2016年のピースウオーク「命の行進」の参加リポートより

 

「命の行進2016」全日程:

3月3日(木)宮城県仙台を出発して南に向かって東北を南下。3月10,11日(木、金)には福島原発の近く南相馬市を通り、3月28日(月)は茨城県東海第二原発の近くを通り、4月9日(土)には東京都内の経済産業省を訪問。4月14日(木)最終日は奥多摩仏舎利塔に到着。

 

命の行進2016メイメイさん(台湾)報告 Report from Meimei in Japanese 

HENOKO NON VIOLENT ACTIONより転載

 

 
 
平和行進のために出発する数時間前、私はまだ目の前に散らばる荷物をまとめられないでいた。
 
というよりも、日本へ行くか、行かないかまだ迷っていた。
 
 
 
それから6週間後、私達は750㎞を宮城県の仙台市から、東京の仏舎利塔のある大寺山まで歩いた。
 
 
行進を終えるといつものように皆にありがとうと感謝を述べた。でもこれで行進が終わってしまったとはなかなか実感できずにいた

行進で見て、聴いて、経験した一つ一つの事が私の体の細胞の一つとなった。
 
そして、私のなかのある部分が確かに変わり始めた。

実は日本に来るのはこれで5回目でした。しかし観光ではなく、日本をここまで掘り下げて見ることは今までなかったです。
日本山妙法寺の御出家の方々と歩くことは私にとって大きな挑戦でした。

朝から唱題が始まり、歩いているときも唱え、常に唱えていました。それは私にとって忍耐の修行となりました。
 
ある日、私は矢向庵主さんに「何故、南無妙法蓮華経といつも唱えるのですか。あなたにとって唱えることは何を意味しますか。」と尋ねました。
 
庵主さんは応えられました。「唱えている間、私達は思いやりと愛を草木でも花でも、動物そして人々、全てのものに送っているのです。」と云われました。
庵主さんの言葉は私を直撃しました。そして何故私は歩くのか理解しました。
 
私はただ台湾から来たというだけでなく、ただ人間としてだけでなく、ただ自分というものだけでなく、私は世界中と繋がっているので、自分が他国の人間であっても、私が美しい自然の中を歩こうが、汚染地帯を歩こうが、歩く意味は同じだということです。
 
行進中、私達に興味を持ち、話しかけてくる人はほとんどいませんでした。
 
例外は警察官と子供です。
 
私が推測するに、そのことが社会がこの行進に対して感じている事を表していると思います。“危なくて不思議”なもの。

 
国会議事堂の前で10名の警察官が私達に移動するように言ってきたとき、矢向庵主さんが動じない姿を見て、「そうだ、福島の人々の苦しみを思うとき、全国の放射能の恐怖、不安を感じている人たちを思えば、警察を怖れる必要なんてない」と感じました。
 
歩き始めた頃は何故多くの人々が原発、放射能の問題に対してもっと行動しないのか理解できませんでした。時が経つにつれ、歩くなかで少し理解できたことは、皆自分の感情を表に出すのを恐れているという事でした。

私達をみてすぐに家に入ってしまう人、私達をみて歩く方向を変えてしまう人、私は疑問を持ちました。
 
 
原発事故のあと、周りの人ほぼ全員が声を上げず、行動に移さない中で、自分が正しいと思う行動をとるのは難しいことで、何もなかったように振る舞うのは簡単でしょうか?
 
 
自然を守ることが私達にとって一番大切なことだと信じるのは、純真すぎますか?
 
 
私は人々のなかに恐怖を見ました。皆、将来に希望が見えず、原発事故による放射能の恐怖に立ち向かうことができず、今までどおりに何もなかったかの様に暮らすのが楽であるように生活をおくっています。
 
 
様々なことが頭を巡りますが、最後にはやはり、”核の連鎖を止めなければならない”、”人間はこの地球に対して責任を負わなければいけない”と思います。
 
 
私達は電気が造られる過程、またどれくらい無駄に使っているか、知る人は少ないです。
 
そしてもし、人間社会がもう少し、シンプルに生活できれば…。欲望を追い求めるだけでなく、次の世代のものたちの事を想うことができれば…と思います。
 

行進が終わり台湾に帰る前夜、台所でゆっくりとしていると突然ラジオから九州で大きな地震があったというニュースを聴き驚きました。
 
地震に対して人間は何も力をもたないし、核も暴走してしまえば人間は対処できません。この熊本地震のニュースにあい、再び何故私が東北を歩いたのか、思い起こしました。
 
仙台で出会った農家の方々の顔が浮かびます。汚染された森の木々が伐られ、道路沿いに積み上げられたフレコンバッグ(汚染物が詰まっている黒い袋)の景色、“除染作業中”と書かれたサインが立っている河川敷。

このような事実はもっと多くの人々に知られるべきだと思います。
 
当事者である希望を持てずにいる人たちは癒され、愛されることを必要としています。自然と調和した暮らしを取り戻しましょう。
 
私は今回の行進を歩き、多くの人たちに出逢えたことに、心から感謝致します。心も魂もズタズタにされてしまった人々に会いました。
しかし、そんな人々から笑顔をもらい、愛を頂きました。

行進団をお世話してくださった皆様、温かい心をそそいでくださった皆様ありがとうございました。

殊には、私と一緒に歩いて下さった人々に感謝致します。
強い心をもって見ること、聴くことを教えて下さいました。
早朝にお勤めをする事で、私に忍耐を教えて下さいました。謙虚になること、現実の世界に背を向けないことを教えて下さいました。
 
ありがとう、日本。これからも強くいて下さい。
自らの信じるところを貫き通してください。
 
メイメイ
 
 
 


ブログ「OurPlanetEarth」より転載

 

映画「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」よりワンシーン

 

 
 


 
 
 
 
ロンドンでプロのミュージシャンを目指すが夢破れ、家族にも見放されてホームレスとなった青年ジェームズ。人生に目的も目標も持てないまま、薬物依存から抜け出す事もできず、まさにドン底の生活を送っていた彼のもとにある日、足にケガをした一匹の野良猫(ボブと命名)が迷い込んでくる。ジェームズが有り金全てをはたいてボブを助けて以来、ふたりはどこへ行くにも一緒で、次第にその動向が世間の注目を集めるようになる。しかし、彼らの前に次々と試練と困難が立ちはだかり、ジェームズはボブのためにも、それらを1つ1つ乗り越え、やがて大きなチャンスが訪れることになり……。(公式サイトより)
 

2017年7月13日 東京新聞

学生時代の思い出を語る羽生善治三冠=三重県菰野町の湯の山温泉グリーンホテルで 

 

最年少の将棋プロ棋士として活躍する中学三年の藤井聡太四段(14)=愛知県瀬戸市。連勝記録が止まったとはいえ、棋界を席巻する新星が注目される中、史上三人目の中学生棋士としてデビューした羽生(はぶ)善治三冠(46)が本紙の取材に応じた。タイトル獲得通算九十八期の大先輩は、学生棋士として奮闘した実体験を踏まえつつ、藤井四段への周囲の支援の大切さを訴える。 (岡村淳司)

 羽生三冠は一九八五年十二月、中学三年でプロに。当時はプロ合格と同時に、将棋に専念する棋士ばかり。だが「将棋界は独立していて他の世界を知ることができない。幅広く知識を広げたい」と、東京都立富士森高=八王子市=に進学。「何としても卒業し、大学にも進むつもりだった」

 活躍するにつれ、授業のある平日に多くの対局が組まれた。ピーク時には月に十日も。関西で深夜まで対局に臨み、始発の新幹線に乗って学校に通った。「着いた時にはへろへろ。本当に、席に座っているだけ」。それでも三年間、通い続け、学校行事もできる限り参加。「修学旅行は東北の八幡平に行って初めてスキーを覚えた。今でも同級生とは多少のつながりがある」という。

 両立は難しく、単位不足で卒業できなかった。自分で調べて通信制のカリキュラムを見つけ、編入して不足分の単位を取得。「十一歳で入門し、よく分からないまま棋士になった。『この道を選んだ』という瞬間や、誰かに進路を相談した経験がなかった。高校で同級生が進路に悩んでいるのを見て、うらやましいとさえ思った」。高校生活のおかげで、自身を客観視できるようになった。

 中卒で将棋に専念するか、高校進学か。「いま、どちらが良かったかは分からない」と振り返るが、決断に後悔はない。「棋士の道のりは長い。どう役立つか分からないけれど、将棋以外の経験をしておいてよかった」と実感している。

 藤井四段はプロ入りを想定し、高校受験のない中高一貫校を選んだ。今後、羽生三冠のように学業との両立で悩むこともありそうだ。羽生三冠は「当時に比べ、未成年の生活や仕事に厳しい目が向けられる時代。悩ましい面があるのでは」と推察する。藤井四段の今後について「しっかりしているので、淡々と着実に成長していくと思う。本人より、私も含めた棋界全体が支援してゆくことや、応援する環境づくりが非常に大切」と訴える。

 中学生棋士への注目度は、羽生三冠の当時とは段違い。「特殊な状況。『こう対応したらいい』というセオリーがなく大変だが、その分、実力を伸ばすチャンスも来るはず。生かしてほしい」とエールを送る。

 羽生三冠の棋士人生は三十年を超えた。「モチベーションに波があったが、割り切ってやってきた」。藤井四段ら有望な若手や、常識を覆す人工知能(AI)の登場で、将棋への情熱が再燃している。「藤井さんの活躍を見ると、すごく刺激を受ける。非常に良い影響を与えてもらっている。最近、将棋以外の仕事が多かったが、しばらく将棋に集中したい」

<はぶ・よしはる> 埼玉県所沢市生まれ。小学5年で二上達也・元日本将棋連盟会長(故人)に弟子入りし、プロ棋士を養成する奨励会に入会。異例のスピードで昇級、昇段を重ね、15歳でプロに。88年のNHK杯で大物棋士を次々と破って優勝し、一躍スターに。翌年の竜王戦で初タイトルを獲得。96年には初めて将棋界の七大タイトル(当時)を全制覇した。趣味のチェスも日本トップレベル。

(以上、東京新聞より転載)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201707/CK2017071302000127.html

 

 

 


映画「曲がれ!スプーン」 クリスマス・イブ、とある喫茶店"カフェ・ド・念力"。そこでは、1年に1度本物のエスパーが集い、普段ひた隠しにしている自らの能力を思う存分披露し合うエスパーパーティーなるものが開かれていた!(プレビュー)

 

ラストは感動的。

私たちが出会う未来も暗示させてくれるそんな映画。

 

現在無料動画配信 GYAO!で 2017年7月21日まで無料で観ることができます。

https://gyao.yahoo.co.jp/p/00908/v13481/

 

 

 

 

ロバート・デ・ニーロは、最近カンヌで映画祭で彼の最新の評判の高い映画「ハンズオブストーン」、ボクサーのロベルトデュランについての話をしました。
 

 彼は椅子につくと、彼の映画についてボルチャードットコムのインタビューアーと長く話しましたが、自閉症とのつながりについても質問されました。 
彼はまた、業界最大の強豪であるハーベイ・ワインスタインとのワ​​クチンに関するドキュメンタリーを発表する意向を表明しました。 
 
 ロバート・デ・ニーロはワクチンの安全性について活動しているロバート・ケネディ・Jr(Robert Kennedy Jr)氏の活動でも協力しており、この映画への関与もあり得るとのことです。

 

ボルチャードットコム(vulture.com):ニューヨークマガジンのひとつ。映画、テレビ、音楽から文化的価値観を包括的に取り入れたニュースなど幅広く紹介している提供している。

 

Vulture.comで行われたインタビューは次のとおり。

- まずあなたに尋ねたいことがあります。

あなたに自閉症の子供がいますね。あなたが主催するトライベッカ映画祭というのは、あなたが製作したアンチ予防接種ドキュメンタリーの論争が事の始まりであるかどうかを尋ねたいのですが。 あなたがそのテーマを選ぶことで学んだこと、またそれを見せないことを選ぶことから何を学んだと思いますか?


RD(ロバート・デ・ニーロ):

私が学んだのは、まず、大きな反応があったことでした。そのようなことあは私は起きないと思っていました。それは映画製作者からのものでした。

おそらく、私はそれが本当は誰が相手だったのかをまだ見極めていません。私は映画が上映できない理由が私にはなかったので、この映画の上映を反対するものが誰なのかをただ知りたかったのです。 映画は誰も傷つけるものではなかったからです。

 その出来事(上映を反対されたこと)は私にその出来事の何か真実を訴えてきました。

もしかしたら、彼らが言うように映画の上映却下の判断は妥当であるかもしれないと私は思いましたが、たぶんいくつかの点では間違っていたかもしれませんが、映画が20%正確であれば、見る価値があると思いました。

そして、上映却下の理由は、映画監督のせいであると言い、映画を製作した監督は信用できないと彼らは言いました。

いったい映画監督はどのように信用できないというのでしょうか?

それは取材した医療機関によるのでしょうか?

私は彼らの回答についてまだ理解できないことがたくさんあります。

しかし、

そのことが、私にすべてのことに疑問を抱かせました。

全てのワクチンにかかわる出来事、問題は事実だということです。 

それは巨大なお金によるものです。

だから私のワクチン問題に関するドキュメンタリー映画は彼らの注目を集めました。 

私はそれに満足していました。

私の別の映画「トレスアマウント Trace Amounts」では、私が製作したアンチワクチン接種ドキュメンタリー映画製作上映の経緯で、私が経験したことを話しているのと、人々は本当の真実が何か見て知るべきであるということを訴えた映画ですが、もちろんある一部の人々にとっては、ペニシリンか何かのように刺激的すぎるでしょう。

- 結局のところ、人々は映画を見ることになるでしょうか?


RD:そうですね、

あなたはいつも、ワクチンに反対しているのではなく、アレルギーのある人を傷つける可能性があるからワクチンに混入されたものに対して反対です、と言うでしょう。

しかし、ワクチンは時々人間を殺すことができます。  

それを行いうるのは産業です。  

CDCが投入してるワクチンには、非常に巨大なお金が動いているのです。


- あなたはこの機会に、この映画を再び見せてくれるでしょうか?


RD:いいえ、私は今何か他の事に取り組んでいます。  

ハーベイ・ワインステインと私はドキュメンタリーの制作に取り掛かっていますが、私はそれについて多くのことを話すつもりはありません。しかし、それが私たちがやろうとしていることです。

 


インタビューの後、ライターは、デニーロがハーベイ・ワインスタインの支援を得て、自身のワクチンに関するドキュメンタリー映画を公開する意向を発表しました。
 

トライベッカ映画祭(トライベッカえいがさい、Tribeca Film Festival):

トライベッカ映画祭は2002年に設立され、今回で16回目を迎えるインディペンデントの国際映画祭。設立当初は2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロによって沈滞するニューヨークの復興を目的に、俳優のロバート・デニーロらによってスタートされた復興イベントでしたが、現在では北米東海岸を代表する映画祭にまで成長している。

(以上、ブログOurPlanetEarthより転載)