「シクロのおじさんとの想ひ出」 | カンボジア的スローライフ

カンボジア的スローライフ

スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

昨年だったかしら、もうだいぶ前のこと。私はプノンペンに行くとときどきシクロに乗る。あのシクロの持つゆっくりした時間が好きなのだ。

かつて住んでいたオルッセイ市場周辺で、さつま揚げを2枚買って、ちょっと時間があったので、川べりまでシクロに乗ったときのこと。

おじさんは、なぜかはなから私を中華系華僑のマダムだと思っている(笑)。

「マダム、夫を中国においてカンボジアに来ているのか?」
「いいえ、夫とは別れました」と適当に話を合わせてみた(笑)。
「すまなかったなぁ、変なことをきいちゃって。そういうことは人に話したくないことだものなぁ」
「いいえ、いいんですよ。おじさん。」
「おいらが、マダムの夫だったら、絶対に別れやしないのになぁ。もったいないなぁ。」おじさん、ちょっとその場を繕うかのごとく、お世辞を言ってくれる(笑)。帽子を深くかぶった私の顔などほとんど見えないくせに(笑)。

「夫のことを思い出すか?」
「いいえ、思い出しません。」
「へぇ~」
「もうすっきりしていますから」
「あっはっはー。そうかい。マダムは、愛されるのと愛するのとどっちを選ぶかね?」
「おぉーおじさん、難しい質問ですねぇ・・・」
「つまりな、マダム自身はその男を愛していないけれど、でもマダムを愛してくれる男を選ぶか、それともマダムは愛しているけれど、その男はマダムを愛してはいない、どちらを選ぶかね?」
「おじさん、それは私はやっぱり自分が愛する人を選ぶと思います。どんなに好きになってくれても、自分が好きになれない人と暮らすのはできないと思いますから。」
「そうか、マダム、それは幸せにならないんだ。愛してくれる人を選べば、その人は、マダムが何をしたって愛してくれる。でも、マダムがどんなに好きでも、その男がマダムを好きじゃなかったら、その男は、マダムにひどいことをするだけなのに、好きだからってマダムが辛抱するだけさ。」
「おじさん、確かにそうかもしれないですねぇ・・・」
「おいらの家内は、まったく美しくないんだ。でも、田舎でいつも待っていてくれるんだ。シクロで稼いでいくらにもならないけれど、お金を持っていくんだ、それがおいらの人生だ」
「おじさん、いい人生ですね!いいなぁ。」
「そんなこたぁないよ、こんな貧乏な暮らしさ。」
「いい人生ですよ!やっぱり、お互いに好きだと思える人に出会えるのが一番いいですね!私もおじさんみたいな夫を見つけたいわ。」
「あぁ、マダムが幸せになれるといいと思っているよ、愛してくれる人を選ぶんだよ!」
「おじさん、どうもありがとう」

オルッセイ市場から川縁までの短い時間、夕方の南国の少し湿った風に吹かれながら、さつま揚げの入った袋を握りしめて、そんなたのしい会話をする。シクロのおじさんの恋愛哲学?なかなか深い(笑)。

こんな時間こそが、ひとつひとつ忘れることのできない私のカンボジアでの暮らし。