クメールニュース「タ・モク死去 葬儀のため遺体がアンロンベンに輸送される」 | カンボジア的スローライフ

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スローダウンしてみると見えてくるものがある。ありふれた日常のささやかな出来事。人生って、そんなささやかな暮らしの一つ一つが集まったもの。だから、その一つ一つを大切に暮らすことができたらいい。マンゴーがたわわに実る国、カンボジアからの発信。

 結局、本当にタ・モクは、元クメール・ルージュ幹部の特別法廷のために行われるはずだった裁判所の聴取の前に亡くなった。この南西地域のもっとも有名な元司令官は、去る721日金曜日のまもなく明け方になろうという時刻に、長期治療を受けていたプレア・ケット・メアレア軍病院で息絶えた。タ・モクは、712日から意識不明になり、酸素吸入による呼吸しかできなくなった。しかし、病院の医師達の懸命な治療により718日火曜日に一度意識が戻ったが、彼の運命は2006721日という終局に近づいていた。その火曜日には、親戚一同がモハー・モントライ寺で、タ・モクがこの危機を乗り越えるためのお経を唱える儀式を行った。このモハー・モントライ寺を親族が選んだのは、たまたまではなくて、この寺が以前タ・モクがまだ青年のときに出家をし、10年間僧侶をしていたところであるからだ。9人の僧侶が今回の儀式でお経を唱えた。「私達親戚子孫一同は、これが今重病と闘っている私達の父親に恩を示すことのできるよい機会だと思っております。私達は、どのようにして父を助けたらよいかわかりません。このように仏教とその教え、そして僧侶に従うしかありません。」とは、タ・モクの三女であるプリアク・ダリニー51歳の言葉である。

 

 タ・モクは、82歳で亡くなった。クメール・ルージュの時代、彼は、彼のグループにより数万人もの人民が殺されたとされる南西地域の名高い司令官の1人であった。「生の手の殺人者」と異名をつけられたタ・モクは、199936日に彼の最後の隠れ場所であったアンロンベンにて捕らえられた。タ・モクの親戚は、彼が捕らわれてから今までに、彼のためにこのような宗教の儀式を行ったことはなかったと言った。一週間前、タ・モクの家族は、政府がタ・モクを、彼がアンロンベンに暮らしている頃によく治療に行っていたタイ国のバンコクの病院に搬送してほしいという請願書を書いたが、政府からの返答はこなかった。

 タ・モクの遺体は、21日の午前11時に軍病院を出発し、遺族が習慣に従って葬儀を執り行うためにアンロンベンに搬送された。このタ・モクの死亡は、1998年のポル・ポトの死去に続き、クメール・ルージュ独裁制の犠牲者の正義を探ることに関しての大きな損失である。タ・モクの容態が、監獄から病院に移されるまでに悪化したのは、クメール・ルージュ法廷の裁判官や王国の権威が彼らの事務所で作業をするようなってからのこの数日間のことである。

 このクメール・ルージュ独裁制の重要な証人であったタ・モクの損失は、カンボジア政府と国連のもとで準備されている元クメール・ルージュ幹部の特別法廷が時にすでに遅れている、という新たな証拠のひとつでもある。

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 ちょっとバタバタしている間に、ラジオも聞かずにいた。今日、いつもの週刊新聞を買いに行ったら、前述の「タ・モク死去」の一面だったので、びっくりした。地方から戻ったら訳そうと思っていた先週の新聞記事では、タ・モクの容態が悪化し、おそらくあと数日の命だろうと伝えていたのだった。

 そしてその先週の記事の中には、パエン・ソンサマイ弁護士の発言が書かれている。

 タ・モク氏の子息が先週の月曜日には発表した内容によると、タ・モク氏は、もしも自分の命がさらに長く保たれるならば、聴取を受けるつもりがあり、そして、民主カンプチアについてのすべてのことを明らかにしたい意向である。「彼(タ・モク)は、私に、『世界中に伝えたい、私はあの時代に誰1人も殺してはいない。司令官としての役割のもと、私は、あの時代の組織への供給のため、道や橋、堤防や田んぼや家畜の飼育のための灌漑水路・ダムの建設という任務を担当したのだ。』と言った。」

 パエン・ソンサマイ弁護士によると、この7年間監禁されている元軍司令官が、国際間の情報の中で、彼が凶暴で残酷な行いをしたと言われていることに関して、残念な思いを表しているという。タ・モクが、弁護士に言ったという、「そのときがきたら、このすべてのことの詳細を話したい。」そして「世界中が衝撃的であろう」と。

 クメール・ルージュ政権が倒れてから、もう27年がたとうとしている。国民の半分近くが20歳以下であるという人口層のカンボジアでは、国民の半数以上が、今行われようとしている特別法廷のあの時代を知らないことになる。もう27年なのか、まだ27年なのか。この多額な費用をかけた特別法廷に、意味があるのか、ないのか。一体なにが裁かれて、なにが裁かれないのか。あの時代に、たくさんの死体の中に捨てられて血の涙を流した幼き友人の、ついに帰ってこなかったお父さんを思う友人の、今もなお母の消息をたどる友人の、その涙はこれで救われるのだろうか。多額の費用をかけて行われるのだから、せめて、あの時代に失った魂が少しでも救済されて、あの時代を乗り越えて今を生きる魂が少しでも癒される結果を願う。


参考資料:ソムネー・トメイ 73号(2006年7月24日-7月30日)、ソムネートメイ72号。