暁の寺、ワット・アルン。 | カンボジア的スローライフ

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スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

ワット・ポーを見たついでに、まだ時間が少しあったので、駆け足でワット・アルンも見てきた。ここは、ボートで何度もその前を通ったものだけれど、降りて見学したことはなかったので、まったく初めての見学となる。

ワット・ポーの近くのボート乗り場から、3バーツ(8円ぐらい)で渡し舟に乗ってチャオプラヤ川の向こう岸へ。

カンボジアと似たような、でも同じではない、そんなあれこれがお出迎え。

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何を隠そう、高所恐怖症の私は、アンコールワットの第三回廊も滅多に登らない(下から写真撮ってあげるから登ってきてと人に進めて、自分は下に残るマル秘作戦あり、笑)、地震・雷・火事・親爺よりも高い所が怖い人間なので(笑)、やっぱり一番上までは登らずに途中までで降りてきた(笑)。

ワット・アルン、遠くから見るとあまりわからないけれど、近づいてみると、古い陶器の飾りがなんともチャーミング。

とってもかわいらしかったので、連発しちゃう。

上からの眺め、お天気は雲が近寄ってきていて曇り空だったのだけれど、タイの国旗が風にはためいていたり、チャオプラヤ川の流れが見えたり、その向こうに大都会バンコクが見えたり。

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ワット・ポーと比べると、境内もこじんまりとしているんだけれど、渡し船に乗って川を渡ってくるというシチュエーションがいい。

カンボジア語とタイ語は似ていて(というかクメール語がタイ語の産みの親?といったらタイ人に怒られるかしら)、ワット・アルンという言葉も、すぐ「暁の寺」とわかる。「ワット」は寺院だし、「アルン」は、暁のとかいう意味も同じで、クメール語で「おはよう」は「アルォン・スォスデイ」だ。

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ワット・アルンを見学していると、どこからともなく鈴の音が。お寺のあちこちに金色の小さな鐘がついているの見えるかしら。これがとっても気に入って、ホテルのお土産コーナーにも売っていたので、欲しいなと思ったけれど、こういうものが「想い出」どころか部屋の片隅で埃をかぶった「ガラクタ」になるんだと自分の心を戒めて(笑)、心の風景にとどめておいた。

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カンボジアでは、学校で先生が「答えがわかる人!手をあげて!」というと、子供でも大学生でもみんなこうして指をあげる(笑)。この像の意味は不明だけど、そんなことを思いつつ。そうそう、カンボジアではバイタクやTuktukに乗る時も、こうして指をあげると止まってくれる。逆に「おーい、乗らないか!」と向こうから呼ばれるときも、だいたいこの手が上がっている(笑)。

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そんなあれこれを思いつつ、歩くワット・アルンもまたなかなかよい風情だった。今までバンコクを観光の街と思っていなかったのだけれど、人が行くところには素直に一度は行ってみるものなのかもしれない(笑)。