討論をしよう | 北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも

討論をしよう

Occupy XXXXという自然発生的な運動がこの国のなかで広がってきています。この位置づけは、現在のところ、リパブリカンのティ パーティと対置するものなのか、もうすこし、根源的なものなのか不明ですが、リーガノミックスから30年を経て、やっとというか、ついにというかともいえる現象です。

現在のこの国をみると、人々のなかに、共通のビジョンの欠如からいろいろな問題が生まれているように思います。税金、政府といったものの元である、どのような国に住みたいのかという基本的な共通の絵がないことに起因する、現象的なことでの争いが目に付きます。

社会として、人々の福祉はどうするのか、教育はどうするのか、交通手段はどうするのか、都市計画はどうするのか、安全はどうするのか、産業はどうするのか、政府の役割はどうするのか、といった設問にたいしての、答=共通の目標、イメージがなければ、いまもっての膠着の状態がこのままつづいていくのではないかと、思っています。

まずは、以前の階層から、2階級化した、このアメリカ社会の現実を認識すること、これが始まりのように思います。持てる者、持たざる者の差が顕在化した今、中産階級は破産した、しつつあるという認識にたっての議論が必要ではないかと私は思います。その意味では、99%を標榜するデモ参加者たちには、時代の理があると思っています。

民主主義の成立条件が中産階級の存在であるとするなら、今は、その危機に面しているとも言うわけですから、どちらに転ぶかわかりませんが、しっかりと、この社会の将来の望むべき姿について、議論をしていくことが大事だと思います。このまま、レッセフェールでいくのか、または、中産階級を再構築して社民的な社会をつくっていくのかの議論を始めること、これが、いぞがば回れ的には有意義なことだと思っています。

税金がかかるから、貧乏人は、野垂れ死にせよ、という政治のありかたもあるでしょうし、お金は掛かるが、貧乏人にも医療の手を差し伸べるというあり方もあります。どちらが良いのか、これから1年ほど、議論に議論重ねていかねばならないのでは、ないかと思っています。毛さん流にいえば、この1年間は毎日、毎時間この議論をしよう、1時間もまけてはあげられない。