数字の裏にあるもの、某LACの例 | 北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも

数字の裏にあるもの、某LACの例

大学の評価をする際に、卒業率が話題になることがときどきあるのですが、卒業率の高い大学つねに、ある学生にとって良い大学で、低い大学はどの学生にも良くないという意見は、LACに関して言えば、すこし荒っぽい分析ではないのかという感想を持っています。これは、2年度までの非退学率の数字も同様のようにも感じています。

この卒業率、非退学率が高いということは、何をおもに意味するかといえば、それは入学してきた学生たちが、その大学で教育をうけるための、十分な学力があり、学習習慣があり、自律的な生活習慣があるともに、財源的にも十分整っていることを示しているのではないかと思います。うわべだけを見れば、、この率が示す主要なものは、大学の教育内容、学生の面倒見のよさの格付けと思い勝ちですが、必ずしもそのことを意味するわけではないと、私は感じています。大学の面倒見が悪いから退学する、あるいは転校するというケースもあるかもしれませんが、財政的なことを除けば、LACでは、そちらのほうが理由の学生たちは、ごく少数だと思っています。むしろ、相性の問題のほうが大きいような気もします。

息子が某LACに勤めてから分かったことですが、中堅といわれる某LACの新入生のなかには、上で述べた準備の一部に不備のある学生もなかにはいて、申し込みをしていながら入学してこない学生や、入学後3ヶ月で自主退学、来期の休学を決めた学生たちが少なからずいるようです。本来であれば、Admissionが選抜をするなかで、すでに淘汰されていなければならないような新入生が、合格、入学してきているわけですね。私は、どの時点から退学すると、非退学率の集計の対象となるのかはわかりませんが、オリエンテーションの時点からですと、2.3日内に家に帰った学生がいたりしていますから、彼らも数字に含まれるのであれば、これは、率に響いてきます。

退学者が淘汰された半年間が過ぎて、その時期以後にも在学する学生の卒業する率をみれば、某LACも名門、有名とよばれるLACとほとんど変わりがないというのが、実情のようです。この部分では、4年後も在籍しながら卒業できない学生のいる州立の大学とは少し違うかもしれません。

学校のレベルというのは、生徒、学生のレベルに依拠するわけですが、高卒の皆が高レベルの生徒、学生であるわけではないので、誰でもがレベルの高い大学に入学できるというわけではありません。また、レベルの高い学生が集まる大学ほど、卒業率やGPAも高くなっているわけですが、自分のレベルに合った、いわば相性の良い大学に入学できれは、かならずしもその大学は卒業率が上の理由から高いとは言えないかも知れませんが、同様のレベルの学生同士が切磋琢磨するなかで大きく成長していける環境はあるのではないかと感じています。

(以下追加11・17) したがって、個々の学生をとってみれば、準備万端の学生Aさんの卒業確率は100%、しかし準備不足の学生B君にとっての確率は、はじめから0%とその確率は明暗をわける違いがあるわけですから、平均の数字(卒業率)に惑わされずに、応募者個人にとっての卒業確率を見極めることが、親にとっては大変大事なことのように思います。

卒業率や非退学率の数字だけではファジーな部分が表現できずに、またその裏にある理由に関係なく数字は見栄えよく前面にでてくるために、一見、確かなもののように見えますが、その裏にあるものの探索も必要なことがあるのではないでしょうか?