かりんとうのつれづれ日記 -540ページ目

かりんとうのつれづれ日記

日々のことを 思うままに 書いていきたい…と 思っています。

 私が 学生時代(1980年代)に アフリカで 大きな干ばつが起こり 数万人規模の餓死者が でました。痛ましい気持ちになりながらも、冷静に 考えてみると、日本で 干ばつが 起こったとしても 餓死者が出ることはないはず。それが 何故 アフリカでは 干ばつが 起こるのか? そんな疑問が 起こりました。

 

 数年後、何かを 調べている時に、旧植民地では(植民地支配のため) 農作物が 主食ではなく 商品作物が 生産されていて、その売却したお金で 食糧を購入すればよいのだが、軍事政権だったりすると、食料を後回しにして 武器の購入を 優先してしまいがち。だから、餓死者が 出やすい構造になっている…ということが分かってきました。

 

 当時、日本は 世界一のODAの実施国で、アフリカの「緑の革命」を 支援するためにも、多くの援助を 行っていて、大規模なスプリンクラーを 贈ったりしていることが 分かりました。

 

 でも、それは うまく 機能していなかったのです。現地の人は スプリンクラーが故障しても 修理できる技術が なかったからです。高価なスプリンクラーよりも 安価で大量に作ることができる「井戸」の方を 現地の人々は 求めていました。

 

 それでも ODAとして スプリクラ―を贈り続けたのは 日本のメーカーのためだった…と言われています。ODAを 日本の企業が「食い物」にしていた一例ですね。

 

 それから しばらくして アフガニスタンで「井戸」を掘るボランティアをしている日本人がいることを知りました。現地の人の声を聞いて 援助を行う日本人がいることを とても 誇らしく 思えました。

 

 「彼」の功績を アフガニスタンに人々は 決して 忘れない、と思います。