母の米寿のお祝いに、母のことを精一杯思い出した! | アドラー心理学×介護 で 目指せ‼︎!明るい介護生活!〜介護は辛いの常識にしばられていませんか?〜

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アルツハイマー型認知症の母を自宅で介護中!
介護に活かすアドラー心理学などをお伝えしてます。

今日は母のお誕生日でした。

88歳、米寿の歳ですね。


お祝い…したいけど、

会えないので

どうしようかなぁと悩み

今日は母のことを精一杯

思い出すことにした。👍


いつも、このブログでは

毒親的存在の母だけど

そうなったにも理由があるんだよね。


それが、理解できるようになったことで

母への想いが変化したんだよな。


お嬢様育ちだった母。

戦争で人生が一変。

その上…

10歳までひとりっこだった母に

立て続けに3人の妹ができ

突然思いがけず

「お姉ちゃん」になった母は

我慢することが増えたんだって。


母は頭の回転の速い人で

負けず嫌い。

だから、文武両道で

足も速いし、成績も良かったとのこと。

だから、そのころは

あまり女性は進学しなかった大学に

進みたかった。

同じ歳の従姉妹は進学し

自分は経済的な理由で諦めざるを得なかった。

そりゃ悔しいよ。


その悔しさを心に残したまま…

時代の移り変わりもあり

その後、3人の妹は大学に進学。

進学に際して、祖父母はとても力を入れていたと

感じて悲しかったんだって。

だから、妹たちには罪はないけれど…

「私は大学に行きたかったのに、行かせてもらえなかったのに、あなたたちは行けてよかったわね。」と

嫌味な感じで事あるごとに言ってしまってた。


何かあると

その話しになるから

父と私は

「そんなにいきたいなら、今から行けばいいんじゃない?何学部に行きたいの?応援するよ。」

と何度も声をかけたけど

母の返事は毎回決まって「そんなことじゃないのよ。」と不満顔。


法事の時にも

四姉妹集まると

必ず「あなたたちはいいわよね、大学に行けて、私は諦めたのに。」と話し始める母。

叔母たちは、困っていたと思う。

私が少し大人になった頃

法事の後に

「そろそろやめたら?

妹たちは悪くないでしょ。」

と意見すると…

「お父様もお母様も、私を大事にしてくれなかったのよ。あんなに行きたいとお願いしたのに。私にだけ、愛情が少なかったのよ。」と泣いた。


それを聞いた時に

あぁ、母は大学に行けなかったことというより

その出来事から

両親の愛情を疑い始め

もっと欲しかったと訴えているんだなぁ。

と気づいた。

それさ、妹や私じゃなくて、空に向かって言わないと解決しないやつだね。


だからさ、

母は祖母に喜んでほしくて

褒めてほしくて

一生懸命に生きてきた人なんだよね。


その母が産んだ

待望の娘の私。


自分がやりたかったことを

させてあげたい!

とものすごく熱心になっていた。


ピアノ、英語、絵画

これ、母がやりたかったことじゃないかな。


結構小さい時から

習い事してたよな。


でもね、残念ながら

絵画のセンスはイマイチ

ピアノもあまり好きじゃない。

娘の私にとっては

苦痛だった。


字も雑で

走るのも遅い。


これはさ、身体がよわいからと

小さい頃外に出ずに

過ごしてたことも

原因なんじゃないかと思うけど…


「私に似ればよかったのに。

これはパパの遺伝子ね。」

ある日突然、言い放った母。

(ここだけの話し、父は字が雑で走るのも遅かった。😅やっぱり、遺伝か?😂)


あ、だめだめ。

また、disっちゃう。


母は良妻賢母。


父の後ろを控えめに歩き

娘にも、たっぷりの愛情を与えてくれた。


料理も上手で、

よく手の込んだ料理を作ってくれていた。

私が成人する頃までは

お店でお惣菜なんか

ほとんど買ったことないんじゃないかな。


家の中もいつもピカピカ。

ガラクタだらけで片付かない私の部屋も

学校から帰るときれいに片付いていた。


で、小さくおりたたんで隠していたテストが

きれいに広げて机に置いてあったり、


引き出しの奥に隠していた男子との交換日記の

赤面するページが広げられて置いてあったり


読んでみなよと貸してもらった「風と木の詩」

(内容的に…小学生には早いやつ)

全巻が隠しておいたはずなのに、 

しっかり目のつくところに出してあったりした。


で、「ママに隠し事しても、お見通しよ!」

なんかの漫画のセリフみたいに

茶目っけたっぷりに言ってくるが

ツッコミづらいじゃん。


あ、また脱線してる!

戻せ戻せ。


洋服も何枚も

手作りしてくれた。

高校さ時代

NON-NOの表紙になったセーターかわいい!

って言ったら

自分で編み図作って

1週間後にはできていた。


人形を作らせても

ちぎり絵をしても

書道でも

刺繍でも

編み物でも

パッチワークでも

なんでも上手だったよなぁ。

几帳面なの。

角とかがピッと合う人なのよね。


それから

祖父の看病

祖母の介護

母の叔母の介護

熱心にしていたよね。

優しい人だった。

よく気がついて…。

いつも一生懸命だった。

自分を犠牲にしてまで…。




お母さん

お母さんはお母さんなりに

愛してくれていたんだよね。

わたしのこと。

精一杯。


孫のことも

可愛がり

本当によく面倒をみてくれていたよね。


ありがとう。

本当にありがとう。


最近好きな歌の歌詞で

「あなたの覚悟がこのボクだから…」

というところがね

しみるんだよね。


母が

母なりに

精一杯育てようと

覚悟して抱きしめたのが

この私なんだ。


今私が幸せだということは

母にとっても…

幸せなことだよね。


ありがとう。

お誕生日おめでとうございます。


早く会える世の中になりますように。