売上はあがらない。借金はある。
当然スタジオから給料がもらえる状況ではオレもホンダもバイトをはじめた。
スタジオをはじめれば叩き放題だと思っていたドラムは叩かず、計算機を叩く日々が続いた。
どうやって計算しても経費を削減しても赤字赤字赤字・・・
1日中お客さんが来ない日なんてのはざらにあった。

やれることをやろう。

オレは昼間バイトして夜はスタジオで店番。ホンダは逆。
この中でやれること。
オレらはまず朝の通勤時間にフライヤーを駅前で配った。駅前にはちらちらと楽器を持っている連中がいる。
なぜ、こんれだけ楽器を弾く人間がいるのにキャメルスタジオには来ないのだろう。
そう思って楽器を担いでいる連中にフライヤーを渡す。
時には
「あ、ノムラさんじゃないっすか。なにやってんすか?」
なんて話しかけてくる後輩もいる。だから、地元はいやなんだ。
そうやってフライヤーを配った中からラッキーズというバンドが来るようになった。

はじめての常連客は大阪弁を話す坂本竜馬ファンだった。

こうやって書くとなんじゃそりゃ?と、思える。
大阪出身でバンドマンで坂本竜馬ファン。
実際めちゃくちゃなやつらでオレもホンダも毎日の楽しみが増えた。
スタジオで一緒に酒を呑み大阪時代の話なんかを聞きながらゲラゲラ笑ってすごした。

でも、売上はあがらない。

半年も経たず運転資金は底をついた。
まずはコストの削減。大家に家賃の値下げ交渉をした。
簡単に値下げしてくれると踏んでいたんだが返ってきた言葉は意外なものだった。
「値下げもいいけどさ、お金貸してあげるからもうちょっとがんばんなよ」
その言葉にまるっと乗っかり400万の追加融資を受けた。
これでしばらく安泰・・・
ところが、根本的にはなんの解決にもなっておらず、いたずらに閉店時期を延ばしただけだった。

コストの削減、広告、レコーディング、企画ライブ
思ったように売上には反映されないがやれることを少しずつやった。
時には2ちゃんにスレを立てたりもした。
それは努力とはちょっと違っていたと思う。
ただ、好きなことの延長で好きなことを楽しくやっていた。
そして、気づいた。

オレらの商売はバンドマン相手の商売。

バンドマンは金が無い。ここを完全に見落としていた。
つまり、今後これ以上売上が上がることはないのだ。この点に気づきすごくすっきりした。
もうスタジオで儲ける必要はない。
儲けは他のことをして儲ければいい。スタジオは趣味で続けていけばいい。
儲けよりもバンドマンが楽しく練習できるスタジオにをしよう。
そして、借金を返したら就職しよう。そのときはスタジオを閉めよう。
もはやスタジオを経営することよりも借金を返すことのみが目的になっていた。

そして、7年が経ち借金を完済した。

これで、いつでもスタジオをやめられる。誰にも迷惑かけずにやめられる。
でも、なぜだろう。スタジオをやめられない・・・
ここからは惰性。目的も無くなったのに辞めれない。
クリアしたゲームをだらだらとプレイしてしまうようなこの感覚。
単に就職がしたくないだけなのかも知れない。
それでもスタジオを続けていればいずれ儲かる可能性が・・・
あるわけがない。
9年間の時間を掛けてそれは身にしみてわかってる。

いつか、いつか辞めなければ・・・そう思いながらスタジオが卒業できない。
だらだらダラリと毎日を過ごす。年を取り、結婚もせず半フリーターのような生活。
面白いことを思いつけば動き出すが、それ以外は完全なルーティンワーク。
これなら就職しても一緒なんじゃないか?
そんなとき、バイト先の上司が言った。
「ノムラ君、オレ、ライブハウスやりたいんだけど協力してくんない?」

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はあ、すすまんすすまん
9年分だからなあ
書こうと思えば宮本武蔵くらいの文字数はかけるわ
でも、ここは今の進捗状況を書く場所
やっとこライブハウスの話ができるかなー

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スタジオを始めることになったのだから当然プログラマは辞めた。
辞めるときに多少のゴタゴタはあったが、元々ライブハウスを餌にオレを釣ったということもあるのだろう。
しぶしぶと退社を了承してくれた。
今思えばオレは過酷な環境から逃げ出しただけなのかも知れない。
あそこでもう少し踏ん張っていれば金銭的にはもっと余裕のある暮らしが保障されていた事は想像に難くない。
それからスタジオをはじめたってなんら遅くはなかったであろうに。
でも、オレにとってこのタイミングは"今"しかなかったんだ。
いや違う、どんなにカッコつけてもやっぱりプログラマから逃げ出したかったんだ。
そして、事実つらかった仕事からオレは逃げ出した。

逃げ出したのだ、当然事は簡単には運ばない。
スタジオだってタダでできるわけではないのだ。
まず、店舗の保証金を払わなければいけない。提示されたのは480万円。
貯金なんざない。それどころか借金があるくらいだ。
前職から逃げ出したオレに甲斐性も根性もあるわけがない。
さて、どうしたものか。
他にも機材が無ければスタジオはできない。予算は400万。
当面の運転資金を考えたら1200万以上は必要か・・・

ムリwwwww

普通に考えて無理な話だ。オレには貯金も甲斐性も根性もない。
ところが悪知恵だけは少しだけあったようだ。
まず400万をスタジオのオーナーから借りた。
そして、それを銀行へ少しづつ移しはじめた。貯金の証拠が欲しかったからだ。
そしてそれを元に国民生活金融公庫(現株式会社日本政策金融公庫)へ融資のお願いに行った。
ところが阿呆の浅知恵、間単に融資が降りるはずもなかった。
まず個人事業が不利。そこで法人化した。
2001年当時は1円起業の制度などなかったが1円でもできる会社形態を探し出した。
それが「合資会社」だった。この方法なら登記料の6万円で起業できる。
必要な人員は2人以上。1名の無限責任社員と1名以上の有限責任社員だ。
1名の有限責任社員には心当たりがあった。「ホンダ」だ。
ホンダとは一緒にバンドをやっていた仲で仕事もろくにせずぶらぶらしている。当然借金もある。
が、やけにうまがあったし、何より信用できた。
こうして「合資会社 アースブレイン」が誕生した。

今度は個人ではなく会社アースブレインが融資のお願いに行くのだ。
簡単に融資なんか通るだろう。ところが甘かった。貸し渋り全盛の時代。そうそう融資は降りはない。
何が必要なのか?と、融資担当者に聞けば「保証人」という。
ならば簡単じゃないか、オレとホンダが保証人になればいい。
こうやって騙し騙しの借金でオレらはスタジオを始めた。

スタジオをはじめてからは楽しい日々。毎日酒を呑み笑って過ごした。
しかし、酒量と笑顔に売上は比例しなかった。
そりゃそうだ。ここは川口市弥平3丁目。駅から徒歩45分の工場街。
楽器をしょったバンドマンが練習に来れるような立地ではない。
わかってた。わかってたんだがプログラマから逃げ出したかったんだ。

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だめだ、前置きがながいっ!
書き始めるととまらんが明日には前置き強制的に終わらせる!
キャメルの話10年分は書いてられん!!
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