今回の記事は完全な私個人の防備禄です。
公開するに当たって公開の是非のコメントはご容赦ください。

12月7日(金)
午後12時36分
警察署より父名義の車両が単独事故を起こして救急搬送されたと。
父であるかは警察では分からないと言うが、まず間違いないだろう・・・。
自宅にかけたがつながらず、どういういきさつかは分からないが次男の私の携帯番号がわかったと。
この時点では心肺停止で・・・。

午後12時40分
母の携帯もつながらず弟と連絡がつき、病院へ向かっているとのこと。
父の状態は重傷(後に重症と判明)。
交通事故と聞かされていたので重傷と捉えてたので命に別状はないのかと思っていたこの時。

午後1時9分
弟より、搬送先では対処できないと次の病院へ行くとの連絡。

この時点で、私も現場を離れる覚悟をして、キリのいいところで失礼しました。

午後2時9分
京都市山科区の音羽病院に到着。
まだ救急搬送されて処置中のため待合室で待機。

この時初めて、重症だと判明。
病名は、くも膜下出血。
その影響で意識を失って、事故を起こしたと・・・。

幸いなことが1つ。
父は他の人、車を傷つけませんでした。
それは普段から安全運転しかしない父への神様からの最大のご褒美だったのでしょう。
私たち家族に余計な気苦労させないでくれました。
この意味は皆さんわかっていただけるでしょう。


間もなく面会が許可され、朝以来の父と対面。

呼吸器を付けて胸の鼓動が強い(良いという意味ではない)。

意識はなく、ずっと目を閉じたまま・・・。

先生の話では
この2日間ほどで最悪の場合も。
もって1週間。

それぐらい重症だと・・・。

そのまま父は集中治療室へ。

対処としては脳の腫れが収まるのを待つ。
そうなってから次のステップへ進むと。

この日の前日夜、頭痛がすると母に言っていたらしい。
母はかかりつけの医者に行くよう勧めて父も翌朝(事故当日)病院を訪れていた。

そこでの診断は、高血圧。
普段から血圧を下げる薬を処方してもらっていたが、より強い薬を処方してもらったらしい。
ただ、この時点で服用はしていない。

それから数時間後のお昼前、コトは起きてしまった。

午後3時37分
なかなかつながらなかった元嫁さんと連絡が取れ、子供たちを連れて来てくれるとのこと。

午後5時31分
子供たちが到着。
この時すでに、長女(6年生)は下を向いたまま。
長男(4年生)はまだ状況をくみ取りきれてない様子。
すぐに父のもとへ連れて行き、理解できるように状況を説明。
ついには2人とも泣き出してしまった。
当初は、長男が理解できるのか不安だったが、死に近付くという悲しさを共有してくれたのが嬉しかった。
長女にあっては、父(おじいちゃん)に会うのは8月終わり以来。
私が忙しくて代わりに一緒に花火をした日だ。
私の両親にとって初孫だった私の長女。
初めての女の子で嬉しそうにしていた父。
それを思うともっとどうにか会う機会を増やせば良かったと後悔するばかり・・・。
元はと言えば私が離婚したことで会う機会が激減したのがひとつ。
それ自体を私は辛く思っていたが、今回また、同じ事で後悔の念を感じることになってしまった。
やっぱり親不孝者だ・・・。

あまり大きなショックを与えてしまっても子供たちには辛すぎるかもしれないので、なんとかひと言、声をかけさせて母親の元へ返した。