前回の記事の続きです。

不育症専門のクリニックで診察を受けて、大混乱した話の続きです。



なぜNSGの絨毛検査結果を杉先生は「信頼できない」としたのか。一方、他のクリニックは「信頼できる」としたのか。


それについて情報を集め分析してみました。


※以下、素人の考察なので間違っている可能性もあります。

ケースバイケースで色々異なる部分もありますので、ご自身の件は必ず医師にご確認ください。





 ​杉先生のスタンス


まず、こちらが杉先生の見解です。


絨毛染色体検査の結果が正常女性であった場合、母体細胞を見た可能性がある(2021/03/07)



下記一部引用です。


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絨毛染色体検査ですが、結果が正常男性や異常の染色体なら胎児を見たことになりますが、正常女性の結果の場合、母体の染色体を見てしまった可能性がありますので、要注意です。

アメリカの論文(Fertil Steril 2014;101:178-82)によると、正常女性の結果が出た場合、何と約60%は、母体の細胞が混入し、それを見てしまったと報告されています。但し、施設によってかなり混入の割合に差がある様です。


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杉先生は基本的に絨毛染色体検査で正常女性の中という結果の場合は、母体の染色体を見た可能性がある、というスタンスのようです。


杉先生の記事の中で示した論文は2014年と古いので、Gバンド法を想定したものではないか?と一瞬思いましたが、記事冒頭でNSG(次世代シークエンス)についても触れているので、いずれでも起こりうると考えているのだろうなと推測できました。


 ​Gバンド法とNSGの違い


絨毛検査には、従来のGバンド法と先進医療のNSG(次世代シークエンス)の2種があり、それぞれ一長一短あるようですが、Gバンド法は母体混入の可能性がある検査方法であることが明確に示されています。


一方、NSG(次世代シークエンス)では、


母体由来の血液成分が混入することで起こる染色体判定(46,XX)の影響を抑える技術的特長があり


と解説されています。



では、なぜ杉先生はNSGの結果でも疑わしいという見解を示したのでしょうか?


 ​NSGでも母体混入はありうる


調べてみると、NSGのケースでの研究があり、大阪大学の2023年の研究では、調べた4例中2例で母体混入が疑われたという結果がありました。



そこでは、STR分析(母体血と絨毛が一致してるか照合する分析)を実施した4症例のうち、2症例でMCC(母体細胞混入)が疑われた、とありました。


つまり、NSGであっても母体細胞混入は、半分程度の高頻度で起こりうることが、実証されていました。



 母体混入有無を証明するにはSTR検査を併用するしかない


つまるところ、NSGはGバンド法と比較して検査精度は高いけれど、「細胞の染色体を正確に数えている」という精度の高さであり、その細胞が母体のものか、赤ちゃんのものかまでは区別はできないようです。


NSGはなるべく検体に母体部分が入らないように分析前に物理的処理しているみたいなので、そういう意味でも精度が高まってる可能性がありますが、絶対混入しないということでもない。


検体が母体のものではないと証明するにはSTR分析が必要ですが、私自身は絨毛検査時に血液検査をして提出した覚えはないので、多分してない。


つまり、私のケースでは杉先生の言うように母体混入の可能性は十分あって、「染色体異常なし」の結果はそこまで信用できるものでもなかった、というのが導ける結論かなと思います。(もちろん、赤ちゃんの細胞を分析できてた可能性もあるので、染色体異常と断言もできず「結局のところら分からない」というところになります)


「信頼できる」とした他のクリニックは、検査会社の主張である

母体由来の血液成分が混入することで起こる染色体判定(46,XX)の影響を抑える技術的特長

について信頼をおいていて、でも杉先生は必ずしも信頼をおいてなさそう。


その温度差の違いもあるのではないかと思いました。(単なる推測で間違ってる可能性もあります)


そして、様々なデータを総合して考えると、私は杉先生の見解を支持したいと思いました。



 情報を整理すれば頭はスッキリする


診察で頭大混乱してまいましたが、記事を書くにあたりひとつひとつ情報を整理したら見えてきたものがありました。


不妊治療してると「あるある」な、

「医者やクリニックによって言ってることが180度違う問題」


患者にとっては迷惑以外の何者でもありませんが、数年前まで不妊治療は完全自由診療で「生殖医療は医学的に確立されたものではない」という現実からすると、現時点ではこの問題からは逃れられないのかもしれません。


つまり、各クリニックは○○派、△△派、◇◇派など、大小派閥がたくさんあって、信じてることが時に微妙に、時に大きく違う状態。


運良く1院目で授かれればハッピーですが、何らかの理由でうまくいかず転院を繰り返す場合は、患者は「医者の思想の違い」に振り回されるわけです。


そして、生殖医療がうまくいかない人に対しての明確な答えは示されないことが多い。

※生殖医療でうまく行った人には「正解」はありますが、うまくいかなかった人には答えが示されないことが多く(「年齢のせい」といって誤魔化される)、なんとも辛い現実です。


不妊治療がストレスフルな原因はこれも大きいと思います。

やはり医学の専門家ではない当事者ができることは、一つ一つの情報拾い上げて繋げて整合性や合理性を見ていくしかありません。そうすれば、もやもやしていた状態から頭での納得までは到達できます。


そういう意味でもブログのアウトプットは頭の整理にも繋がり、それが私自身を救っているのだなぁと実感しました泣き笑い



 生殖医療を信頼しすぎることのリスク


ただ、私が今回、そういった整理作業を通じて見えてきた結論は、


「やっぱり現代医療を持ってしても妊娠って分かってないことが多いんだな」


というどうしようもない事実です。


私は今までそこをうまく咀嚼できておらず、

「医療機器から示されたデータ」を必要以上に確定的なものとして受け止めていたことに気づきました。


例えば、私が不妊治療で一番最初に突きつけられたのは、検査から導き出された40歳で40代後半程度の数値の「低AMH」という事実でした。


でも、それって本当に「重く受け止めるに足る事実」だったのかな?


追い討ちをかけるように医師からは「閉経間近の数値」と言われ、心はより揺さぶられました。


当時の私は、低AMHを必要以上に重く受け止め、子どもを待てないかもしれない未来を悲観し、一人傷ついていました。


でも、振り返って考えると検査データひとつにしても「分かってないことだらけ」の生殖医療の世界で、検査結果や医師の言葉にそこまで傷つく必要もなかったのではないか今ではと思います。


私は医療を信頼し過ぎていたというか、期待をかけ過ぎていたのだと思います。

いや、過去に不信感を抱いたクリニックや医師はいますし、医療自体を過信しているわけではなかったのですが。


でも私は心のどこかで「信頼できる、正解=私を妊娠出産に導いてくれる医師やクリニック、治療法が存在するはずだ」

と信じていました。


だからネットの海を彷徨い、数多くの情報に触れ、AIにも相談しまくり、その中から「真実のカケラ」を必死になって探してきました。


でもその「真実のカケラ」を集めて形にしたとして、私自身にとっての真理になるかは別問題です。


最近になって、妊娠出産は現代においても解明しきれない、神秘に満ちた側面があり「そういう種類のもの(=正解があるもの)ではない」と今回はっきり自覚できました。


望んでいるものに対して現実が追いつかないと、生殖医療を信頼し過ぎることはその期待への裏切りとなり、当人を苦しめます。


私を苦しめていたものは、まさに「医療への期待(身体的負担、仕事への負担、高額の費用を支払うことを含む)と現実とのギャップ」から生じていたように思います。



 ​もう全部に「なんか」つけたい


突然ですが、みなさん「映画ちいかわ」見られましたか?



ただかわいいだけじゃなくて内容はかなり凄い映画なんですが、そこは割愛するとして、


ちいかわって「なんか」って言葉がよく出てくるんですよ。


ちいかわも「なんかちいさくてかわいいやつ」、略してちいかわです。


この作品はすべてにおいて、枕詞に「なんか」がつくことによって、「ものごとを明確に確定させない」というスタイルを取ってるんですよね。


それは現実を突きつけられまくって疲弊する現代人にはめちゃくちゃな癒しになるわけです。



突然何を言ってるんだと思われる方もいるかもですが、

私はわかってないことが多い生殖医療に関しては、患者は示されるデータに対して確定的なものとして捉えるのわではなく、本当はちいかわの「なんか」くらいで捉えて良かったのでは?と思います。


「なんかAMHひくいやつ」

「なんか取れる卵すくないやつ」

「なんか卵たくさんとれるけど質がイマイチなやつ」

「なんかチクっとして痛いやつ(注射)」

「なんか腸とか膣とかにいいやつ(プロバイオティクス)」


なんか、これだけで力抜ける感じしませんか?(私だけかw)


だって私はAMHは最初に受けた検査から3年経ってなぜか若干上がったりしたし、低AMHだから卵たくさん取れないって言われたのにリプロ来て取れる卵増えたりもしたし、これはもう「なんか」の世界ですよ。


ちいかわたちもほんかわした雰囲気で生活してるんですが環境は過酷で、怪物が襲ってきて戦わなきゃいけなかったり、資格試験のために勉強しなければならなかったり、日々の糧を得るため労働をする必要があったりなど、大変な現実を生きてます。


でも、「なんか」の世界で生きてるので、全てにおいて深刻にならない感じなんですよ。もちろん架空の物語なのでそういう風に表現してるだけと言えばそれまでですけど。


私も真剣に治療に向き合うばかりではなく、ちいかわ達を見習って、眉間の皺を緩めて、全身脱力して、青い空を眺めながら「なんか気持ちいいー」って気分で過ごしたいなぁなんて思いました。