カンポート州学友結婚式珍道中。 | カンボジア的スローライフ

カンボジア的スローライフ

スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

怒涛のクラスメートの結婚式が、終った。

 

 出発の日の土曜日は、授業のあとに出発、授業中は浮き足立った学生に先生が2時間まるまるお説教、「君達は、勉強しようという意志があるのか、いったい、この有様はどういうことなんだ。!けしからん!!!」ガミガミ、ブツプツ、激しい叱咤に、バイクで一足先に出発しようと、授業を中途退出する予定だった学生も、出るに出られず、全員で、うなだれて、お説教を聞く。

まあ、先生の言うことは、まったくもって正しい。私ですら、ここ数日の学生の有様を見ていて、うんざり、小言のひとつもでたものだ。

 

出発するまで、参加人数も定まらず、何時に出発するかで、意見が別れ、もめにもめて、ようやく12時出発。車代は、新郎が全額負担するとの情報が入り、急遽参加者が急増、着替えも何も持ってこなかったものまで、行くことになる。定員15人乗りの小さなバンに倍ぐらいの30人ぐらいが乗り、ギュウギュウのバンと何人かのバイク組みとでプノンペンを出る。まあ、予想はしていたけど、この暑い4月の昼の12時に、すし詰めより詰まった冷房なしのミニバンは、当然、暑い。私は外国人特別枠?でいつも助手席、(実は車酔い防止)、しかし!助手席にも車酔い不安の学友が2名名乗り出て、ついに助手席もギュウギュウと3人で座る。

 みなボロボロになって、2時半、カンポート州の新婦の家に到着。新郎新婦は、髪を切る儀式の最中だった。過去の悪いことを断ち切って、新しい門出という意味のある、髪切りの儀式。私たちのクラスメート、新郎は、両親が離婚しているため、あれこれ思うことがあったのだろう、男泣き、涙を必死にこらえても、目が真っ赤になっている。私はカンボジアの結婚式で、人が泣くのをはじめて見た。日本の結婚式と違い、カンボジアの結婚式は常に陽気という印象だが、親のない子や、家庭に不幸の多い子は、髪切りの儀式のときに泣くこともあるのだ、と他の学生が教えてくれた。そう教えてくれた学生も、親がないので、自分の将来の姿と重ねてしまったのだろう、すこし悲しそうであった。親のない子は、新郎新婦それぞれにつき、3人ずつ選ばれる介添え人の役をすることもできないのだということも、教えてくれた。カンボジアの社会というのは、定形外に冷たい社会だ、とにかく人並みでなければ、少なくとも人並みに形を整えなくては、社会の中では、よしとされないところがある。親のない子はそんな狭い社会で、常に生きていかねばならない。親があろうとなかろうと、人間の価値は一つも変らないのに。

 

 そのあと、本日、泊まる予定の新郎の親戚の家にルモウ(バイクの後ろに人を乗せるリヤカーがついた乗り物)で移動。「さぁ、日本からの学生も、ベトナムからの学生も、カンボジアの思い出にルモウに乗ってください!」誰かが叫んでいる。みんなが乗り込んで、さあ移動と思いきや、ウケをねらって、ベトナム人学生が、運転手のふりをして、リヤカーを引くバイクに股がって出発しようとしているので、一同、爆笑。ウケてよかったね(笑)。

 

 親戚の高床式のカンボジア特有の民家についてから、女性陣は、水浴びとお化粧、髪を結いに美容院に行く者、自力でやるもの、みんなでもってきた結婚式用の衣装の比べあい。

 「まあ、これきれいだわ。」

 「この、モード、新しいのよ。」

 「あなた、なんでこんなにサイズが大きいのよ。」

 ベットにみんなで衣装を並べて、品評会が始まる。私は紫と黒のカンボジア版衣装だったけれども、今回紫を選んだ人は他にも二人、大体の女性が、紫・赤系統で「あら、かちあっちゃったわ」とみんなで嘆く(笑)。クメールの女性は、じつは、大変プライドが高く、おとなしそうに見えても、誰もが、女王様でないと気がすまない。誰しもが、負けたくなんかないのだ。誰かが、「きれいだ。」と褒められようものなら、不愉快極まりなく、おへそが曲がってしまうのだ。仕事上でも、クメールの女性は、男性より扱いが難しいというのは、私の感想である。

 

 みんなの意見が一致して、もっともきれいな衣装は、ナヴィちゃんの「マンゴスチン色の最新モードの刺繍が一杯ついた」衣装だということで、衣装コンテストは終了(笑)、私もそのマンゴスチン色、なんと言ったらいいか、くすんだ桃色に紫が交じり合ったような色、原色ではない、日本的なワビサビの色に近いその色に、異議なく一票!「ナヴィ、なんてきれいな色なの!」と感動だった。

 さて、私は、年も離れているので、お嬢さんたちの大化け大会の競い合いに参加するまでもない。日本人は、いつでも「色が白い」だのなんだの、いつだって、身に余るほど(笑)、褒めてもらえるのだ、これは、クメール人のリップサービス。だから、特別にあまり飾り立てなくても、クメールの衣装を着るだけで、思いっきり喜んでもらえる、それだけで、充分。それに、私は、あまり濃いお化粧を好まないので、アイラインも引かないし、化粧も早い。髪の毛も束ねて日本から持ってきた付け毛つきの飾りをつけるだけで早い。誰よりも早く準備完了。

 「ねえ、お姉さん、私、アイシャドウをつけられないから、つけてぇ。」

 「だれか、マスカラを持っていない?」

 クメール人女性は、結婚式のときは、顔が変るくらい?お化粧をするので、時間がかかる。絵の具のようなパレットを持ち出してきて、みんなで黒い顔にあれこれ塗りたくっている。マスカラも、アイラインも、頬紅も口紅もとにかくはっきりくっきりするのが特徴だ。

 「まだ、黒いわ。」誰かがつぶやいている。

 地黒なんだから、どんなに塗っても、何を塗っても、黒いと思うけど、私は黙っている。

 黒いのも、また、とてもきれいなんだから、無理やり白くしないで、黒さを生かしたほうが、きれいなのに。

 薄曇の暗い部屋の中での大化け大会、大変な騒ぎになっている。

 

 男子学生は、戸口からちらほら見え隠れする、女性陣の姿に、ついに待ちきれず、ルモウに乗り込んで、それも、みんな女の子たちの出口のほうに向かって一列に座り、女性陣の登場を待っている。「おおーい、貴婦人たちー、早くしろー、なにをしているんだー、遅いぞー、おいていくぞー、僕たちはもうおなかがすいたんだー。」と、口々に叫んでいる。どこの国も同じ、男性陣は、こんなとき、いつも果てしなく、退屈な時間を待たされる。そうして、それぞれお気に入りの女の子が、今日はどんなきれいな姿を見せてくれるのだろうと、心をときめかせているのだ。世の中は所詮、男と女、この世が男だけだったり、女だけだったら、どんなに味気ないものであっただろう。

 

 ようやく最後の大御所貴婦人のお化粧が終るまで1時間ほど、男子学生陣は待ち続ける。私も早々に大化け部屋を抜け出てきて、外で大御所たちを待ち続ける。普段、「まったく、飾りっけのないお姉さん」ばかり見てきている弟達、「今日は、日本からのポパー(花)一輪も美しく咲いた。」となにやら、うれしそうだ。しかし、ルモウの荷台は高い。なにやらでれでれの弟たちのその横で、私は巻きスカートをたくし上げ、サンダルを脱ぎ、苦労して荷台の高いルモウに乗り込む(笑)。歩幅が制限される巻きスカートと普段掃き慣れないヒールのサンダルで、大御所貴婦人達?が、ルモウに乗るのが大変だと、退屈しのぎに弟達に踏み台を探してきてもらい、踏み台をセットしてもらう。踏み台をセットしたからにはと、誰が、先にルモウに乗って、踏み台を上がるボパーたちの手を引く、エスコート係になるか、もめている。そんなもめなくたってねぇ、リムジンや豪華な馬車じゃなくて所詮、リヤカーなんだから、(笑)。途中、ヤギの群れに囲まれたり、牛車が通ったり、豚がいきなりジャーッとおしっこしたり、田舎の風景は、本当にいいもの。なんと、どこから来たのか、象までやってきた。細い道でルモウに乗った私たち、誰かが「すれ違いざまに、象が、鼻を一振りして横を通ったら、僕達もボパーたちも、木っ端微塵だ!」と叫んでいる。象はおとなしく通り過ぎていった。

 

 大御所がようやく出てきて、みんなでルモウに乗って、式場になる新婦の家に向かう。式場は、新婦の家の前の路上にテント張りで作られている。氷を配ったり、あれこれ、お手伝いに励むもの、円卓に座って、お食事をいただくもの、あれこれ分担は、付き合いの深さによって、異なる。新郎は、実は「ケマラー・ソムネー」のリーダーなので、仲良しのケマラーの軍団たちは、円卓にはつかないで、介添え人に二人が参加し、残りは、ウェイターとして、動き回っている。


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ちょっと、暗いけど、新郎新婦、なぜかカンボジアの結婚式で恒例のスノースプレー攻撃で頭に雪を積もらせる。

 

 食事が終ると、盆踊り大会、とにかく、踊る、踊る、踊る。結婚式で、踊らない人は、つまらない時間を過ごすことになる。私はいつも踊る。外国人が座っていると、彼らはとても気にするので、疲れていても、いかなるときも踊ることに決めている。いやいや、クメール盆踊り、慣れるとこれはとても楽しいので、いつも自ら大いに参加させてもらっているのだけれど(笑)。ベトナム人二人も、踊っている。でも、北部からきた学生は、日曜日の帰宅後のサッカーの試合に備えて、早々に踊りをやめて、家に戻り、就寝。南部の学生は、嫌だ嫌だとテレながら、ディスコ調音楽になると、踊り出し、腰を振り振り、コミカルなダンスを披露、日ごろ隠している本来のひょうきん丸出しで、笑顔満面、踊り狂っている。みんなでの盆踊りが1年ぶりくらいだったので、みんなとにかく踊りを楽しんだ。

 

 カップルで来た学生達は、それぞれの世界に入り、人目も気にせず、いちゃいちゃしている。カンボジアの社会の、時代も変ったものだ。これからも、どんどん変ってゆくのだろう。 

「若者は、一晩中どうぞ踊ってください。」と言い残して、一足先に私は、家に帰る。すでに何人かは、もう就寝していた。ここでもカップルが、外のハンモックに二人で座り、なにやら、女の子のほうが、暗くうつむいて、頭を抱えている。男子学生は、このときぞとばかり、一生懸命口説いている。このカップル、いつ見ても、どうしようもなさ丸出しだ。授業中は、怠けて二人でじゃれてばかり、学費は使い込んでしまったのか、滞納し、みんなでの旅行の時には、いつも二人っきりで別行動。集合時間にも来ない。こういうカップルが、将来、お金もないのに、子どもを産んでしまって、苦労するんだろうなーと、なんとなく思ってしまう。他の学生も、苦笑い、二人のハンモックから、目をそむけている。

 

 夜中の12時、学生達は、戻ってきて、みなで雑魚寝となる。女性軍が2階、男性軍が1階と外庭。私は、2階のダブルベットに家の娘さんと女子学生もう1人と3人で川の字、寝る。

 

 早朝、水浴びをしにいく。なんだか暗くて、何がなんだかわからないけど、早くいかないと、ひとつしかない、水浴び場で30人も大変なことになるのだ。それでもすでに5人の待ち人がいた。水浴び場は、離れの、木材置き場の裏にあって、水田の中にぽつんと建てられている。飼育されているヤギたちに囲まれた、その水浴び場で、順番を待つ間に、子ヤギを捕まえて遊ぶ。「焼いて食っちまうか。」誰かが叫んでいる。ヤギは、土の上に寝ないで、木とか床の上に寝るのだと皆が教えてくれた。見ると、本当に、子ヤギが戯れているのを悠々と眺めている親ヤギ達は、皆、材木の上に横たわっている、へぇ、知らなかった。ヤギの糞は黒豆をちょっと大きくしたかのように、小さくて丸い。よく見ると、水浴び場の周りには、ヤギの糞だらけだった。きっと土に還って、養分になるのだろう。おばちゃん、あれこれ、感心しては、キョロキョロ。

 

 ようやく水を浴びることができて、着替えて、荷物を片付けて、みんなでバンの到着を待つ。やっぱり、昨晩のお化粧した顔も、みなきれいだけど、朝の水浴び後の、少しだけ整えただけの素顔が一番きれい。そうそう、そうなのよ。バンにまた乗り込み、新郎の家により、挨拶がてら、朝ご飯をそこでいただく。みんなで立ったまま、ご飯と野菜炒めをつつく。バケツにドーンと入ったお茶、大きな氷が浮かんでいる。コップは、みんなで回しのみだ。そうそう、ご飯がほっぺにつくぐらい、気取りなく食べる顔のほうが、きれいだわ。

 

 ミニバスに乗り込む。なんだか行くときより人数が増えて、ついに数人はミニバンの上の「青空シート」に座ることになる。昨晩のフィーバーで、みなお疲れ、車の中では、ぐったり。昨晩吐くまで飲んだもの、酔い過ぎて、ふざけすぎてしまったもの、踊りすぎてしまったもの、カップルでいちゃいちゃしすぎたもの、朝になって、朝のすがすがしい風に吹かれて、共にミニバンに乗り込むと、なんだかお互いに少しずつ気恥ずかしい。みんな行くときより静かだ。今日も同じ席の車酔い3人組みのうち、1人は、朝に恋人と喧嘩をし、鞄を放り投げての、激怒の出発となったので、彼女の隣に座る車酔い組みの私も、その激怒が収まるまで、静かにしていたので、余計に眠かった(笑)。途中、タケオの学友の実家により、マンゴーをごちそうになって、というより、マンゴーの奪い合い、分け合うということはなく、この国では奪い合いをしないと生きていけない(笑)、とにかく先にとった者が勝ち。私は学友のご好意で、手土産にもぎたて天然マンゴーをたくさん頂く。

 

本当になにはともあれ、「サッバーイ、サッバーイ(楽しい、楽しい)」が好きなクメール人。約24時間、若いクメールの学生の怒涛の結婚式に付き合った、外国人、私とベトナム人2人の計3人は、それなりに「クメール流」に気を遣い、それなりに精一杯彼らとともに、楽しんだが、ボロ雑巾のように疲れ果てている(笑)。

 

午前11時、無事にプノンペン着。

  みな、それぞれの帰途に着く。

 

 怒涛のみんなの巻、完。

 

 自宅について、私は、まず、お湯シャワーを浴び、洗濯物をタライに放り込み、洗剤をふりかけて、そのままつけこみ、お昼寝を決め込んだ。とにかく、眠かった。起きると、もう午後4時だった。そこから、洗濯をし、雨の落ちそうなプノンペンの空にもめげず、洗濯物を干さなければ、なんとなく気がすまない。「雨よ、降ってくれるな」、旅の片付けは、その日にやらないと、翌日は、したくない主義なのだ。サンダルを洗い、土埃だらけになった鞄を拭く。

 それでも、夜は、さすがに、9時には眠くなった。ラジオVOA(ボイス・オプ・アメリカ)を聞きながら、就寝。

 

 私の巻、完。

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華麗なる?学友お嬢さんたち、勢ぞろい。