片っ端から試しました。

それが、今のプログレやヘビメタなど、派生ジャンルの発展に影響したそうです。

 

6.「サビ」らしき泣かせどころを持ち込んだ事件

曲作りの点では明らかに革新的でした。

当時の歌の定番といえば、同じフレーズを5番、6番まで繰り返すスタイルが主流。

童謡の「森のくまさん」みたいな感じです。

しかし、彼らは「森のくまさん」の定番フレーズの後に、明らかに泣かせどころを含んだフレーズを持ち込みました。よく言う「サビ」ってやつです。

しかも、ビートルズの場合はAメロとサビの違いがそんなにありません。

どっちがサビなの?とよく言われるほど、インパクトのある贅沢な構成。それが彼らの曲の魅力だと思います。

 

 

7.パクって遊んで本家に勝ってしまう事件

1年で30曲も40曲も新曲を発表するスピード感。それもありきたりな「恋」だとか「震える」だけではないのです。

じゃ、どうやって曲を発想していたのかというと、基本的に冗談だったようです。

ある日モータウン系のブラックミュージックを聞いていると、「こういうベースありそうじゃねぇ?」って感じでふざけ半分に弾いてみる。

それが、曲になっちゃうんです。

https://youtu.be/8Ts2U1mkfz4

 

またある時は、ライバルバンドに「back in the U.S.A」という人気曲がありました。対抗して、当時冷戦で対立関係にあるソ連(USSR)を使って冗談半分に「back in the USSR」とした曲もあります。

https://youtu.be/P3DrLiEJi30

 

 

8.心の闇も全部書いてる事件

若くして大切な仲間が亡くなってしまった。気が狂いそうなほどとても理不尽で不当な扱いを受けた。そういう思いもストレートに曲にしてしまいます。

 

(あぁ、あの子死んじゃった・・・の歌)

https://youtu.be/GIjm50FQ8WE

 

(ちくしょう、ふざけやがっての歌)

https://youtu.be/fcijcs3Fy-Q

 

曲を作る動機が「お金儲け」ではく、真に心の叫びだったんですね。実にロック。

 

9.文字通り七転八倒な事件

ポール・マッカートニーというおっさんがおりますが、この方が実に不思議。

ビートルズで世界の音楽シーンを欲しいがままにした30歳目前の折、しかし仲間内の亀裂は深刻でした。

裁判で3人を敵にまわし、誰よりも愛していたビートルズを解散。その後農場に引きこもります。

「ビートルズの曲は封印」というコンセプトのもと、1からメンバー集め、曲作りをし、トラックで大学に乗り付け「ライブをやらせて欲しい」と直談判。

その後、30代のポールが作ったバンド「wings」は世界ツアーを行うほどに成長します。

 

しかし、大麻所持で逮捕。親友の不慮の死。パッとしない企画の失敗。愛する奥さんの死去。ポールの40,50代はスポットライトの当たらない時代となります。

 

なのに!!この人は「ライブしたい病」でしょうか。60代でまたワールドツアーをスタート。今でも現役で世界を飛び回って音楽を届けています。

 

 

10.何食ってんだ?不死鳥のプロ事件

73歳になって約3時間休憩なし、水分補給なし、口パクなし、イヤモニなしで50年前と変わらないキーでシャウトする。

化け物です。

 

日本の落語界では70代でも現役の師匠はいますが、音楽となると少ないのでは。

まして若者の20,30代のアーティストでもポールのパワーと技術には敵わない部分も多々あります。

 

まさにプロの鏡。

私たちも心身からプロでありたいものです。

 

 

 

ビートルズについて聞いたこと、思ったこと、つらつら書きました。

音楽を聴く楽しみは「知っている」「売れている」だけではありません。

様々な聴き方で歌い手とシンクロすると、生きている意味がより豊かになってきます。

 

そんなことをビートルズ来日50周年に感じていただけたら良いのではないでしょうか。

我々カミナル共和国も精進いたします。

引き続きの応援よろしくお願いします。

 

 

 

ほりい