椎原崇さんの本「うまくいったやり方から捨てなさい」を読みました。
その中でチャプター1の
「誰かの当たり前をできる限り遠ざける」
ー親の期待はブサメンからのラブレター程度に受け取れー
で、著者の方が
「親の期待に応えなくては、親の期待に答えられていない、と思っている自分をまだ抱えているのだとしたら僕はその思いをいちど親に言ってみることをお勧めします」とすすめている文章がありました
この時、思い浮かんだのが父です
ウチの実家は兼業農家をやっていて野菜などは自給自足で賄っています
父は週末に畑作業をすることが多く、僕も仕事を頼まれたりします
その頼まれた時にいやだ、やりたくない、といったことを言うと明らかにイラついた表情をするのです
そうか、わかった
と言いながらも去り際に
なんで手伝わないんだあいつは
と小声でボヤきます
はっきりとは言われませんがその言葉の裏から手伝わないやつは悪だ、人でなしだ、役立たず
といった雰囲気を感じていました
いやだ、やりたくない、と言った時にそういった態度をとられるのは辛い、ということを父に話そうと思いました
リビングにいた父の近くに座り「ちょっと今、話いい?」と声をかけます
そしてその辛いことを話そうとしたのですが、なかなか言い出せません
前にもの自分の感情を他人に伝えてみるということをしてみましたが、やはり慣れないもので声が上ずっていました
震えながらもどうにか話し終わった後は、現実的な父親でしたので至極真っ当な世論で返されます
そうかわかった
父から返事がありほっとしました
ですが次回はするけど共感はできないと一言付け加えので少しショックを受けます
頭ではわかるけれども感覚として理解することができないときっぱり言われました
またその後小学校の頃から家の価値観でもある、何々しなければならないと言う価値観をもとに頑張ってきた
タスク感じで優先順位をつけてこなしていった、しなければならないことを真っ先にこなしてきた
自分の感情を殺して正しいことをやり続けてきた
自分の感情を殺して正しいことをやり続けてきた
でも高校生の頃限界が来てしまい部活を辞めそうになったこと、アトピーになったことなど、それらが起きたことを話しました
高校卒業の頃に思ったことが
「あー、やっと解放される」でした
軽く人生が終わったかのように感じました
その高校生活までがものすごく辛かった、と言おうとしたときにふと涙がこみ上げてきて何も言えなくなりました
ただ伝えるつもりで話していただけなのに急に涙がこみ上げてきたので自分でもびっくりです
話せば間違いなく声が上ずって、泣いてる人特有のしゃくりあげるように話す声になる、と思って何もしゃべれなくなりました
心屋のBeトレなどで急に泣き出す人も見ていて「そんなに泣くもんかなぁ」と思っていたのですが、まさか自分が泣き出すことになるとは思いもよりませんでした
ほんとに急に込み上げて来るんですね
自分が泣いてる間、父は黙ってしばらくしてから
「そうか、わかった」
そう言いました
その後、父の口から出たのはやはり
「共感することはできない、
全くわからない感覚だ」
と言うことでした
近くにいた母も「理解はできる、少しは共感もできるけど、いまいちピンとこない」
といったことを話していました
また、
「話してくれないとわからなかった」
ともいいました
そこでやはり、話さないと他人が何を考えているかわからないものだなぁ、と言うことを実感し、
また自分のように繊細すぎる人の感覚は一般の方にはわからないもんなんだなぁと思いました
自分の気持ちを相手に伝えるのはすごく勇気がいりますね
いざ覚悟を決めて話そうと思っても、相手を目の前にすると声が上ずり震えてしまいます
自分の、いやだ、やりたくない、といった気持ちを相手に伝えるという行為は3度目位なのですが、いまだに伝えるのは怖いです
でも思ったより、
みなさん優しい反応を返してくれます
「あ、そうだったんですね、
知らなかった」
と初めて知るかのように反応してくれる方が多かったです
今のところ、自分の感情を素直に話して怒る方はいません
自分の気持ちを相手に伝えてすっきりした、と言うのと
相手から理解してもらうことができたことで、昨日よりは心のモヤが晴れたような気がします
これからも自分の
「いやだ、やりたくない」
といった気持ちを素直に相手に伝えていこうと思います
とても勇気のいることですが、
こういう事は自分のコミュニティ内で自分にしかできないことなのかな
と思います