メルボルン
ここでは5泊しました。まえにもお話したように、ここでの泊まりはInternational House(College)のなかの、New Buildingと呼ばれる建物のなかにある来客用のアパートでした。50平方メートルの1Bedroomで、台所つき、居間には応接セットもあり、なかなか快適でした。Bathroomは車椅子でも入れるようにつくられ、広々としたものでした。息子が住んでいる寮の建物とは目と鼻の先であるいて30秒、便利なところです。この寮のほかの学生と話す機会がありましたが、やはりこの留学生の両親が尋ねてきた時にはこのアパートを活用したそうです。私たちの泊まったもののほかに2-Bedroomのもっと広いものもあるようです。
ワイフが一番楽しみにしていたのは、やはり息子の元気な姿をみることで、飛行場からバスに乗りその市中のターミナルで迎えに来た息子と再会しました。スポーツをしていないせいかすこし肉がついたようでした。意気軒昂な様子で、これまでの体験などの話を交換しつつ大学に市電でたどりつきました。この大学は市内ですがはずれの方にあり(キャンパスは複数)彼のCollegeはキャンパスから歩いて10分くらい離れたところにあります。300人くらいの学生が一緒に住み、食事をする学生集団の単位のCollegeとしては、新参者で、1953年の創立だそうです。息子が住んでいるのは円筒形の建物で、外側が部屋になっていて、中心に近いところはエレベーター、階段、トイレ、バスの間取りです。息子の部屋はたたみの単位だと7畳くらい、一人部屋でした。部屋に小さなシンクがついているのは六本木のIH(国際文化会館)と同じでした。
学生が40000人いると言うUniversity of Melbourneは確かに大型の大学でした。敷地が平べったいので、感じとしてはUC Davis風かとも思いましたが、新旧の建物が混在してるものの、ゆったりとしているのが印象的でした。ここの学生会館でも食事をしましたが、なかなかの美味でした。敷地の両側の道に市電が走っているので、通学にはとても便利なところのようです。この大学は3年制で、留学生の人気専攻は商学、経営学、工学と言ったところ、インドネシア、中国、マレーシアあたりから華僑の子弟を中心として、大量の学生が留学しているそうです。一説には、大学は独立採算のために、高額の授業料を徴収できる
留学生を積極的に勧誘しているとか、、、、
息子によると、交換留学生にたいしても大学から、移民申請についてのお知らせがあり、ポイント制の移民選抜をしているこの国では、他の大学はどうかしりませんが、Uni 似限って言えば、留学生は移民リクルートの対象なのかもしれません。
さて、大学以外のお話としては、見物先は二つでしょうか、一つはクイーン ヴィクトリア マーケット
これは大きいです。2000店が出店しています。食料から衣料まで、暇つぶし、お土産探しには最適です。もう一つは、Phillip Islandのペンギン マーチ。これは数日の漁のあと夜、仲間と砂浜に帰ってくる親ペンギンの見物です。身長30センチほどのペンギンたちが波間からあらわれて、雛のまつ巣までヨチヨチ歩く姿を見る事ができますが、見る方はスポーツ観戦の階段状の席にすわり、静かに、静かに見守ります。あとは移民博物館も見ごたえがあります。
Ossieは、人懐っこいと言われているようですが、私もこれを体験しました。この町を流れている川があり、その橋の上では、移民たちの歴史と出身国のデータの恒久的な展示物があります。日本からは5000人強の人たちが移民しています。さて、ちょうど夕刻の帰宅時にこの国別のアイルランドの掲示を見ていたら、私と年恰好のかわらない人が話しかけてきて、1780-- Convicts記載を指差して、「これが俺のご先祖」「Irishは社会の一番下から這い上がらなきゃならなかったんだ。」との言。私が「アメリカの歴史のなかでも同じような経験をしたようですね。」と言うと「でも今じゃ平等さ。」" I am glad to meet you."と握手をして去っていきました。
もう一件は、繁華街で息子の写真をとろうとした瞬間に通りがかりのカップルの男のほうが、息子の隣にたちどまり、肩をくんで「はいチーズ」。仕立てのいいコートを着たパワーカップルと見受けられましたが、ひょうきんなところがありますね。
この町からうけた私の感じは、アジア系の人たちがおおい、学生を大事にする町。University of Melbouneは、いい加減にもMelbourne University とも呼ばれていて、市民の間の略称ではUni(ユニ)ですね。今はどうか知りませんが、私が学生のころの昔は京大に電話をすると、「大学です」と交換手がこたえたといいます。それと同じ感覚でしょうか。準備がいりますが、日本からの留学先として、一考の余地があるようにも思います。
ワイフが一番楽しみにしていたのは、やはり息子の元気な姿をみることで、飛行場からバスに乗りその市中のターミナルで迎えに来た息子と再会しました。スポーツをしていないせいかすこし肉がついたようでした。意気軒昂な様子で、これまでの体験などの話を交換しつつ大学に市電でたどりつきました。この大学は市内ですがはずれの方にあり(キャンパスは複数)彼のCollegeはキャンパスから歩いて10分くらい離れたところにあります。300人くらいの学生が一緒に住み、食事をする学生集団の単位のCollegeとしては、新参者で、1953年の創立だそうです。息子が住んでいるのは円筒形の建物で、外側が部屋になっていて、中心に近いところはエレベーター、階段、トイレ、バスの間取りです。息子の部屋はたたみの単位だと7畳くらい、一人部屋でした。部屋に小さなシンクがついているのは六本木のIH(国際文化会館)と同じでした。
学生が40000人いると言うUniversity of Melbourneは確かに大型の大学でした。敷地が平べったいので、感じとしてはUC Davis風かとも思いましたが、新旧の建物が混在してるものの、ゆったりとしているのが印象的でした。ここの学生会館でも食事をしましたが、なかなかの美味でした。敷地の両側の道に市電が走っているので、通学にはとても便利なところのようです。この大学は3年制で、留学生の人気専攻は商学、経営学、工学と言ったところ、インドネシア、中国、マレーシアあたりから華僑の子弟を中心として、大量の学生が留学しているそうです。一説には、大学は独立採算のために、高額の授業料を徴収できる
留学生を積極的に勧誘しているとか、、、、
息子によると、交換留学生にたいしても大学から、移民申請についてのお知らせがあり、ポイント制の移民選抜をしているこの国では、他の大学はどうかしりませんが、Uni 似限って言えば、留学生は移民リクルートの対象なのかもしれません。
さて、大学以外のお話としては、見物先は二つでしょうか、一つはクイーン ヴィクトリア マーケット
これは大きいです。2000店が出店しています。食料から衣料まで、暇つぶし、お土産探しには最適です。もう一つは、Phillip Islandのペンギン マーチ。これは数日の漁のあと夜、仲間と砂浜に帰ってくる親ペンギンの見物です。身長30センチほどのペンギンたちが波間からあらわれて、雛のまつ巣までヨチヨチ歩く姿を見る事ができますが、見る方はスポーツ観戦の階段状の席にすわり、静かに、静かに見守ります。あとは移民博物館も見ごたえがあります。
Ossieは、人懐っこいと言われているようですが、私もこれを体験しました。この町を流れている川があり、その橋の上では、移民たちの歴史と出身国のデータの恒久的な展示物があります。日本からは5000人強の人たちが移民しています。さて、ちょうど夕刻の帰宅時にこの国別のアイルランドの掲示を見ていたら、私と年恰好のかわらない人が話しかけてきて、1780-- Convicts記載を指差して、「これが俺のご先祖」「Irishは社会の一番下から這い上がらなきゃならなかったんだ。」との言。私が「アメリカの歴史のなかでも同じような経験をしたようですね。」と言うと「でも今じゃ平等さ。」" I am glad to meet you."と握手をして去っていきました。
もう一件は、繁華街で息子の写真をとろうとした瞬間に通りがかりのカップルの男のほうが、息子の隣にたちどまり、肩をくんで「はいチーズ」。仕立てのいいコートを着たパワーカップルと見受けられましたが、ひょうきんなところがありますね。
この町からうけた私の感じは、アジア系の人たちがおおい、学生を大事にする町。University of Melbouneは、いい加減にもMelbourne University とも呼ばれていて、市民の間の略称ではUni(ユニ)ですね。今はどうか知りませんが、私が学生のころの昔は京大に電話をすると、「大学です」と交換手がこたえたといいます。それと同じ感覚でしょうか。準備がいりますが、日本からの留学先として、一考の余地があるようにも思います。