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先日、お世話になっている福島の写真店の方から、
北海道東川町の飛彈野数右衛門さんが紹介されているビデオを貸していただきました。

すでに3回見ました。子供にチャンネル権があるので、いつも夜遅くに見ます。

(以下、3月20日9時、追記です)
<撮影された写真について>
戦争に関しての一連の写真は、戦争をしらない私にとって、とてもリアルに感じました。
戦地へ送り出すときの飛彈野数右衛門と書かれた複数の旗を画面で見たときは、驚きました。
当時の方が見れば、当たり前の光景かもしれませんが・・・、複雑な心境です。
また、戦地へ向かう船の様子は、多くの若者が甲板で寝ている、または、休んでいる姿でしたが、多くの方が戦地で亡くなられたのかと思うと、とても悲しくなりました。
これも記録・写真があるからこそ、今、戦争を知らない人が見ること、感じることができるのだなと思いました。

<写真家の勇崎哲史さんのコメントについて>
司会者からの、どうして人はアルバムを作るのかという質問に対して、
勇崎さんは、
人には、人生の思い出を残しておきたいという本能がある。
過去を振り返ると、過去があって、今があると感じる。
「今を驕らない(おごらない)、謙虚にさせてくれる」
アルバムには、そのような力がある旨の回答をしていました。

これもまた、すごい言葉と感じました。

良いビデオは、何回見ても、良いです。NHKの新日曜美術館でした。

※写真も、入れ替えました。フィルムをスキャンした1枚です。

(以上、追記終わり)


とても良い内容で、これから、私も住んでいる地域の方々や地域の様子を「記録」として残していかなければならないなーと感じました。

さっそく、行動にうつしてみました。

名前も、また、どこに住んでいる子かも知らない、小学生3人組が遊んでいたので、
「写真とってもいいかな」と言うと「いいよー」と気持ちよく答えてくれました。

私にとって、村を記録する記念の一枚、スタートの一枚は、

子供たちを、マニュアルカメラとモノクロフィルム、自分現像、自分プリント、そして、写ってくれた子供たちに写真をあげる。と心に決めていました。

記録であれば、カラーネガ、デジタルカメラ、動画・・・何でも良いのですが
一枚目だけは、一枚目だけは、昔のカメラを使って撮影していた飛彈野数右衛門さんの、撮影の時の気持ちを少しでも感じたいと思ったからです。

ジュースを飲んでいる子供たちに並んでもらって、
シャッタースピードを確認し、レンズの絞りリングを、だいたいこれぐらいだろうとまわし、おおよその構図を決め、ピントを子供たちの顔に合わせ、両目で見ながら、このしぐさ、この顔だという時、シャッターを押しました。念のため、絞りを1段ほどあけ、もう一枚カシャ。

「どうもありがとうね」といって、撮影が終わりました。

とても緊張しました。ちゃんと写っているのかなーとも不安になりました。

ここまでは、最高の展開でした。


もしかして・・・、そう思った方もいらっしゃるのでは・・・・・。

そうです、あの現像に失敗した、あのすっぱいフィルム、に記録されていたのです。

スキャンはできたので、なんとか、プリントはできそうですが・・・
フィルム自体は、長くもたないと思います。

わたしの一枚目のこだわりは、まだ、途中です。
プリントが、どうでようとも、子供たちには、手渡ししたいと思います。

※子供たちが写っている写真は、ホームページには、のせられないので、地域の様子も記録にという気持ちで撮影した写真です。スキャンしたすっぱいフィルムの1枚です。

これからも、失敗にめげず、がんばっていきたいと思います。