コミュニケーションの取り方(其の二) | 桑原 渉のブログ

桑原 渉のブログ

ブログ頑張ります!!

こんにちわ(^^)/


コミュニケーション其の二です。ニコニコ




人は何故、「プライド」を持つのか? どうして「プライド」を前面に押し出して素の自分を隠してしまうのか?今日はそのことをじっくりと考えてみたい。

たとえばあなたが人がたくさん行き交う街中を歩いていたとします。何かの弾みで足が躓き、デーンと派手に転んでしまった・・あなたは慌てて起き上がり、何もなかったように振る舞おうとする。だけど転んでしまったのも事実で、何だかバツが悪い気持ちになる・・と、こんな経験をしたことあるのではないでしょうか。

つまり「恥」が大きく影響しているのです。

転んだ姿がみっともなくて恥ずかしい。誰かに見られていて恥ずかしい。とにかく「恥ずかしい」という気持ちが大きいから、バツが悪い。
私たちが「プライド」という鎧甲で全身を覆うのは、「自分を守るため」でありますが、その心理は「恥ずかしい」からというのが見え隠れしています。

「恥ずかしい」から「プライド」で身を守る、といったほうが正解ですね。誰でも他人から攻撃されたり、いじめられたり、後ろ指さされたり、非難されたり・・そういうことは出来ることなら避けておきたいところ。どちらかといえば、認められたり、褒められたり、尊敬されたり、そうであってほしいと強烈に思うものなのです。
しかし世の中にはいろんな人たちがいますから、必然的に守りに入ろうとするのが人間の本能といいますか、性(サガ)というもの。仕方のない話かもしれません。

自分自身も含めて思うことなのですが、いっそこの「恥ずかしい」という気持ちを逆手に取ってはどうだろうか?と考えました。「恥ずかしい」気持ちが「プライド」になって相手とのコミュニケーションを破綻させるなら、そんなもの捨てたほうがマシ。と、そんなふうに思うのであります。逆手に取る具体的なやり方としては、あえて「恥ずかしい」を前面に出してはどうか?ということ。ありのままの自分こそ全てであって、それを恥とかどうの関係なしに相手に見せること。

これを別の言い方にかえると「胸襟を開く」とか「腹を割る」とも表現されます。相手からすり寄ってくるのを待っていても仕方ありません。自分のほうから素直に表現すること、自然体のままサラリと通すこと、これに尽きるのです。そしてこういうことができる人こそ本物のコミュニケーション上手と言えるのではないでしょうか。

恥かいたっていいじゃないですか。
バカだと言われようが、アホと言われようが、そんなものどうでもいいことであって
何よりも自分自身がブレることなく、しっかり信念貫いていればいいんだから。

好きな言葉に「野心」とか「野望」というのがありますね。漢字そのものを見ると何だか荒くれたようなイメージが持たれますが、この意味の真髄は「自由」だと思うんです。しかも心の自由(精神の自由ともいう)飼い慣らされてないから、「野」なんです。「野」は大自然そのものですから、可能性も無限大。自身のツマラナイ「プライド」なんか、さっさと捨ててしまえばいい。そんなもの捨て去って、もっと大きく深いものに気づかなきゃいけないんです。


其の三はカキコするかどうか考え中でーす。得意げ