こんにちは。
春休みになり、
子どもたちと毎日向き合う日々。
昨日の毎日のメッセージで書いたことと、先日の出来事がドンピシャにシンクロしたのでびっくりしました。

子どもの行動を先回りしない
子どもの行動の責任は子どもにとらせることの大切さ。
子どもが起こした問題と言われる行動について、かわいそうとか、泣くのがめんどくさいからと言って先回りしていると、その子どもは、その行動を
「やってもいいんだ」
と誤学習する。
今はまだ小さい社会の中で生きてるから、どうにか大人が尻拭いできるけど、
大きくなって大きな社会に出た時、その責任は、
大人になった子どもが負うことになる。
子どものする小さいことが、
大人になった子どもがすると犯罪になることもある。
特に私を含め、発達障害と診断の下りた子どもを持つ親は、どうしても、
『人がどう思うか?』
という思いは常に持っていて、
それについて悩み、
人に指をさされないように、人一倍子どもを叱り、
特に公然の前では強くしかりつけ、
人に言われる前に、
何とかしようと思っているところがある。
でもこの今、小さき社会の中でこそ、
子どもの行動に子どもが責任を取ること、
子どもの取った行動で起こる自然の結末は子ども自身で取らせることがいかに大切か。
中学に進学する親として、痛感しています。
学校に所属している、まだまだこの小さき世界の中で
問題を起こした時、
親として、
またやったか、と思うか、
行動を修正するチャンス、と捉えるかは
親である私たち次第なのだ。
親が先回りしない、
責任を子どもにとらせることは、
子どもは泣きわめき、かんしゃくを起こし、時に暴力を振るうなど、
周りに対してかなり反発するだろう。
親の出来ることは、時に
子どもの気持ちに○○したかったんだね、と気持ちを言語化して寄り添うのも良いし、
カームダウンの部屋まで連れて行くのも良いし
仕方ないよね、とそばに居るだけでも良いし、
時に本人が落ち着くまで放っておくのも良い(ただ目は離さない)
大事なのは、この子どもが思いが遂げられずかんしゃくを起こしている時こそ、親のまなざしは必要と思うし、
今までの行動が間違っていたと自分で納得するために必要な時間なのだ。
子どもを見捨てず、あきらめず、家族として、声をかけ、見守る。
春休みだからこそ気づいた気づき。
今日もありがとうございます。
やつゆき。