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過去記事リニューアル
たくさんの方に読んでいただき嬉しいです
いいねをくださった方もありがとうございました🙇♀️
本日も地震の話。
今回は次男編ということで。
2011年2月に次男を出産してから、数週間後。
当時 長男くんは3歳になっていて、2人の男の子育児が始まり、毎日バタバタ大騒ぎな日々を過ごしていました。
そんな3月11日の午後。
場所は東京のマンションです。
いつもの授乳タイムはリビングのソファーなのですが、なぜかその時だけ、たまたま寝室の布団に座って母乳をあげていた私。
長男もいつもだったら、この
授乳タイム🟰母ちゃんが動けないチャンス
に私の見えない部屋に行ってイタズラしてたり⁈
ミニカーやプラレールを豪快に広げて遊ぶのですが、なぜかその日その時だけは私のそばから離れず。
私達親子は、珍しく 3人ぴったりとくっついて、寝室に座って授乳タイムだったんです。
そしたら来ました、3月11日 東日本大震災。
こちら東京では、弱いユラユラ横揺れから始まり、なんとも言えない揺れ方の地震。時間がとても長く感じました。
途中、揺れが大きい時は ベビーベッドの柵がバタンバタンと音を立てて揺れたり、棚の上の写真立てやら 出産祝いのお花やらがすべて床に落ちました。
でもその時うちは4階のマンションだったので、この程度。もっと高層階にいた方々は、きっと横揺れがもっと大きく、もっと長い時間だったと思います。
うちはたまたま、その時 3人がくっついて座っていて、家の中で一番安全な寝室にいたので、ケガもなくすみましたが、
これがもし出かけていたり、人混みにいたり、電車の中だったりしたら、、、
小さい子ども2人連れて、パニックになるかもと思いました。
東京ではこの時 震度5かな。
東日本大震災は海溝型地震なので、長いユラユラとした体感でした。
でも3年前に直下型地震5強を経験した身からすると、全く揺れ方が違う!!!
とても同じ震度5とは思えない、くらい揺れ方の種類が違いました。
ただ、都会での地震の怖さはこれからだったんです。
鉄道の運行停止により、みんなタクシーやバスに乗る為、とてつもない混雑に。
バスターミナルは人・人・人。
高速道路の通行止めにより、一般道が大渋滞。
歩いて家に帰ろうとする人達で、歩道もずっと夜中まで大行列。
うちも大通りの近くだったので、歩いて帰る人達を窓から見ていた記憶があります。
とにかく都会は
やっぱり人の多さで何もかも大変でした!
その後もスーパーに行けば、大量に買い占めていく人々が発生。
そこでも我れ先に!と他人を突き飛ばしてまで品物を手にする 目の色が変わった人達を見て、恐怖を感じました。
地震も怖いけど人間も怖い❗️❗️❗️
震度5でも都会はこうなるなんて、かなり勉強になりました。
我が家はオムツも手に入らず
(買い占めおばちゃんに割り込みされて、目の前でオムツを全部買われてしまった)
なので全国各地にいる友人から送ってもらったり助けていただきました。
また原発の爆発により、水からすべて心配になり…
新生児と3歳を抱えての生活がさらに大変になった気がします。
日本は地震が起きる国。
最近の私、防災意識がちょっと薄れていたかも。
このブログを書いて、10年以上も前のことをリアルに思い出しました
家族の成長に合わせて、非常食や避難グッズも準備しておかないとなぁ、、、と
改めて思いました。
特に家族に小さい子がいる時、
非常食としてパンの缶詰🍞は
めちゃくちゃ助かりました!
すぐに食べられるから!!!
さっそく明日、避難セットや非常食など、
久しぶりに点検しようと思います。
今日も読んでくださって
ありがとうございました