誕生日に思うこと | 北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも

誕生日に思うこと

近頃、私の誕生日がありました。これで齢59歳となったわけですが、もう一年したら赤いちゃんちゃんこという心の持ち方はどうも出来ません。いっそ、どうしても着なくてはならないとしたら、来年は、ちゃんちゃんこを着て、マウンテンバイクで走ったらどうか、などと考えています。疾風のごとく走る自転車、風で背ぶくれした真赤なちゃんちゃんこというのは、自然の中で、絵になるとひとりごちでいます。

アメリカ合州国に滞在している総年数は32年になりますので、在米期間のほうが日本に居た期間をこえています。私が日本を離れる時までは、自民党の一党独裁政治の時代でしたから、日本のなかに政権交代のある民主主義が育つのかどうか、私の中では疑問がありました。官僚と医者が出世頭の社会で、東大を頂点とする学歴社会が、全共闘運動の目の敵とされた時代に青春をすごした、私には、住みにくい世界でした。

最近、日本のことを考えるにあたって、極論的な議論かもしれませんが、思っていることがあります。色いろ取りざたされる9条についてです。、憲法の第9条というのは、世界に他をみない立派なもので、国民に平和のためには非暴力で死ねというような大胆なビジョンをもったものは、これだけだと思っています。国の交戦権をみとめない、武器を取らないと言う意味は侵略してきた勢力にたいして、非武装の抵抗をするということですから、勿論、殺される側に日本国民はなるわけです。しかし、侵略してくる側も、勝利の意味は征服であり、皆殺しというのはその目的に沿いません。したがって、侵略してくる方は、どこかの地点で立ち止まらずをえず、抵抗が拡大していくなかで、歴史の方向が逆転していくという可能性にかけたともいえます。この国民の抵抗のありかたは、ナチスに侵略された、小国のベルギーやオランダでみられました。大変な犠牲を払いながらの、抵抗であったわけですが、制圧された数年のあいだ抵抗し続け、それを拡大していたことは特筆にあたいするように、思います。

UC Berkeleyの専攻の一つにこの大学らしい平和と争乱というものがあり、就職には最悪の専攻とかいわれていますが、私は、これは面白いと感心しています。ここの教授と話す機会があり、彼との話から、上の考えを思いついたのですが、いかがな物でしょう。

ただ、問題は、その国民が、その国のために犠牲になることを容認するためには、その国自体が国民にとって、犠牲に値すると認められるかどうか、これが最大の問題でしょうね。時代的な言い回しですが、大義のないところでは、自己犠牲もなりたたないかもしれませんね。

いつか、言おうと思っていたのですが、この機会にと、、、