こんにちは。
前回のブログの続きです。
前回「発達障害は個性」はコチラ
もう10年以上前の話です。
7年ほど正社員として勤めた通所リハビリを退職し、
子どもができるまで~と
宅老所の介護職員として勤めていました。
パートなのに宿直があるというかなりハードな勤務でしたが
(今なら体力的に無理)
様々な個性のある認知症の利用者さんにお会いして
自分の人生の学びが深くなったと思っています。
なかでもみっちゃん(仮名)との出会いは
私の今後の介護観、人生観をかえてくれました。
※高齢の方にちゃん付けしているのは、認知症の方が一番覚えている子どもの時の呼び名で呼んでいるためです。
みっちゃんは宅老所のデイサービスでも一番若く、当時50代
亡くなった私の母より2,3歳年上。
みっちゃんは、若年性認知症を患っていました。
ご主人もまだ現役で働かれていて、日中の介護に困難をきたすため
デイサービスを利用し始めました。
デイでは環境の変化からか
暴言、暴力。
「帰る」と言っての徘徊。
食事、排泄、入浴での少し介助が必要なのに拒否。
彼女の頑なな態度は、
ほかの利用者の不安にさせるほど。
初めのころはみっちゃんが来る日は、なんかザワザワして
落ち着かない日々でした。
送迎時はいつも近所に住む結婚して幼子を抱えたみっちゃんの娘さんが疲れ切って送り出し、迎え入れてくれました。
娘さんを見て、同世代なのに大変だなぁと思っていました。
みっちゃんがデイサービスでも穏やかに過ごすにはどうしたらいいんだろうか?
しばらく考えていましたが、
あるとき、入浴中に興奮され、職員一人で手に負えない時があり、私が援護に行きました。
そのときつい娘さんの顔が浮かんで
「お母さん」と声をかけてしまったのです。
声を聞いたみっちゃんはたちまちおだやかな笑顔になり、私のほうをむいて
「なあに?」と返事をしてくれたのです。
それからは入浴がスムーズでした。
この援助が上手くいったことをきっかけに、
まわりの職員もみっちゃんのことを
「お母さん、お母さん」と声をかけて対応するようになりました。
あとで施設長に聞いた話ですが。。。
みっちゃんは与那国島という遠いところで生まれ育ち、
旦那さんと出会い結婚し、2人の子どもをもうけ、
厳しいお姑さんのもとでの生活。
お子さんも成人し、
やっと自分の好きなことができるという時に
若年性認知症を発症。
私は母を亡くしていましたが、
デイサービスに来られているときには、
本人が穏やかに過ごしていただくために
精一杯娘役を演じさせていただきました。
(当時は何人娘がいるの?って状態でしたが)
妊娠して辞めて、介護支援専門員を受験するときに
宅老所をうかがったら
少しふくよかになられたけど、
満面の笑みをたたえた、
素敵なみっちゃんがいました。
もうほとんどわからないそうです。
でも手を挙げることもなく、暴言を吐くこともなく。
穏やかに毎日を過ごされているとのことでした。
みっちゃん、なんもわからんようになったんじゃな。
でも一番良い顔しているよ。
若年性認知症になってしんどい時期もあったじゃろうけど
本当、病気になったからって
苦しいことばかりじゃないんだね。
あなたのこの笑顔をみるために、私たちが介護させていただいた。
みっちゃんと出会えてよかったよ、
ありがとう。
人として生まれたからには終わりがあります。
生病老死。
壮年期まで元気に過ごしていた方が
急に脳梗塞や認知症になって
体の自由が利かない障害者になることだってあるんです。
大事なのは病や障害があっても
どう生きたか。
病気や障害は人生の通過点と思います。
この宅老所には本当に個性豊かな高齢者がたくさんおられました。
一人暮らしなんか到底出来そうにない重度な認知症の方も何人も通所で来られていました。
でも残念ながらお亡くなりになられて、
その後に近所の話を聞くと
~若い時には世話好きで人のために本当に一生懸命考える人だった。
だから徘徊してても迷惑とか、そんなことは全然思ってなかったんよ~
とか
~親子関係でかなりしんどそうじゃったけど、そんなことは全然人前では見せず、愚痴一つ言わんかったなぁ~
とか。
病気や障害を患っても、ご本人の生き方次第で周りの人はこんなにも受け入れて、温かい目を持ってくださるものなんだと思いました。
10か月という短い期間でしたが私の人生での深い学びを学ばさせていただきました。
見てくださってありがとうございます✨✨