
宇都宮市の西原地区に六道と言う通りがあり
以前は六つにわかれた辻通りがあり今は
道路整備があって少し変わっている
この六道通り交差点に戊辰役戦士の墓がある

交差点から見える周りの様子

明治新政府と旧江戸幕府諸藩との戦争で
会津藩(東軍)と薩長藩(西軍)は戦い
東軍は晠軍となり放置され近所の人々の
有志等により葬られ東西軍合祀され墓碑が
後日作られ伝承されている
西軍は各お寺にも埋葬されたという

六道の戊辰役戦士墓に記念碑が作られ
お墓には有志によるお花が上げられている

その周りにも木が植えられ花が咲いている
六道辻 戊辰役戦士墓
場所 栃木県宇都宮市西原1丁目5
六道通り 交差点近く
墓前祭 旧暦4月23日に行われる
新暦とは日にちが違ってくる
六道 墓碑文には
戊辰役戦士墓
明治100年祭 記念碑
明治戊辰の役官軍に属して勇躍出陣した宇都宮藩兵は
9月4日会津城下飯寺(にいでら)村において越後長岡藩兵と
戦い本藩戸田三男隊が敵将山本帯刀及び部下78名を捕え
軍監中村半次郎(後の桐野利秋)の命により帯刀を薩州隊に
移し兵たちを斬った彼らは首の座に臨み計200両を集めて
処置を三男に委せ従容として斬られたが実にこの墓こそは
これを基金としさらに三男ら士民の義心により長岡藩将兵の
亡き霊を弔らい併せてこの地六道口の激戦における
会津藩等戦没幕兵を合葬した仁俠悲涙の結実である
(官軍戦死者はすべて官修墳墓として各所に管理されて
いる)因に帯刀は斬られる時愛刀一振を三男に託し
三男は帰国後これを戸田藩主に贈ったが現在この由緒の
剱は当地の護国神社に秘蔵されている
昭和42年5月31日
宇都宮市文化財保護審議委員会長
栃木県文化功労者 小林友雄撰文
と書かれている