釣り場での人間関係、連帯と反目
釣り人の心理は複雑で、人よりもっと釣りたい、人よりも大きな魚を釣りたいと言った競争心と、やっぱり仲間どうし、仲良くなりたいという競争と同化、反目と連帯、
誰にもこの穴場は隠しておきたいが、魚が釣れたときには誰かに見ていて欲しいといった、矛盾した心の持ち方の塊です。
私もあの湖出の釣を始めてからもう数十人の釣り師と会って、名を名乗りあい握手を重ねてお友達になりました。日本人であるというのは、この点では大変有利で、こちらの釣り人のステレオタイプにあるものの一つに日本人は釣りの名人が多いという「迷信」がありこれに私も大変お世話になっています。この迷信には一部の真理もあり、人口比に比べて、日系人、日本人の釣り人人口は大変おおく、あの湖でも釣り人の10%くらいは、日系のつりびとです。
新物好きであったり、微妙なところにこだわるという日本人の特性が釣りというスポーツとの相性がいいともいえるかと思います。また、この「迷信」は今始まったわけではなく、日系人の1世、2生たちがその評価を積み重ねてのものです。この日系に共通する釣りのテーマは「おいしい魚を釣りたい」というもので、人気のあるのは虹鱒、Crappy,Bass,Perch、鯖といったものが、人気のある
魚です。
釣り場では、人種の問題というのは大きくはないのですが、時々あるのは、最近の移民の人たちのとの葛藤です。こちらの釣りは、使える竿のかず、餌の制限、釣りができる時間帯、もって変える事ができる魚の数之制限、許可証の携帯、あの湖ではそのうえ、あの湖では、そのうえ入漁許可証や鉛の錘の禁止といった規則を守っての障害物競走的な面があります。新しい移民の人たちのなかには、これらの規則を遵守しない人たちがいるという苦情が他の釣り人たちから出る事があります。
スポーツの釣りをしている人たちの絶対多数は、自律的に誰が見ていなくても規則を守っているということもあり、極少数の違反者が逆に目立つということがあります。新聞に記事によれば、あらたに移民をしてきた人たちにとっては、その日の食卓に好物の海鮮料理があるかどうかの分かれ目がその日の釣りにかかっているケースもあるそうですから、難しい問題でもあるのですが、やはり、私は規則違反は
いけない言わざるを得ません。
たぶん、このような小さないさかいや誤解がつみかさなっていくと、あるグループの人たちに付いての偏見がうまれるのかも知れないようにも思います。生活の習慣や倫理のすこし違うところからやってきた人々は、新しい国になれるのには、やはりその国を理解する努力と、その社会に自らが入っていく気概が必要なようにおもいます。
考えてみたら、1900年の初頭には日本人たちも新しい移民であったわけですが、日本人=釣り名人という評価の影には長い歴史があったわけですね。
誰にもこの穴場は隠しておきたいが、魚が釣れたときには誰かに見ていて欲しいといった、矛盾した心の持ち方の塊です。
私もあの湖出の釣を始めてからもう数十人の釣り師と会って、名を名乗りあい握手を重ねてお友達になりました。日本人であるというのは、この点では大変有利で、こちらの釣り人のステレオタイプにあるものの一つに日本人は釣りの名人が多いという「迷信」がありこれに私も大変お世話になっています。この迷信には一部の真理もあり、人口比に比べて、日系人、日本人の釣り人人口は大変おおく、あの湖でも釣り人の10%くらいは、日系のつりびとです。
新物好きであったり、微妙なところにこだわるという日本人の特性が釣りというスポーツとの相性がいいともいえるかと思います。また、この「迷信」は今始まったわけではなく、日系人の1世、2生たちがその評価を積み重ねてのものです。この日系に共通する釣りのテーマは「おいしい魚を釣りたい」というもので、人気のあるのは虹鱒、Crappy,Bass,Perch、鯖といったものが、人気のある
魚です。
釣り場では、人種の問題というのは大きくはないのですが、時々あるのは、最近の移民の人たちのとの葛藤です。こちらの釣りは、使える竿のかず、餌の制限、釣りができる時間帯、もって変える事ができる魚の数之制限、許可証の携帯、あの湖ではそのうえ、あの湖では、そのうえ入漁許可証や鉛の錘の禁止といった規則を守っての障害物競走的な面があります。新しい移民の人たちのなかには、これらの規則を遵守しない人たちがいるという苦情が他の釣り人たちから出る事があります。
スポーツの釣りをしている人たちの絶対多数は、自律的に誰が見ていなくても規則を守っているということもあり、極少数の違反者が逆に目立つということがあります。新聞に記事によれば、あらたに移民をしてきた人たちにとっては、その日の食卓に好物の海鮮料理があるかどうかの分かれ目がその日の釣りにかかっているケースもあるそうですから、難しい問題でもあるのですが、やはり、私は規則違反は
いけない言わざるを得ません。
たぶん、このような小さないさかいや誤解がつみかさなっていくと、あるグループの人たちに付いての偏見がうまれるのかも知れないようにも思います。生活の習慣や倫理のすこし違うところからやってきた人々は、新しい国になれるのには、やはりその国を理解する努力と、その社会に自らが入っていく気概が必要なようにおもいます。
考えてみたら、1900年の初頭には日本人たちも新しい移民であったわけですが、日本人=釣り名人という評価の影には長い歴史があったわけですね。