こんばんは、カメしょうです。
 

普段は
メタバースの世界でカメラを回したり、メタバースのTV番組制作をしたりと、「仮想現実」の中に居場所を作っていますが、一歩VRゴーグルを外せば、そこには「介護」という地続きの現実があります。

 

ある日、ふとパソコン作業の傍ら気分転換に窓を開けてみると、ご近所から大きな話し声が聞こえてきました。 どうやら最近、ご高齢の方が要介護状態になられたようで、それを支える娘さんの声のようでした。
 

以前は、

とても穏やかなご家族の印象だったのですが、ここ最近は、娘さんの激しい怒りを含んだ口調が、窓越しに伝わってくることがあります。


「どうして○○なの!」 「なんでできないの!」
 

その言葉だけを聞けば、部外者は「言葉の暴力では?」と感じてしまうかもしれません。でも、私にはどうしても彼女を責める気にはなれませんでした。

なぜなら、かつての私自身が、全く同じだったからです。

 


「余裕」なんて、どこにもなかったあの日

数年前、

私は両親を同時に自宅で介護していました。 自分の仕事もままならない、自分の時間なんて1分もない。 やるべきことが山積みで、片付かない家事と仕事への焦り……。

 

その苛立ちの矛先は、結局、

一番身近にいる「どうしようもない状態の両親」に向かってしまいました。

 

仕事先で、同僚や後輩にアタるわけにはいきません。 ケアマネさんやヘルパーさんの前では「良い家族」を演じることに。 そうなると、出口を失った感情は、一番甘えられる(そして一番手がかかる)親にぶつけるしかなかったのです。
 

当時、きっと我が家からも私の怒鳴り声が漏れていたはずです。 驚かせてしまったご近所さんもいたでしょう。
 


受け止めてくれていた、親の優しさ

今振り返って、胸が締め付けられる思いがすることがあります。 私が声を荒らげても、両親は反発することなく、ただじっとそれを受け止めてくれていました。

 

「ダメな親でごめんね」と言わんばかりのその姿を思い出すと、なんて悪いことをしたんだろうと、いたたまれなくなります。両親それぞれも、思うように体が動かず歯がゆい思いをしているのは、私にも見て取れました。本人たちもイライラすることがありました。
 

でも、あの時の自分は、そうでもしないと壊れてしまいそうだった。 それもまた、一つの真実です。
 


「何か手伝いますよ」と言えない距離感

今、お隣から聞こえる声に、私は「大丈夫ですか?」と声をかけることはしません。 なぜなら、介護の当事者にとって、部外者からの「手伝いますよ」は、時に残酷に響くことを知っているからです。

身内でもない人に、弱みを見せたくない、家の事情をさらしたくない。
何もできないダメな人間と思われたくないプライド、、

もう限界を自覚していても、何を頼めばいいのか。
そう思ってしまう気持ちも痛いほどわかります。


今の私にできることは、ただ静かに「見守ること」だけ。 もし本当に行き詰まった時、何か具体的なSOSが出た時がもし来たら、手を差し伸ばせる準備だけはしておこうと思っています。
 


介護の中でも「自分」を捨てないために

今の社会、向こう三軒両隣、チョット外に出れば介護にあたる時代です。 若い方だって、突然その当事者かもしれません。
 

私は、あの時の暗闇から救ってくれたのは、ケアマネさんたちの存在と、そして何より「メタバース」という自分の居場所でした。
 

もし、今これを読んでいて、誰にも言えない苛立ちを家族にぶつけてしまっている方がいたら、伝えたいです。 「あなたは一人じゃないし、あなたは悪くない」と。


自分を責める前に、少しだけ、その場から離れてみてはどうでしょう? 
その「少しの離脱」を叶えてくれる場所を、私はメタバースの中に見つけました。


そんな方が、
自分を見つめ直す時がきた時に、自分を責め過ぎないように願っています。