前回、第四十五番札所の三千院門跡 までお参りした西国薬師四十九霊場。
あと4ヶ寺と最終盤にさしかかり、再度滋賀県にINです。
(滋賀には、第三十一番の総持寺 ・三十二番の西明寺 で一旦入っていましたが、その後三重→京都と回って、再び戻ってきました。)
最後の四十九番比叡山延暦寺は、家族みんなでお参りしようと思っているので、今回、四十八番までお参りの予定です。
で、まずは札所順通り、第四十六番の桑實寺(くわのみでら)です。
桑實寺、朱鷺書房の『西国四十九薬師巡礼』によると、
宗派は天台宗
本尊は薬師如来
開山は定恵和尚(藤原鎌足の長男)
開創年は白鳳六年(677年)11月8日
御詠歌は”南無薬師 衆病さい除の 願なれば 於のがみのかさ 古ゝにぬきお希”
ということです。
開創の月日まで書いてあるのは初めてです。
桑實寺の山号は”繖山(きぬがさざん)”。
この山号を見たことがあるのは、六角氏の居城・観音寺城 のある観音正寺 と同じだからです
桑實寺は、繖山の観音正寺と逆、西側の山腹にあります。
↓麓の看板。この奥の細い道に車で入ることも可能ですが、停めるところがないので、手前までにした方が安全です。
滋賀県観光情報 によると、駐車場が5台分あるとのことでしたが、お寺の駐車場は発見できず。
麓には、太めで交通量のなさそうな道があって、多分駐車禁止じゃなさそうだったので、そちらに停めさせてもらいました。
(『もぐじさんのブログ 』によると、公民館に停めてもよかったみたいです)
↓石段のスタート近くには、『出雲神社』。何をお祀りしているのかは分かりませんが、とりあえずお参り。
↓山門内にあった桑實寺の絵図。ここから本堂までもずっと石段です。
↓山門→本堂の1/3くらいのところに地蔵堂。
↓ここからも、石段は続きますが、石垣がえらく立派です。もえ~
↓石段の脇にはこんな花あり。綺麗だな~とは思いますが、名前は分かりません。
↓山門からおよそ10分で、本堂エリアの到着。
↓本堂前までやって来ました
上の写真で左手にわずかに見える寺務所で、拝観料の300円を払い、また、ご朱印も頂きました。
今回は、ご朱印後にお参り。
鐘には、『南無阿彌陀佛』と書いてありました。
天台宗でも南無阿弥陀仏言うんやなぁと思いながら、ごーん。
普通だと、次は本堂が近かったのですが、本堂は最後においといて、先に上のエリアへ。
↓『影清の背くらべ石』。
多分、平景清のことだと思うんですが、落語や歌舞伎にも登場する、源平時代の武士です。
かめへいは、米朝さんの落語『景清』で何回も泣いたことがあるので、ところどころで見かける景清ゆかりのものを見ると、つい気になってしまいます。
中央は『大黒天』、左は『スサノオの命』、右は『スサノオの妃』とあります。
『スサノオの妃』って、くしなだひめじゃないの?って思ったりもしますが、系図を見ると、妃も一人じゃないみたいです。
さらに、スサノオと並ぶと、大黒天も大国主命っぽく見えてきますが、その辺はよく分かりません。
経堂(大師堂)の説明には、『天正四年、織田信長により建立』とありました。
信長がお寺のお堂を建てるの?って意外な気持ちでしたが、まあそんなこともあったんでしょう。
安土城と激近ですし。
ただ、信長の建立したお堂は、明治期に風水害で大破したそうです。
この石段が、以前行った観音寺城 の本丸の奥につながっていると思われます。
↓本堂の外陣にある薬師如来。前住職の作ということです。
仏像やお堂と言えば、古い方が良いみたいに思ってしまうかめへいですが、こうやって『前住職』とかだと、ありがたみがあります。
↓内陣でも、ご本尊は厨子の中ですが、その前に前住職の薬師如来がいらっしゃいます。
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
みんな元気で仲良くいられますように☆
ということで、お次は、第四十七番札所・善水寺へ向かいます。