魂の表現の流れ (2) | サンフランシスコで生きるゆき

サンフランシスコで生きるゆき

この空間(ブログ)は、自分の魂のエネルギー・自分の真実を
魂から感じられるままに表現してます。

シュタイナー教育者になるためのプログラムを受講した。



月曜日から金曜日(午前9時から午後6時)までフルタイムで働いて
金曜日の夜(午後7時から午後10時まで)プログラムを受講して
土曜日の朝(午前8時半から午後1時まで)プログラムを受講して
土曜日の午後2時から午後9時まで別の職場で仕事をする。
日曜日の朝10時半から午後7時まで仕事をする。



やはり疲れは感じられなかった。



身体は感じられなくて
常に魂のエネルギーを、淡々と感じていて、調和にあり、喜びにあるのが感じられた。



プログラムを受講していて
プログラムを受講しなくても、常に自分でしっかりと表現できている。



と、感じられた。



本などを使用するクラスでは、制限が感じられた。
魂から、著者に先生などのエネルギー、またその他のエネルギーなど必要ないと感じられた。


しかし、直ぐにどうして必要ないのか
また、自分のエネルギーを感じて、自由性・広がりが感じられた。



楽器を演奏する授業でも、すでにある、と感じられた。
特に練習しなくても、すでにある、と感じられた。



必然と、他の生徒とシェアをする現象が与えられた。



段々と、魂から
プログラムを受講するという現象が必要ない、と感じられた。



ある日、その理由が感じられた。



エネルギーが感じられて



全て、既にある。



と、感じられた。



自分には、全て既にあり
しっかりと表現されている。



わざわざ、求める必要はない。
わざわざ、出向く必要はない。



全て、既にあり
自然に感じられて
自然に、しっかりと表現されている。







自分から溢れ出しているエネルギーが感じられて
周りの現象も通じて、自分のエネルギーが感じられて



全て自分で
全てが最高を表現している、エネルギーが



より鮮明に感じられた。



2011年クリスマス休暇中
やはり、プログラムを続けるのはやめよう、と感じられた。



理由は、必要がない、から。



2012年1月、休暇開け直ぐに主催者にメールをして
口頭(音)でも表現すべきだと感じられて



身体が学校へと出向いた。



音でも表現をした。



続けて欲しい、と言われたけれど
もう、既に選択していて
エネルギーはより広がりへとシフトしている、と感じられた。



とり合えず、その日は最後まで授業に出て
また、返答します、と表現した。



やはり、必要ない、と感じられた。
入ってこない。



クラスの代表者に
プログラムを受講することをやめる、と伝えた。



常に、自分の魂のエネルギーが感じられて
そのまま溢れ出してく、エネルギーが感じられて



全てを包み込んでいるのが感じられて



全てに対して、最高のエネルギーの表現をありがとう
と感じられて



涙が溢れ出してきた。



代表者は驚いたようだけれど
感じられているエネルギーを音でも表現した。



代表者も涙ぐみながら



そのエネルギーにあれば
なんでもできる、と表現された。



それからしばらくして



土曜日の夜、仕事をしていて



僅かに指を動かした感覚から
涙が溢れ出した。



瞬きにしても
僅かな動きにしても



全てが
魂の最高の表現だ。



という、魂からのエネルギーが鮮明に感じられた。



最高に美しい、と感じられて
ありがとう、ありがとう・・・・。



と、常に溢れ出している
自分のエネルギーがより鮮明に感じられた。



つづく~。