命日でした | 凸凹ママの日常~我が子たちと描く凸凹な世界

凸凹ママの日常~我が子たちと描く凸凹な世界

発達障害と不登校。それに向き合ってきた私と子どもたちの凸凹な世界を描き続ける、直感表現アーティストである私のブログです

こんにちは。

 

勇気づけアーティストのやつゆきです。

日々個性的な息子たちとの日常と、

アーティスト活動について綴っています。

 

一昨日23日は

母の命日でした。

 

だからといって何かしたわけではないのですが(;^_^A

 

この時期はかなりメンタルが上下します。

 

 

お金がなくて、苦労のさなか

母がうつ病を乗り越えられなかったこと。

母を失って、

家族がメンタル的にやられてしまったこと

 

 

私たち家族にとって、

忘れたくても忘れらなない重たい事実。

 

 

それでも、何とか乗り越え、

互いにそれでも結婚してくれるパートナーと出会い、

子どもも生まれ、

毎日必死で生きている。

 

 

 

 

 

うつ病は、

本人がまともに考えられなくさせ、

それがどういうことなのか判断できず、

その先には花畑があると思って、

周りの事を考えることすら奪ってしまう

 

 

20年間身勝手な親だと憎んでいましたが、

自分の壁を一つ一つ乗り越えることで

憎しみが薄れていったように思います。

 

 

今100年に一度の大変な時期にきて、

母の命日がやってきて、

思う事は、

生きていることは、当たり前じゃない。

生きているんじゃなくて、

生かされているんだなぁ

 

 

 

こんなお金がない家だったけど、

唯一私に買ってくれたものがあります。

 

ピアノ

 

小学1年生の時に、ピアノ屋に連れていかれ、

自分で弾いて、

音が気に入って自分で選んで買ってもらいました

ボディーに傷があるからちょっと安かった

 

同じくらいの値段の○○○のピアノより、

ずっと音が良かった

 

自分でこれがいいと言って親に買ってもらったピアノ。

とても高いものと子ども心に分かってたので、

粗末にできませんでした。

練習が嫌いだったけど、

辞めるっていう選択肢はなかった。

 

中学になったから辞めるって言った、

私より上手い子たちの気持ちが分からなかった。

 

そのピアノどうするん?

 

下手だったけど、

大学生まで続けた。

 

社会人になったら、

コーラスグループの練習も我が家のピアノでやった

 

 

結婚したら、しばらく使えなかったけど、

調律だけはかかさず、毎年していた。

いつか、使う時があるかどうかわからなかったけど、

ピアノが喜ぶと思うから

 

 

そして、前の実家が売られることが決まった時、

今の私の家に持ってきた。

 

 

しばらくほこりをかぶってたけど、

今のピアノの先生との出会いもあり、

私が再びピアノを始めた。

 

 

 

もう40年くらいの付き合いだけど、

けっこういい音が出る♪

何十年と弾いているお友達のピアノよりも、

たぶんいい音

 

 

このピアノは親からもらった大事な宝物

これからも、多分ずっとわたしのそばにいるはず

 

 

このピアノに出会えてよかった

このピアノを選ばせてくれた親に感謝

 

 

うれしいこと

悲しいこと

色々あるけど、

私は

周りの人と、音楽で、

乗り越えていきたい

 

 

今日もありがとうございます✨✨