こんにちは
アーティストの
でこぼこまま
です
普段は
高校生、中学生の
2人の凸凹息子たちの
お母さん
しています
いつも読んでくださって
ありがとうございます😊
月一でバドミントンやっています🏸
次回は3月19日
または
まで
私は例え団体が小さくても、
私も含めてそれぞれが
それぞれ自分で決めた道に向かって
自分の足で歩いていく
そうなれば良いなあと思っています。

カリスマ性を持つと、
ともすれば
人が依存する。
私と母の関係のようにね。
私と母は
多分
共依存親子だったと思います(^_^;)
さて、
今日は
前回の続き。
前回の記事
↓
母は突然亡くなりました。
あまりに突然過ぎて、
死んだらどんな手続きを取るのかすら
分からなかったので、
病院の看護師さんに
葬儀屋さんの名刺を貰って
私が連絡しました。
弟は県外の彼女の家。
父は茫然自失。
弟はよほど慌てていたのか、
彼女と一緒に帰宅。
(親戚にあの子は弟の婚約者かと散々聞かれましたよ😓)
私と弟と父方の伯父と
葬儀のすべてを決めました。
父は葬儀が終わるまで
泣いて
飲んで
寝る
しかしていませんでした。
葬儀が終わり、初七日を過ぎて
親戚が帰るまで
私はただただ
自分のやることで
頭がいっぱいで、
自分の感情になかなか向き合えませんでした。
共依存していた
母と私。
突然
依存していた母が居なくなって
私はどうなったかというと
自立の一歩を踏み出しました
まあ言っては何ですが、
この母の命日が、
私の心が解放された日
解放記念日です

今から考えれば
そう思いますが
当時は
めちゃくちゃショックでした
突然、という出来事は
悲しみという感情に浸る時間を
与えてくれません
四十九日などの法事
財産分与(すべて父が相続)
役所の手続き、
成人したとはいえ、
一家の主婦が居なくなった後の
家族の心の立て直し
私は家事や家計のことを
引き継ぎました
父はパチンコに依存してたので
任せられません
家族のために
自分が頑張らねば
当時
常勤の介護職をしながら
社会福祉士の通信の学校で学び始めた私
頭が回らなくて
スーパーでお釣りを受け取り忘れる
事がしょっちゅうでした
レジの人に忘れてますと言われるのが常😅
忙殺
というのが一番しっくり来ていた時期
この忙しい中でも
暇が出来ると
ホッとつけるかと思えば
自分の感情が襲ってきました。
心っていうのは忙しい
ボーっとさせてくれません
細切れ時間は
自分と向き合う時間でした
まず湧いてきたのは
悲しみ。
自分には慰めてくれる人がいない悲しみ。
父には兄姉(伯父伯母)、弟には当時の彼女。
悲嘆にくれる私には寄り添う人が居なかったこと。
※まあこれのおかげで?
自分の力で人生生きていこうっていう自立心強い人にはなりました。
次に不安。
突然居なくなって、
生活が出来るのか?
という不安。
今度は父が死なないか?
お金のやりくりはどうするか?
家族3人になって生きていけるのか??
など。
そして怒り。
都合の良いように扱われていたこと。
パチンコなんて行かなければ
少しは楽な暮らしが出来たんじゃないか
ってね
最後は赦し。
これには20年近く葛藤しました。
葛藤しても葛藤しても根強い怒り。
40歳を超えて
最後に赦しの気持ちが湧きました。
私が前を向いて行くためには
母を赦さなければ前に進めない。
傷は時々疼くけど、
それを抱えて生きていく。
ほんとにね。
人っていうのは
悲しみが癒えていくには
こういうプロセスを踏んでいくのかと
自分の体験で分かりました。
スッキリとはしません。
ジクジクと疼くときがあります。
でも、それが人生。
私の人生ですね。
3月が近づくと
毎年思い出しますが、
それを通して、
さあ生きていくぞっていう
気持ちになります。
母に依存していた、
母に依存されていたからこそ思う
私のライフワークの目的は
子どもの自立。
それを目指して
最後まで見てくださってありがとうございます✨✨