ホーバート
仕事はしなくてはいけない。鱒も釣らなくてはいけない。Perchもつらなくてはいけない。息子の帰国の予定変更の手伝いをしなくてはいけない。 まあ、というわけでよく遊び、よく働く?生活を最近は楽しんでいます。釣りで歩く距離がかせげたせいか、最近の検診では血圧 79-115と体調もいいです。しかし、心は若者でも、体はやはり寄る年波のせいで、先週の末にふくらはぎの肉離れを起こしてしまいました。坂を駆け上がっている途中に突然コブラ返しのきつい奴がやってきたという状態で、びっこをひきひき車までもどったのですが、もういけませんでしたね。さいわい、左足でしかも軽症のようで、毎日回復にはむかっています。
さて、ホーバートですが、ここでは4泊しました。泊まったのはこの町の山の手にあるBed & Breakfastでしたが、うしろのBはなにもありませんでした。ワイフがインターネットで調べて予約をして、料金も支払済みでした。さて、この町にシドニーからやってきて、エアポートシャトルにのって、近くでおろしてもらったわけですが、暗くはなるし、スーツケースは持ったままだし、タクシーは見えないしということで、若干の問題がありました。ようやくタクシーを拾ってついたら、鍵がLock Boxにはいっている、そのコードはこれというメモがあり、鍵を入手して自分達の部屋にやっとたどりつきました。宣伝文句では町まで10分ということでしたが、これは下山の場合で登山の時には20分歩度かかります。うそではないが100%正直でもないというのが本当のところでしょうね。
まあ、次の日にみたら、外に大きな看板がたっていて、売り家であることもわかり、どうも商売も最後だから、できるだけ手をかけないでという雰囲気がいっぱいでしたね。
ここでの思い出といえば、Wineglass Bayという上から見たらワイングラスのような形をした入り江ともう一つは土曜日のマーケットとPort Arthurです。Wineglass Bayは若いお兄ちゃんがガイドのバックパッカーむけの津アでトヨタのハイエースのマイクロバスで出かけました。年齢でいうと私たちの次に若いのは30代の前半という幅のあるグループ。あちこちのハイキングが盛り込まれているのですが、一番最後のは、途中で勘弁してもらいました。ホーバートから130キロくらい車で行くのですが、このフリーウエイの道端は野生の動物の屍骸で死屍累々、50体くらいはあったと思います。カラスがつついていたりして、あんまり気持ちがいいものではなかったのですが、これは夜行性の動物で、車の直前の飛び出してこられると避けきれないで轢いてしまうということのようです。私たちも帰り道のワロビーが車の前の飛び出してきて危うく轢きそうになりました。
Port Arhturは19世紀のイギリスがつくった、一大矯正施設のあとです。囚人がこの国に本国から送られてきたわけですが、その中で札付きのなると、この施設に送られるという制度であったそうです。アメリカの制度で言うとMaximum Security Prisonというものに匹敵すすかとおもいます。この施設が注目に値するのは、「囚人の矯正そして社会復帰」と言う概念にそってつくられた世界初めての施設がここであったと言う事です。脱獄が困難な、ほぼ島といっていいように本島とのつながりがくびれているここでは、産業革命という後押しもあって、製材所、鉱山、造船所といった囚人を労働力とする工場、施設がありました。
囚人達は刑期が満了しても、本国に帰ることはできずに、オーストラリアに自由人として留まる事が要求され、本国にかえるには、刑期満了のほかに、完全な恩赦(Complete Pardon}が必要であったと言います。ハンカチを結んで島流しというような記述をみると、時代が違うとは言えちょっとやりきれない思いもしました。ここは、Greylineのツアーで行きました。
土曜日の野天の市場は、まあそんなにすごいと思うようなものではありませんでした。San JoseのFree
Marketのほうが見ごたえがあるかと、そんな感じでした。地元で生産している、炭酸飲料やお菓子などの
味見もしてみましたが、おいしいけど、ダントツと言う感じはしませんでした。
前のツアーで顔なじみになった人とまた違うツアーで会うというようなことがオフシーズンの小さな町の観光ではおきるのですが、私たちは日本からやってきた、若い女性二人連れと話をする機会があり、彼女たちはバースでのWorking Holidayのあとの旅行中で数日後には帰国するというようは話でした。彼女達と話をしてみて、日本の若い女性たちがどんどん外国のでるというのは、日本の将来にとってとてもよいことのように思いました。経験の総和の量が日本の外国を見る目の質を転化する日がいつか来ると思いたいところです。
さて、ホーバートですが、ここでは4泊しました。泊まったのはこの町の山の手にあるBed & Breakfastでしたが、うしろのBはなにもありませんでした。ワイフがインターネットで調べて予約をして、料金も支払済みでした。さて、この町にシドニーからやってきて、エアポートシャトルにのって、近くでおろしてもらったわけですが、暗くはなるし、スーツケースは持ったままだし、タクシーは見えないしということで、若干の問題がありました。ようやくタクシーを拾ってついたら、鍵がLock Boxにはいっている、そのコードはこれというメモがあり、鍵を入手して自分達の部屋にやっとたどりつきました。宣伝文句では町まで10分ということでしたが、これは下山の場合で登山の時には20分歩度かかります。うそではないが100%正直でもないというのが本当のところでしょうね。
まあ、次の日にみたら、外に大きな看板がたっていて、売り家であることもわかり、どうも商売も最後だから、できるだけ手をかけないでという雰囲気がいっぱいでしたね。
ここでの思い出といえば、Wineglass Bayという上から見たらワイングラスのような形をした入り江ともう一つは土曜日のマーケットとPort Arthurです。Wineglass Bayは若いお兄ちゃんがガイドのバックパッカーむけの津アでトヨタのハイエースのマイクロバスで出かけました。年齢でいうと私たちの次に若いのは30代の前半という幅のあるグループ。あちこちのハイキングが盛り込まれているのですが、一番最後のは、途中で勘弁してもらいました。ホーバートから130キロくらい車で行くのですが、このフリーウエイの道端は野生の動物の屍骸で死屍累々、50体くらいはあったと思います。カラスがつついていたりして、あんまり気持ちがいいものではなかったのですが、これは夜行性の動物で、車の直前の飛び出してこられると避けきれないで轢いてしまうということのようです。私たちも帰り道のワロビーが車の前の飛び出してきて危うく轢きそうになりました。
Port Arhturは19世紀のイギリスがつくった、一大矯正施設のあとです。囚人がこの国に本国から送られてきたわけですが、その中で札付きのなると、この施設に送られるという制度であったそうです。アメリカの制度で言うとMaximum Security Prisonというものに匹敵すすかとおもいます。この施設が注目に値するのは、「囚人の矯正そして社会復帰」と言う概念にそってつくられた世界初めての施設がここであったと言う事です。脱獄が困難な、ほぼ島といっていいように本島とのつながりがくびれているここでは、産業革命という後押しもあって、製材所、鉱山、造船所といった囚人を労働力とする工場、施設がありました。
囚人達は刑期が満了しても、本国に帰ることはできずに、オーストラリアに自由人として留まる事が要求され、本国にかえるには、刑期満了のほかに、完全な恩赦(Complete Pardon}が必要であったと言います。ハンカチを結んで島流しというような記述をみると、時代が違うとは言えちょっとやりきれない思いもしました。ここは、Greylineのツアーで行きました。
土曜日の野天の市場は、まあそんなにすごいと思うようなものではありませんでした。San JoseのFree
Marketのほうが見ごたえがあるかと、そんな感じでした。地元で生産している、炭酸飲料やお菓子などの
味見もしてみましたが、おいしいけど、ダントツと言う感じはしませんでした。
前のツアーで顔なじみになった人とまた違うツアーで会うというようなことがオフシーズンの小さな町の観光ではおきるのですが、私たちは日本からやってきた、若い女性二人連れと話をする機会があり、彼女たちはバースでのWorking Holidayのあとの旅行中で数日後には帰国するというようは話でした。彼女達と話をしてみて、日本の若い女性たちがどんどん外国のでるというのは、日本の将来にとってとてもよいことのように思いました。経験の総和の量が日本の外国を見る目の質を転化する日がいつか来ると思いたいところです。