Inter-Cultural Dialogue | 北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも

Inter-Cultural Dialogue

さまざまな文化的な背景、または価値観をもった、学生たちが一緒に住んだり学んだりする大学という場では、お互いの視野の限界、無知からくる誤解、偏見などからの葛藤、いさかいといったものを防ぐ相互理解のための教育が必要です。。また、育ってきた環境のなかで培われた、男女の力関係の「常識」といったものも、文化や家庭によっても違うのために、そこでもまた、視点の調整を学ぶ必要もあります。

誤解や、偏見、そして理解の不足からくる相克を回避して、親友にはなれないとしても、お互いの立場を理解して、人格を尊重した付き合いをするための教育のとりかかりが、この、Inter Cultural Dialogueと呼ばれるコースです。

息子は、1学期、20時間のこの科目ををUCLAで受け持ちました。役目は、学部の学生の討論形式の授業の進行係=講師でした。そして、就職した某LACでも、最近、このテーマに興味をもつ初年次と2年次の学生を集めて、セミナーを始めることにしたそうです。正式な授業ではないので、セミナーを履修する学生20名には、ご褒美として大学がカフェテリア以外からの昼食を提供するという予算を息子はせしめたので、今はセミナーに参加する学生の選考にとりかかっているそうです。セミナーのなかで、学生同士の話し合い弾むように多様性のある人選の必要があるので、結構頭を使っているらしいです。しかしこれは、応募者のプールが十分なのでで大丈夫だと言っていました。

Gender Study, Power Dynamics, Ethnic Study、Sociologyなどの知識が基幹となるコースとなるようです。

今回は、すでに学期がはじまってから数週間がたっているので、セミナーの回数は8回、計8時間のものとなるのですが、これでは、UCLAの半分以下の時間なので、課程の内容の選定、凝縮に腐心しているみたいです。

もしも、今回のセミナーがうまくいけば、、来期には、授業として、この科目を受け持つことになるという可能性も打診されているので、(時間的制約から実現性があるかどうかは、別にして)息子は張り切っています。修士の息子が科目の責任をもつことは、この大学のUS Newsのランキングには良い影響は与えないのかもしれませんが、某LACではこれまで誰もが携わっていなかった特質のある教育の機会を与えることは、学生のためになると、彼は信じているようです。まあ、教える資格のほうは、深い学術的なものでもなく、院生インターンでもUCLAがよしとしたのであれば、修士終了後なら、ここでも大丈夫だろううと楽天的に彼は判断しているようです。

西海岸の大学などでは、応募者の大多数が、さまざまな民族の背景をもつ友達と一緒に育ってきているという社会的な環境があるための、多分このような教育に焦点を当てていないところのほうが多いのかもしれないと、私は感じていますが、どうなのでしょうか?

「某LAC近況」でお伝えしたように、この大学の息子の職種では「新規まき直し」という時点が今なので、24歳の若造が上述のようなセミナーを立ち上げることのほかに、学生の寮生活のあり方の再構築のための方針の起案、策定などをしているようですが、このような機会のある職場にいることは、、彼にとっては、とてつもない幸運だと、私は感じています。