1950年代半ばのニューヨークで、確かに存在していた一人の歌手が、たった一枚の10インチ盤を残して音楽史の表舞台から消えてしまった、その一瞬を封じ込めたレコード。

調べていくと、Paula Castleは「突然現れた謎の歌手」でもない。1949年にはすでにChubby JacksonやJoe Rolandのグループで録音しており、1950年にもJoe Rolandと録音している。それから5年後に、この『Lost Love』を録音する。つまりこのアルバムは、彼女の「始まり」ではなく、少なくとも6年以上にわたる音楽活動の先に残された、唯一のLPなのです。

1.まず、このアルバムが置かれていた場所

『Lost Love』はBethlehem RecordsのBCP-1036。

1955年の10インチLPです。

この時期のBethlehemは非常に重要です。

10インチのBCP-1000シリーズは1954年9月から始まり、1955年7月に12インチLPへ移行するまでの短い期間に展開されました。つまりCastleのアルバムは、10インチLPというフォーマットが終わろうとしていた時期の作品でもあります。

そしてカタログを見ると、周囲にいるのがすごい。

  • Chris Connor

  • Carmen McRae

  • Charlie Shavers

  • Oscar Pettiford

  • Ruby Braff

  • Herbie Mann

  • Milt Hinton

  • Helen Carr

  • Joe Derise

  • Sam Most

……といった名前が並んでいます。

つまり『Lost Love』は、ジャズ史から孤立した一枚ではありません。

1955年のBethlehemという、若いジャズ・レーベルがニューヨークの新しいジャズ・ヴォーカルを次々に記録していた現場の一角に、このアルバムも置かれていた。

ここが重要です。

2.Paula Castleは本当に「幻の歌手」だったのか

現在の紹介では、しばしば「謎の女性歌手」「唯一のアルバム」といった言葉で語られます。

確かに1955年以降の足跡は極端に少ない。

しかし、1949年まで遡ると話が変わります。

Castleは1949年、Chubby Jacksonのオーケストラで録音しています。

しかもこの時期の音源には、後年のジャズ史を考えるとかなり興味深い名前が並んでいる。

Joe Roland
Joe Puma
Red Mitchell
Ray Turner……

そして1949年7月21日にはJoe Roland Quintetとの録音もあり、Paula Castleがヴォーカルを担当しています。

さらに1950年1月17日にはJoe Roland Symfonetで、

“Love Is Just a Plaything”

を歌っています。

だから『Lost Love』を聴くとき、

「1955年に突然現れた無名歌手」

 

と考えるのは違う。

むしろ、

1940年代末のビバップ時代を通過してきた女性歌手が、1950年代半ばのLP時代に一枚だけ自分の作品を残した

 

と考えたほうがいい。

3.1949年のPaula Castle

ここが非常に重要です。

当時のThe New Yorkerは、Chubby Jacksonの“All Wrong”について、

「slow ballad」でありながら、演奏者によって興味深く仕上げられ、Paula Castleがうまく歌っている、という趣旨の評価をしています。

つまり彼女は当時すでに、単なる新人女性歌手ではなかった。

しかもバックは「伴奏を付けてもらった歌手」という感じではありません。

1949年のJoe Roland Quintetを見ると、

  • Joe Roland – vibraphone

  • Ray Turner – tenor sax

  • Red Mitchell – piano

  • Joe Puma – guitar

  • Paul Sziglay – bass

  • Paula Castle – vocal

という編成。

これはかなりジャズ寄りです。

そして、この経験が『Lost Love』の歌い方にもつながっているように思えます。

彼女は「ジャズっぽく歌おう」としているのではない。

もともとジャズのリズムの中で歌ってきた人なのです。

4.そして1955年――『Lost Love』

アルバムの演奏者は、

  • Paula Castle – vocal

  • Sam Most – flute

  • Ronnie Selbey – piano

  • Chet Amsterdam – bass

  • Herb/Herbie Wasserman – drums

という、ごく小さなカルテットです。

ここでまず注目したいのが、

ギターがいない。

ビッグバンドもいない。

ストリングスもない。

ホーン・セクションもない。

つまりこのレコードでは、Paula Castleの声がかなり露出しています。

そして、その隙間を埋めるようにSam Mostのフルートが入る。

これがこのアルバムの音色を決定しています。

5.Sam Mostが非常に重要

Sam Mostは単なる「フルート伴奏者」ではありません。

彼は1950年代にフルートをジャズの即興楽器として前面に押し出した重要人物で、1950年代半ばにはBethlehemで自分のリーダー作も録音しています。自身の経歴でも、1953~58年にPrestige、Debut、Vanguard、Bethlehemなどで活動し、フルートによるビバップの可能性を追求していたことが確認できます。

そして1955年3月には、自身のBethlehem作品も録音しています。

つまり『Lost Love』のSam Mostは、

「女性ヴォーカルの後ろで美しい音を出すフルート奏者」

というだけではない。

当時のニューヨーク・ジャズで、かなり先鋭的なフルート奏者だった。

この人をバックに置いたことによって、『Lost Love』は単純な女性ヴォーカル・アルバムにならない。

6.このアルバムの音楽的な核心

この作品についてよく使われる言葉に、

Sarah Vaughanを思わせる

 

があります。

実際、近年のJazzWaxもCastleの声をSarah Vaughanに似た、温かく官能的なものとして評しています。

ただ、私はここを少し慎重に考えたい。

Castleを「第二のSarah Vaughan」として聴いてしまうと、むしろ彼女自身の良さが見えなくなるからです。

彼女にはVaughanほどの、

  • 声域を誇示する感じ

  • スキャット的な技巧

  • 声そのものを楽器化する派手さ

が前面に出ていない。

むしろCastleの魅力は、

声を大きくしないこと。

そして、

感情を説明しすぎないこと。

なのではないでしょうか。

Dusty Grooveのレビューにも、彼女は「決して過剰ではないが、冷たくもない」、その中間にある歌い方だという趣旨の評価があります。

これはかなり的確だと思います。

7.A面1曲目 “I'm Shooting High”

ここからアルバムが始まります。

Jimmy McHugh作曲の曲。

面白いのは、タイトルだけなら非常にポジティブです。

I'm Shooting High

「高みを狙っている」。

しかしCastleの歌唱は、タイトルから想像するような勝ち誇った明るさにはならない。

むしろ、

「そういう恋をしてみたい」

という願望と、

「でも、そんなにうまくいかないだろう」

という経験が同居している。

ここにCastleの面白さがあります。

若さだけではない。

かといって、老成しているわけでもない。

恋愛に対して少し知りすぎている人の歌なのです。

8.“Yesterday's Gardenias”

この曲になると、アルバムのタイトル『Lost Love』が少しずつ見えてきます。

ガーデニアは、過去の恋愛の記憶を象徴するような花。

ここで重要なのは、「失恋した」と直接叫ぶのではなく、

昨日のものになったものを眺めている

という距離感です。

Castleの声質には、この距離感が非常によく合う。

大泣きしない。

恨まない。

相手を責めない。

ただ、

「もう昨日なのだ」

と歌う。

このアルバム全体に流れているのは、そういう感情です。

9.“Here I Am in Love Again”

ここは少し面白い。

アルバムのテーマは『Lost Love』なのに、

また恋をしている。

つまりこのアルバムは単純な失恋アルバムではありません。

失恋して、

また恋をして、

また失う。

その繰り返し。

だから『Lost Love』というタイトルは、

「失った恋」

という一回きりの物語ではなく、

恋愛そのものの儚さ

を指しているように聴こえてきます。

8曲の選曲全体を眺めると、その読みはかなり強くなります。

10.“Mountain Greenery”

ここで一気に軽くなる。

Richard RodgersとLorenz Hartによる曲で、『The Garrick Gaieties』由来。

演奏時間はわずか1分54秒。

この短さも重要です。

このアルバムでは、こういう短い曲がアクセントになる。

恋愛の重さをずっと引きずるのではなく、

ふっと身体を軽くする。

でも、私はここを「明るい曲」とだけ捉えたくありません。

むしろ、

恋をしている時間には、こういう軽さもある

ということ。

『Lost Love』は失恋だけを歌っているアルバムではない。

恋に浮かれる瞬間も、恋に疲れる瞬間も、過去を振り返る瞬間も全部ある。

11.タイトル曲 “Lost Love”

ここがアルバムの中心です。

しかも作曲者としてベース奏者Chet Amsterdamの名前が記録されています。Prestoのクレジットでもこの曲はAmsterdam作とされています。

これはかなり面白い。

つまりバックのベーシストがタイトル曲を書いている。

これによって、このアルバムは単なる既成曲集ではなくなります。

演奏者自身がこのアルバムの物語に一曲を差し出している。

そして、その曲をCastleが歌う。

ここには小さな共同制作の感覚があります。

12.“You Don't Know What Love Is”

そして、この曲。

ここはアルバムの感情的な核心のひとつでしょう。

「あなたは愛が何なのか分かっていない」。

かなり強い言葉です。

でもCastleが歌うと、単純な怒りにはならない。

むしろ、

私も分かっていなかったのかもしれない。

 

という自己疑念まで入り込める。

この曲を含めることで、『Lost Love』は「私は傷ついた」という一方向のアルバムではなくなります。

恋愛の失敗を、自分自身にも返してしまう。

ここが大人っぽい。

13.“Love Is a One Way Street”

この曲はタイトルそのものがすごい。

Love Is a One Way Street

「愛は一方通行」。

恋愛をロマンチックな相互理解としてではなく、

一方が与え、一方が受け取ることもあるもの

として捉えている。

しかもアルバム終盤に置かれている。

つまり、

I'm Shooting High

Yesterday's Gardenias

Here I Am In Love Again

Mountain Greenery

Lost Love

You Don't Know What Love Is

Love Is a One Way Street

Why Can't I?

という流れを見ると、

恋への期待 → 記憶 → 再び恋する → 軽やかな幸福 → 喪失 → 疑念 → 一方通行 → 自問

という、かなり見事な感情の流れになっています。

偶然とは思えないくらい、アルバムとしてまとまっています。

14.最後の “Why Can't I?”

そして最後がこれです。

Richard Rodgers / Lorenz Hart。

『Spring Is Here』のために書かれた曲です。JazzWaxもこの曲について、1929年のミュージカル由来であることを指摘しています。

そして面白いのは、同じ1955年にSarah Vaughanもこの曲を録音していること。

Castleの録音は1955年初頭、Vaughanは同年10月に録音しています。

この時間的な近さはかなり興味深い。

なぜなら、Castleの「Sarah Vaughanに似ている」という評価を考えるうえで、まさに同じ曲を二人が歌っているからです。

これは比較して聴く価値があります。

ただし、ここで重要なのは、

「Vaughanの方が上」

という話ではありません。

むしろ、

同じ曲を、二人の歌手がまったく違う人生の距離感から歌っている。

 

と考えたほうが面白い。

15.このアルバムは「夜のアルバム」なのか

私はそう思います。

ただし、ありがちな「ムーディーな深夜ジャズ」という意味ではありません。

もっと生活に近い夜です。

仕事が終わって、

部屋に帰って、

何となく一人になって、

昔のことを思い出す。

電話をするほどでもない。

泣くほどでもない。

でも、眠るには少し早い。

そういう時間。

このアルバムの24分という長さも絶妙です。

一晩の生活の中にすっと入り込める長さ。

LP片面約12分という10インチ時代の制約も含めて、非常に凝縮されています。

16.そして「声」がすごく近い

このアルバムを12インチの大編成ヴォーカル作品と比較すると、その違いがよく分かります。

Chris ConnorのBethlehem作品などと並べても、Castleはかなり小編成です。

Sam Mostのフルート。

Ronnie Selbeyのピアノ。

Chet Amsterdamのベース。

Herbie Wassermanのドラム。

その上にCastle。

 

歌手の息遣いと、演奏者の呼吸が同じ空間にある。

これが『Lost Love』の大きな魅力だと思います。

Dusty Grooveが「stripped-down backings」と表現しているのも納得できます。

17.そして、ジャケット

このレコードについては、Burt Goldblattも見逃せません。

彼は『Lost Love』のカバー・デザインと写真を担当しています。

1950年代Bethlehemのジャケットは、単なる商品写真ではなく、ジャズの「新しさ」そのものを視覚化していました。

だからこのレコードを手に取った時点で、

「これは大スターの歌謡アルバムではない」

という空気が出ている。

10インチという小さなフォーマットと、簡潔な編成、若いジャズ・レーベル。

全部が1955年のニューヨークという一点に集まっています。

18.そして最大の謎――なぜ消えたのか

ここは断定してはいけません。

現在分かっていることは、

1955年の『Lost Love』以降、彼女の録音活動が確認できなくなる

ということ。

JazzWaxのMarc Myersも、その後についてほとんど情報がないとしています。さらにCastleは1955年当時、Mort Hillmanのマネージメントを受けていたとしています。HillmanはHerbie Mannも担当していました。

つまり、

「才能がなかったから消えた」

とは全く言えない。

むしろ逆です。

1949年には録音している。

1950年にも録音している。

1955年にはBethlehemから10インチLPを出すところまで来た。

そして、そこで止まる。

19.ここで「失敗した歌手」という見方を捨てたい

これは非常に重要だと思います。

音楽史はどうしても、

売れた人=成功した人

として整理されます。

Sarah Vaughanは残った。

Chris Connorも残った。

Carmen McRaeも残った。

だから彼女たちは歴史になる。

Paula Castleは残らなかった。

だから「幻」と呼ばれる。

でも、これはかなり乱暴な整理です。

Castleは1955年に一枚のアルバムを作った。

それは今でも聴くことができる。

そしてそこには、1940年代末からニューヨークのジャズの現場を歩いてきた歌手の時間が刻まれている。

だったら、

彼女の人生が「失敗だった」と判断する理由はどこにもない。


この24分は「人生の断片」なのだと思う

『Lost Love』を聴いていると、

「なぜこの人は一枚だけなのだろう」

という疑問が何度も浮かびます。

でも、考えてみれば、私たち自身もそうではないでしょうか。

人生の中で、

「あの頃はこうだった」

という時期がある。

仕事をしていた。

誰かと付き合っていた。

音楽をやっていた。

何かに夢中になっていた。

しかし、その時間は永遠には続かない。

後から振り返れば、

「あれが最後だった」

と分かる。

当人はその瞬間には知らない。

『Lost Love』も、きっとそういうものだったのではないか。

最後のアルバムを作っているとき、彼女自身はそれが最後になるとは知らなかったのではないか。

人は、最後だと知らずに誰かと別れることがある。
最後だと知らずに、その人の声を聞く。
最後だと知らずに、一緒に笑う。
最後だと知らずに、いつものように「また」と言う。