Privilege(特権)とEntitlement(生来の権利) | 北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも

Privilege(特権)とEntitlement(生来の権利)

運転免許というのは特権ですから、停止されたり剥奪されたりするわけです。また、義務教育を反対側から見れば、アメリカの場合には、州法で定められた教育をうけることは、少年、少女にとっては生まれながらの権利ですから、これ派、彼らが自分をきずつけたり、あるいは他の生徒を傷つけない限りは停止、剥奪される事はありません。カリフォルニアの場合には、幼稚園から高校卒業するまでが、適齢の子供にとっての被教育権を行使できる期間ですね。

大学は、この生まれながらにして国民に与えられた権利とは考えられていないですから、大学が決めてさまざまな規則、規定に及ばなければ退学させられます。奨学金については、これは明らかに特権ですから大学の在学するために足りる規定、規則以上の条件を満たしたうえでの獲得となるのが普通です。例外的には、合格しさえすれば援助の手を差し伸べるという大学が難関のなかでは極少数ありますが、一般的とはいえない状態です。

さて、前に一度おつたえしたPomona Collegeの大学が提供するビールの質を上げろという学生の「生活改善}運動は特権の一部の待遇の改善と位置づけられるわけで、大学としては一笑に付したとしてもよかったわけです。ダインニングホールの食べ物の種類が少ないとか、お肉が硬いというような苦情もこの特権についてもものだと、私は思います。このような苦情は相対的なものですから、息子などは、メルボルン大学から帰国後は、Pomona Collegeのダイニング ホールの食事については、「あの食事には飽きた」をふくめて、一切文句を言わなくなりました。メルボルンの体験から、上をみれば、上もあるけど、下を見れば下もあるぞということを悟ってきたようです。海外留学はClaremontという大学バブルからの開放の良い経験となってと、私は感じます。

日本からの留学希望者のなかにも、この権利を取り違えている人がいるように見受けます。GPA 3.2でアメリカの大学院の奨学金があるのかといった質問があるのには、すこし驚きます。こういう人には、顔を洗って出直していらっしゃいといいたいところです。自分の都合に合わせて、相手が何かをしてくれるはずという期待というのは、どこからくるのでしょうか?このような発想の仕方、気持ちの持ち方というのは、私には理解ができません。自分の道は自分で切り開く、手を差し伸べてくれる人も居るかもしれないけれども、それは前もって期待はしない、またその途中で困っている人に出会えば、できるだけのことをするというのが、人として当たり前のことだと私には思われます。この私の考えは、間違っているのでしょうか。

特権というのは、それを与える相手を納得させるだけの条件を満たすことが必要です。そのためにはそれなりの努力が要求されます。そうして努力の結果、積み上げた成果を相手に示し相手が満足して、はじめてこの特権は得られます。