ブログ日記をスタートしてはや6日目。

そのうち半日は見事にさぼりましたが、
まもなく10エントリ目をむかえます。

適応障害と診断されて3ヶ月仕事を休んだのに
全然良くなってなかったショックから始まったこのブログ。

なぜ私は適応障害になったのか?
どうすればならなかったのか?
復職できるのか?
再婚はする?
これからどうすれば幸せになれるの?

休職してから頭の中でぐるぐる考えてきた
その悶々を吐き出したくて、
混乱をすっきりさせたくて、
書きはじめました。

自分がどうすれば幸せになれるかなんて
自分の中にしか答えはないわけで
ここまでは主に、自分の現状を見つめてみようってことをしてるのですが。

今の自分が作られたのは、小さな頃からの経験が大きいんですね。

自分の嫌な部分と向き合ったり

思い出したくないことを思い出したり

答えの無いようなことばかりですし

もう、書くのがしんどい記事ばかり…


はあ~~~~、、、、、、、


正直、疲れるわ!!!(大声)



でも、、、、

書くと、すっきりもするし、考えが整理されるのはたしか。

1歩1歩、前に進めてるのかなって思います。

しんどいけど。


ブログいいやん。



というわけで、明日からもぼちぼち書こう。

3日坊主な自分にエールを送るーーー!

劣等感から優秀であることにこだわって
他人に評価を求める。
これが無理のしすぎを引き起こしているのだ…ということを
突き止めました。

原因が分かれば対処ができます!

対処法としては3つ考えられるでしょうか。

1、劣等感を感じないようにすること?
2、優秀であることにこだわらないこと?
3、他人に評価を求めず、自分で自分を評価すること?


うーん、もはや心理学の域、、。
手に負えないので、ここからは専門家のサイトを参照しながら考察してみたいと思います。



対処法1、劣等感を感じないようにすること


さっそく「劣等感の正体」で検索してみたところヒットしまくり!

・自分が苦手意識を持っている分野で他人と自分を比べて、自分が劣っていると思うこと
・「劣っている」と思うこと自体が『劣等感』なのではなく、「劣っている」ということを認めたくない・許せない心のあり方が『劣等感』なのです。
・こうなりたいという向上心の表れでもある


なるほど。

“劣っているということを許せない心のあり方が『劣等感』”
これ、ピーンと来ました。
劣ってることを何とも思わなければそれは劣等感じゃない。
劣ってることを悔しいとか恥ずかしいとか思うことが劣等感…。

つまるところ劣等感の正体は……


「劣っていることがいけないという価値観」



つまり、「劣っててもいいじゃん!!」って思えれば、

克服できるってことになります!!



ここまで書いて、昔よく母が

「人は人、自分は自分」

って言ってたのを思い出しました。



病気が発症する1年くらい前に
上司に、「きみは少し焦った方がいい。同期の仕事を見てプレッシャーを感じろ」と出張に出されたことがあります。
マイペースな私を焚き付けようとしたんだと思うのですが、
よくよく考えるとこれがことの発端だったのだと思います。

私はマイペースに仕事をしていたのに、その時から、他人と比べてしまい劣等感が強くなり、焦り、自分を追い込みました。


あのときの自分に言ってあげたいです。


 「人は人、自分は自分」なのだから、人より劣っててもいいじゃない。

  他人の頑張りを、プラスの刺激に変えて、
  自分のペースで仕事をがんばればいいじゃない。


って。
うん、なんかちょっと前向きになってきました!!





もう一つ、思い出したことがあります。
一緒に住んでいるパートナーくんが言ってくれたこと。


「人と人とを比べることに、何の意味もないよ」


本当そうですね。。

1番でも、最下位でも、関係ないんだから比べる必要ない。

ひとりひとりに価値がある。

だから、比べて焦って、無理にがんばりすぎることはない。

マイペースでいい。


彼も母も、大切な人はみんな私にアドバイスをくれていたんですね。
やっと自分にも分かったのは、
このブログで、自分と向き合っているからかもしれません。
病気になったおかげですねw




そして、劣等感について考えたときにもうひとつ気づいたことがあります。

対処法2、優秀であることにこだわらないこと
の「優秀」というのも、人と比べちゃってますね。

もし私が無人島にひとりだと、優秀も何もありませんから。


「人は人、自分は自分」なのだから
劣等感を感じる必要も、優秀であろうとする必要もないんですね。


うーん、気分すっきり!!

いいかんじです!!




では、

対処法3、他人に評価を求めず、自分で自分を評価すること

こちらはどうでしょうか。
1、2と性質が違いそうです。

これについては、また別の記事で考察してみたいと思います。

私には無理して頑張りすぎるる癖があります。
適応障害やうつ病になってしまう人には
こういう人が多いのではないでしょうか?

バランスよく適度にやれず自ら破滅を招くんです。

私の場合、無理をするその原因のひとつは、前回書いたように
「頑張ったら頑張っただけ、成果が出て、褒めてもらえる」
幼少期にこの面白さにはまってしまったことかと。


もうひとつは、「もうこのあたりで満足!」と自分で思えないこと。
今回はこれについて書きたいのですがこれがなかなか苦しく、
すごく時間がかかっています。うう…

自分でもよく分からないことは書けませんね。

順を追って、現状を見つめることからスタートしてみたいと思います。


●現状、他人に求めることで負の連鎖に陥っている

満足感や達成感を得ることがあまりないためか
私はいつも自信がありません。

どれだけ頑張っても自信がつかない。
もっともっと、と思う。
つまり、自分で自分に対する合格サインを出せないんです。

言い換えると、、
他人に認められようと他人にサインを求めてるんです。

学校では、テストの点がいいことで
親、先生、クラスメイトに認めてもらおうとしました。
会社では、成果を残すことで認めてもらおうとしました。

他人に求める→自分にプレッシャーをかける→一時は満足→またすぐ虚しくなる→他人に求める

負の連鎖でどんどん自分を追い込んで30年
なるべくして適応障害になった気がします。


●自分に合格サインが出せないのは劣等感の反動ではないか

負の連鎖から抜け出すためには
自分で自分に合格サインを出せるようになる!
ということだと思うんですが。

それが、今までできなかった。

それはなぜなんでしょう?

さらに自問自答してみます…

無自覚なので、難しいですが…

私は小さい頃から猫背で色も黒くてメガネで
見た目へのコンプレックスはかなり抱えていました。
また我が道を行くタイプで人に媚びたり愛想を振りまきもしなかったので
どこか人をカチンとさせるところがあったかもしれません。
クラスの男子にバカにされたり
女子からいじめを受けたりということもありました。
(まあ、逆に、バカにしたりいじめたりした経験もあるけど…)

この反動で、バカにされないように優秀であろうとしたところはあるかもしれません。
寝ても覚めても勉強していましたから。

また、家では何をやっても目立って人気者な弟に対して
深層心理では、優秀であることで存在を示したかったのかもしれません。

会社でも優秀な同期に追いつくために頑張ってたきがします。
(上司からそれをほのめかされてから調子が悪くなりました)


つまり優秀な成績や成果を出すことで他人に認めてもらうことで
自己顕示したかったんですね。


私が臨むそのフィールドも優秀さもちっぽけなものだろうに
なんでこんなにこだわってきたのか。。



長くなるので今回はここまでにします。
ふう、疲れますね、、、。

私は今混乱しているので、
こうしてひとつひとつ明らかにしていくことも
大切な過程になると信じて書いています。

こんなとりとめもない内的な文章を読んでくれた方がもしもいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。


今回は無理をする一つの理由として、
「劣等感から優秀であることにこだわり他人に評価を求める傾向」
があると分かりました。

次はどうすれば改善できるのか?を

考えてみたいと思います。