労働について | 北加発:アメリカ合州国、教育、人々、その他、なんでも

労働について

高倉の健さんふうに言って、、古いやつだとお笑いでしょうが、私は19世紀的な価値観の持ち主のようで、いまだに額に汗して働くということにある種の意味を感じています。この行為がとくに物造りということに結びつく時には、諸手をあげて、賛成ですね。


いまは、教育を受けた後は、ビルの中で、コンヒューターとにらめっこの仕事が大変増えてしまいました。一昔まえは、Paper

Pusherといわれた事務職ですが、いまではPaperless Key Puncherが幅を利かせています。私が疑問なのは、、このような職を持つ人は自分の労働の果実というものが、実体して感じる事ができるのかという事です。どうもバーチュアルな世界のはなしで、これを実感できるのには、相当の想像力がいるように思います。数字というもので見える成果ということも確かにあるのですが、抽象的な成果といわざるを得ません。


これに引き換え、物を作るという作業や労働は、その結果が自分の目でみることができます。想像力の力を借りる必要はありません。五感で感じる事ができます。車を作れば、車の完成品を目の辺りにします。金門橋をつくれば、末代まで自慢できます。労働からの疎外の少ない職業です。この20年の間の、このような、職業がどんどん合州国から、消えていきました。土地に寄存する、建設や建築は残っているものの、農業の分野でも、弱小の部分はNAFTA(North American Free Trade Agreement)の影響でどんどん淘汰されてしまいました。サービス産業の成長というニュースを聞くたびに、あぶく経済という言葉が浮かびます。


肉体派の私にとっては、、さびしい世間となってしまいました。