劣等感は勇気づけで克服する〜私の音楽人生 | 凸凹ママの日常~我が子たちと描く凸凹な世界

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発達障害と不登校。それに向き合ってきた私と子どもたちの凸凹な世界を描き続ける、直感表現アーティストである私のブログです

おはようございます。

 

これは、自分へのひとり言みたいなものだけど、あえてこちらに書いてみます。

 

最近よく言われるのは、

「やつゆきさんはクラッシックの人なのにアレンジが出来る人ですね」

 

えっ私ってクラッシックなの??

アレンジ?あれそうなんですか??

わたしがやっていることってそんな珍しいことなんですかねぇ。

わたしの音楽人生なんて、底辺をさまようばかりで、劣等感満載の人生だったと思っていたんですがね~

 

上には上が居る。

今の自分はまだまだだけど、ああなりたいって思うのは劣等感。


アドラーでは劣等感を持つのは悪いことではなく、自分の生きる目標として持っていてもいいんですね。

 

私は小学生の時のピアノのレッスンでみんなについていけないという劣等感を持っていました。

グループレッスンでも進度は一番遅く、

練習なんて左右違うものを弾くという事がすごく苦手だったんです。

今から考えると目と手の共応性がすごく不得手だったのでしょう。

でも得意なものもありました。

唯一そこの教室で誰よりも得意だったのが、調音。

絶対音感があって耳は良い方だったんだと思います。

これも高校生とかになって、曲を書き写すとかはさすがに難しかったんですけどね。

あと、歌が好きでした。

小学生の時にいじめられていても、歌を歌いながら帰宅。

既存の曲を自分の歌いやすいようにアレンジしたり、

長調を短調にしたり、リズムを変えてみたり。


歌は自分の劣等感を勇気づけてくれる心友でした。


自分には得意不得意があること、ピアノが不得手でも歌が好きなことで自分の劣等感が和らぎました。

 

ピアノ教室とも高3で区切りをつけてさよなら~と思ったら、センター試験で思うように点が取れず、

音楽だったら国立行けるかもという思いで付け焼刃的に受験したら受かっちゃって。

でもそれからが本当に地獄のような大学生活で。

子どもの時のピアノ教室の比じゃなく、もう嫌で嫌で、何度大学を止めようかと思ったか。

教授や学生の音楽専攻の人たちの感覚についていけず、

教授の「気に入ったら優で気に入らなかったら不可」っていう成績の付け方に???だし、

 

でもとどまれたのは、それでも教員を目指したいという思いと受験をいまさらやり直す気力がなかったというのと、大学卒業というのも資格だと思って、とどまった。

 

地元倉敷での歌の仲間との出会いも大きかったな~

大学の合唱団じゃなくて地元の市民合唱団に入ったのも卒業後もずっとやりたかったから。

 

大学に入って歌で卒業しようかとちょっと思ったけど、担当が超強面のタバコ吸いながらレッスンする先生で、他の人のレッスンで怒号が飛び交ったりして、怖くてやめました。


歌が好きだったから、心友だったからこそ何かの評価対象にされたくなかった。

ピアノのように良い悪いをつけられたくなかった。

前にも書いたことあるけど、歌はともだちだから、大事にしたかったんです。


 

こんな自分の音楽でのお試しがやって来たのは卒業して就職した介護の現場。

高齢者たちが伴奏もなしで歌っているから、思わず我慢できなくて合わせて伴奏付けたら大喜びされちゃって。

音大でのしかもピアノ専攻の同僚がいたけど、アレンジはようしないからってことで私が音楽療法の伴奏をすることに。

 

え?

なんで?

音楽科卒なのに??

めんどくさいからやらないだけじゃないの??

 

なんかめんどくさいこと押し付けられた感満載で始めたけどここでの伴奏は辞めるまで担当だった。

面白いもので、不穏状態だった認知症の方がピアノの伴奏が流れてくると笑顔になったり、忘れていた昔のことを思い出して話をしたり。

ようわからんけど、

どうも音楽っていうのは人の力を引き出すものだなと思った。

 

現場を通して音楽療法というものにも興味をもって岡山まで基礎的なものを学びに行ったけど、なんかしっくりこなかった。

なんか子どもの音楽教室と変わらないことをするのね。

私はこの楽器を使って演奏してこういう変化が起こったとかいうよりは、個々の皆さんがやりたいことを寄り添って引き出すというほうが向いてるなぁと思ったから、やっぱり自分の現場ではそうしていこうと思った。

結婚して、子どもを授かるまでアットホームな宅老所に勤めたけど、楽器が大正琴くらいしかなくて、それでも昔弾いてた利用者に弾き方教わって弾いたら大うけで。

前職ではキーボードとか機材がそろってたけど、そういうのがなくてもセッション出来るほうが良いと思ったからウクレレを習い始めたのがこの時期。

この時はウクレレも自分のために弾くのではなく、使いやすかったからって理由で弾きはじめた。

ここの現場は外で徘徊する高齢者に職員がついて好きに歩かせるんだけど、こういう外で徘徊する利用者にはすごく音楽が良かったみたいで不穏が減って、辞めた後に聞いた話だけど数年後にはかわいらしく笑顔で座っている高齢者に変わっていったらしい。

 

私が結婚するころは、友達が結婚する時期と重なって、よく(というか毎回)余興で歌を歌ってほしいと言われたな~

カラオケでただ歌うのは面白くないから、女性二部合唱とか、3部合唱とか、自分で編曲して友達と練習して歌ったら、それが結婚式では定番になっちゃって、友達の数だけ余興としてやったけど、そのおかげで、自分の良く知った曲は聴くと合唱曲に脳内変換されるように。

こういう特技が、何かに生かされたらもっと良かったんでしょうが、あまりカラオケとか行かないので、ここでおしまい。

 

書いているとながくなってしまったな~

音楽で劣等感を持ったけど歌で勇気づけられたから続けられたんですよね。


劣等感は明日へのパワーになる。

私は歌で自分が勇気づけられ、それが自然と周りを勇気づけていった。


今楽しくやってるところまで書いてみたいから、また次回書きます。

 

新しい今日がやってきました✨

どんな一日になるでしょう✨✨

 

やつゆき。