こないだ、久しぶりにお城訪問に行きました。
続日本百名城を中心に、ということで、宇陀松山城をChoice。
(西国三十三所との兼ね合いもありますが)
(今までに訪問した近畿のお城は→こちら )
宇陀松山城は、南北朝から戦国期にかけて、”宇陀三人衆”と呼ばれた内のひとつ・秋山氏が築いた城ということです。
豊臣期に改修整備され、この時期は大和郡山城・高取城と並ぶ大和支配の拠点だったそうです。
ただ、大坂の陣のあとに福島高晴が改易され、宇陀松山城も破却されたということです。
位置的には、奈良盆地の南東にある宇陀市の、そのまた南寄りにあります。
大阪から自動車だと、南阪奈道をすいすい~と走ってきて、橿原市→桜井市と通過して、宇陀へとやってきます。
途中、国道165号から国道166号へと曲がるんですが、
↓その交差点のところ。『外山』で『とび』って、読めなくないっすか~?
で、事前情報で、お城のふもと付近に駐車場はないので、自動車は道の駅””宇陀路大宇陀”に停めろって感じだったので、そちらへ駐車。
↓道の駅から歩いて1分くらいのところにまちづくりセンター『千軒舎』。
こちらが観光案内所のようになっており、続日本百名城のスタンプも置いてあります。
そして、実はこの『千軒舎』に駐車場があるので、こちらの方がややお城へも近いです。
↓千軒舎の内部。以前は薬屋さんだった町家を改装したそうです。
しばらく道はコンクリートで、残りの距離も書いてくれているので、楽な気持ちで登れます。
↓一瞬、「曲輪か」と思うところに出ましたが、多分駐車スペースとして最近整備されたっぽいところ。(但し、現在は下の方で車止めがあるので、入ってこれないみたいです)
このあたり、平坦地もいくつかあり、曲輪と思われます。
ここから食い違い的に登っていく形となり、枡形になっていたと思われますが、
↓城跡に来てよく思うことですが、こんな山の上にこんなに広い平坦地があるのがすごい。
↓眺めてみると、確かにいい風景。これが山城のいいところ。
↓天守台からも遠くまで見渡せます。ここに天守閣もあったなら、かなり遠くから見えたと思います。
↓天守台から下の帯曲輪を見たところ。切岸の角度・落差ともにあり、守備能力高そうです。
てなことで、夏になっちゃっただけに虫も多かったですが、
お次は、城下町だったという、松山地区を歩きます~