カンボジアライフ、成功への架け橋! | カンボジアサクセスストーリー

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2010.6.3

雨が降り私と坊さんは大慌て。全てのドラム缶やバケツをあちこちから集めて家の軒下にセットする。生活水の確保だ。二人でパンツ一丁になって角へと走りバケツを置く。
日本人ならバケツ2杯で身体が洗える。カンボジア人なら多分バケツ半分でそれを処理できるだろう。池の水で身体を洗っても後味が悪い。後からカラダが痒くなる。
雨水はここでは私には最高の物に値する。この水でご飯を炊いて欲しい。その方がまだ良い。池のご飯は最近の雨で濁ってきている。臭くて吐き気がするがコーラで流し込む私の食い方にそろそろ現地人は変だと気がつくだろう。心を隠して食べる事が一番辛い。失礼にあたらない事を祈る。

ここで私は日本語学校の先生ではない。坊さんは常に日本語を聞いて来る。
日本には魅力があるという。四季があり文化があり経済がある。しかし、坊さんの勉強している日本の文化はもうすでに日本には残ってはいない。着物を着てはいないと言って説明するが私の着物を見せてくれと言って奴がうるさいから私は日本人じゃないと言って切り抜けた。歴史や人物など日本で私は考えた事がなかったが彼らは歴史的人物を勉強している。
昔の日本を今度は私が勉強している。何がなんだか分からん会話だが。

私の尊敬する人はアメリカだ!1900年頃に鉄鋼王として有名になり彼は
「人が金を持ったまま死ぬことは不名誉である」と語り
3000もの公立図書館を寄贈したんだ。

このあたりを説明するのに約30分時間はかかる。その時間で完璧に伝わってはいなにも成功に関してかなり坊さんは興味をもちその哲学を学びたがる。

ナポレオン・ヒルにまで話が流れた時、それまでうん。うん。聞いていたが、坊さんは「ヒル、ヒュル、ヒョール」
なんか分からんが日本にもいるバッタ(虫)を指差しこの話がそのヒュ^ル?だと言い興奮した。私は呆れかえったがこれは完全に何もかも伝わっていないなと話を止めた。
私がバカだった。

これが日々行われている彼とのに非常会話である。

傾聴は愛なり。

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