Empathy
辞書を引くと、Empathyというのは「感情移入」と記述されています。私は、社会のなかで指導者になるための大事な条件として、その人にこのEmpathyがあるかどうかを挙げます。この感情移入をするためには、大変な想像力が必要かと思います。私たち一人一人の人生はその軌跡によって規定さてるわけで、そのさまざまな軌跡をもつ人々の集合体の社会を理解するためには、自分の実体験と違うおおくの経験の追体験が必ず必要です。この追体験は書物から、あるいは、実体験をした人の話を聞くといったことからできるわけですが、その体験を通しての他人の感情を自分のものとして獲得できるか、どうかが指導者のリトマス試験紙であるとも、私は思います。
今回の大統領選挙では、候補の出自といったものが議論されています。オバマ候補のシングルマザーの家庭から大統領候補にということから、サッカーマムからアラスカ州の知事といったことです。また、バイドン候補が庶民之出身ということも取りざたされています。これと反対に、マッケイン候補は、家が7軒あり、13台の車をもっているということも揶揄を交えながら、話されています。
私は、必ずしも庶民出身の大統領であるから、庶民の痛みが分かり、庶民のための政策をすすめるわけでもないと思っています。ケネディ家からでた、ロバートケネディは弱者の味方として高名をはせましたが、彼の政治的な軌跡をみると明らかに、この人はEmpathyの高い能力があったように思います。兄のジャックケネディをみても、出身の階級とその政策はかかわりがないと言えるように思います。むしろ政策はその政治のアイデアによってもたらされるものですから、庶民出身だからと言う点だけで、その候補に信任をあたえるというのは、選挙民として軽率だと、私は思います。たしかレーガン大統領は庶民の出身でしたが、今の金融危機の種まきをしました。
釣り人としての観点からいうと、ペイラン知事にはEmpathyというものが欠けるように私は感じます。ヘリコプターで空から、身を隠す事が出来ない狼を、追いかけて低空での静止飛行から射撃しての「狩猟」というのは、虐殺以外の何物でもないように、私には思われます。狩猟」がスポーツである限りは、制度として、狩られる側にも助かる可能性がなければいけないのに、にげる術が狼の側にはないので、これは、どうみてもスポーツではありません。この「狩猟」の仕方をかたくなに擁護するこの州の知事には、弱者へのEmpathyがあるかどうか、これは明白ではないかと思います。それとも人間は別だともいうのでしょうか?
今夜は、大統領候補の討論会です。選挙の動向の大勢としては、オバマ候補に傾きつつあるようですが、30日を切った選挙運動、まだまだ注目の価値ありですね。
今回の大統領選挙では、候補の出自といったものが議論されています。オバマ候補のシングルマザーの家庭から大統領候補にということから、サッカーマムからアラスカ州の知事といったことです。また、バイドン候補が庶民之出身ということも取りざたされています。これと反対に、マッケイン候補は、家が7軒あり、13台の車をもっているということも揶揄を交えながら、話されています。
私は、必ずしも庶民出身の大統領であるから、庶民の痛みが分かり、庶民のための政策をすすめるわけでもないと思っています。ケネディ家からでた、ロバートケネディは弱者の味方として高名をはせましたが、彼の政治的な軌跡をみると明らかに、この人はEmpathyの高い能力があったように思います。兄のジャックケネディをみても、出身の階級とその政策はかかわりがないと言えるように思います。むしろ政策はその政治のアイデアによってもたらされるものですから、庶民出身だからと言う点だけで、その候補に信任をあたえるというのは、選挙民として軽率だと、私は思います。たしかレーガン大統領は庶民の出身でしたが、今の金融危機の種まきをしました。
釣り人としての観点からいうと、ペイラン知事にはEmpathyというものが欠けるように私は感じます。ヘリコプターで空から、身を隠す事が出来ない狼を、追いかけて低空での静止飛行から射撃しての「狩猟」というのは、虐殺以外の何物でもないように、私には思われます。狩猟」がスポーツである限りは、制度として、狩られる側にも助かる可能性がなければいけないのに、にげる術が狼の側にはないので、これは、どうみてもスポーツではありません。この「狩猟」の仕方をかたくなに擁護するこの州の知事には、弱者へのEmpathyがあるかどうか、これは明白ではないかと思います。それとも人間は別だともいうのでしょうか?
今夜は、大統領候補の討論会です。選挙の動向の大勢としては、オバマ候補に傾きつつあるようですが、30日を切った選挙運動、まだまだ注目の価値ありですね。