カンボジアNGO校の生徒が話す日本語 | インターナショナル・カンボジアNGOスクール 【ボランティアレポート】

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NGOスクールでボランティアを体験された方々のレポートの紹介です。

堀木健太郎さん


旅行をしていて気付いたことだが、外国人の日本語のおぼえ方には2つあるらしい。1つは学校で勉強する方法、もうひとつは日本人と交流しながらマスターしてしまう方法である。

 日本語の文法はむずかしい。いくら学校で一所懸命勉強しても、正確な文法をおぼえるのは容易ではない。複雑な内容の文を話すとき、どうしてもしどろもどろの文法になりがちになる。また普通の会話の中に突然難しい単語が使われたり、イントネーションが少し違っても意味がよくわからなくなる。また学校では”標準”の”ていねい”な日本語を基準に勉強するので、実際の口語の聴き取りが弱い。こちらが普段とうりに会話をしてしまうと意味が通じない。彼らと会話する時、結果としていつもは使わない”ていねい形”の日本語をぎこちなく使うことになるが、話しているうちにこちらが疲れてきてしまう。

 一方後者は外国人のよく来る観光地などに多くみられる。彼らは観光地に訪れる観光客から、少しずつ日本語を教えてもらううちにおぼえてしまったという人が多い。知っている単語の量はたいして多くはない。しかし、こちらの話す会話も大体聴き取ってくれるし、たいていの事も表現できる。自然な会話になるので疲れない。

 カンボジアNGO校の生徒は基本的に前者が多い。彼らの持ち歩くノートにはそれまで勉強した文法や単語がぎっちり詰まっているのだが、そのわりにはあまり使いこなせていない。彼らの努力はたいへんなものがあるだけに、ことばが通じにくいのはもったいない気がする。

 日本人が言葉をおぼえる時、当たり前だが最初に口語をおぼえる。ていねいな言葉使いや敬語はおもに後から教わっていく。外国人が日本語を勉強する時は、逆にていねいな表現を基準に勉強していく。日本語は、使う人の性別・年齢や、相手との関係・状況によってもことばが違う。外国人が最初から口語表現を勉強するのはかなり困難だろう。しかし相手に合わせていつも使わないモ標準モ日本語を生徒達と話しているうちにモこれでいいのかモとも思う。

 また、こちらの生徒はことばを1-2年勉強するとすぐそのまま先生になり、日本語を教えるケースが非常に多い。テキストも皆だいたい同じものを使っている。発音も先生のとうりにおぼえる。結果として、日本語を学ぶ人が多いわりには、中級以上のレベルはそれほど高くはない。日本での英語教育に近い状況といえるかもしれない。

 日本人の話す日本語に近い言葉を使えるよう、そして、すこしでも聞いてわかりしやすい日本語を話せるようになるための授業をしたいと思った。しかしこちらも専門の先生ではない。また生徒もいかに通じるかよりも、どれだけ多くのテキストを勉強したかの方に興味があるらしい。そしてなかなか飽きっぽい。授業が面白くないと思うと(顔を見ればすぐわかる)次の日は授業にこなかったりする(別の授業にはちゃんと出ている)。増えたり減ったりする生徒相手に授業していると、この仕事は意外と漫才師みたいなものに近いのではないか思ってしまう。受けやノリも大切なのである(そして私はそれが苦手である)。

 試行錯誤の繰り返しだが、しかし、ついてきてくれる生徒も出てくるようになってきた。これはやはりうれしいことである。日本語を学ぶには日本の文化を学ばなくてはならないと言うが、日本語を教える時も相手の考え方や習慣の違いを理解しなくてはならないらしい。もっと多くのことを学び、それを教えることができるようになりたい。また、こうしたの交流のできる場所がここに提供されていることに感謝しています。